とはいえ、普通の中学生よりはジャズに傾倒していた矢野さんは、中学2年生の頃、黒人のジャズ歌手、ビリー・ホリデイ(1915年-1959年)の伝記『奇妙な果実』に出会う。ビリー・ホリデイとは「レディ・デイ」の呼び名で知られ、今でもジャズ史上最高の歌手の一人に数えられる女性だ。
「学校で進路相談が始まって、義務教育が終わったらNYに行って、ジャズマンになるから高校へは行かないつもりだったんですけど、どうすればNYに行けるのか、どうすればジャズマンになれるか、具体的なことは何ひとつ考えていなかったし、知識もないことに焦った。ちょうど、そんな時にビリー・ホリデイに出会って、自分と同じ14才で、ビリーが生活のためにライブハウスで歌ってお金を稼いでいたというエピソードに触発されて、『自分もライブハウスに出なくては』と思ったんです」
ジャズ雑誌の巻末に載っている都内のライブハウスに、かたっぱしから電話し、出演交渉を試みた。この行動力こそ、何かを成し遂げる人たちに共通する“才能”だ。
「断られ続けた中で、たった一軒だけ、話を聞いてくれた店があったんです。たまたま、店主の息子さんと同じ年で、興味を持ってくれたみたい。運がいいんですよ、私」
それは、東京・西新井にある『カフェクレール』という自家焙煎コーヒーが自慢の店。定期的にジャズのライブを開く、ファンには有名な店だった。先輩ミュージシャンのライブに飛び入り参加する形で、矢野さんは人前でサックスを演奏するようになった。
「独学というか、ライブで共演してきた人たちみんなが先生だった。それぞれ違ったことを言ったりするんですけど(笑)」
半年くらいたった頃、新人アーティストを探すため、偶然その店に来ていたレコード会社のプロデューサーの目に留まった。トントン拍子でCDデビューが決まり、2002年9月、デビューアルバム『YANO SAORI』をリリース。高校1年生、16才だった。
日中は学校へ通い、夜はライブハウスのステージに立ちながら、高校在学中に3枚のCDアルバムをリリース。実践を通して腕を磨いてきた。