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マンガの聖地!東京・豊島区のトキワ荘マンガミュージアムへ

2021-01-24

2020年7月7日、東京豊島区南長崎花咲公園内に「トキワ荘マンガミュージアム」が開館しました。建物は手塚治虫をはじめ石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄など、マンガ文化を築いた巨匠らが住んだ伝説のアパート「トキワ荘」を再現したもの。昭和の香りとともにいまや日本を代表する文化のひとつとなった、マンガの原点が感じられる、いわば聖地における「本殿」が、ついに誕生したのです。

マンガ史に輝く後の巨匠らが集結

写真:トキワ荘マンガミュージアム

トキワ荘マンガミュージアムが建つのは西武池袋線椎名町駅、東長崎駅、大江戸線落合南長崎駅を最寄りとする地域で、椎名町は池袋からわずか1駅の距離です。手塚や石ノ森、赤塚らが暮らしていた昭和20年代末から30年代当時には、すでにバスや市電などでアクセスできたことから、戦後の高度成長期には郊外の住宅地として、賃貸アパートも数多く建てられたエリアでした。

写真:西原 朋未

昭和28(1953)年、豊島区南長崎にあったトキワ荘に、すでに人気マンガ家であった手塚治虫が入居したことを機に、当時活躍中の、あるいは駆け出しのマンガ家たちが次々と居住するようになります。石ノ森、赤塚、藤子Aに藤子F、さらに紅一点の水野英子らがトキワ荘で暮らしたのは、昭和30年代前半頃でした。
この東京・豊島区の一角にあるアパートで、のちに日本どころか、世界のマンガ史を語る上でも絶対に欠かすことのできない綺羅星の如き作家らが、編集者やマンガ家同士の紹介でこの建物に集結し、互いに切磋琢磨しながら暮らしていたわけです。
そして彼らはトキワ荘を巣立ったのちにインタビューや自伝などで「トキワ荘」の思い出を語り、振り返り、また藤子不二雄Aは『まんが道』でトキワ荘時代の青春エピソードを生き生きと描き出します。いつしか「トキワ荘」はマンガファンにはなじみ深い名となり、マンガ文化誕生の聖地のひとつとなっていったのです。

昭和の香り漂うミュージアム内部

写真:西原 朋未

再現されたトキワ荘マンガミュージアムに入ってみましょう。
建物は昭和の頃のつくりそのままで、まず1階の玄関で靴を脱ぎ、2階へ上がります。階段を上った正面がいきなり共同便所と共同炊事場。さらに展示スペースを含む四畳半10室が再現されています。
共同炊事場は、ガスコンロや鍋など、地方から上京してきたマンガ家たちが暮らしていた雑多な雰囲気がそのままに感じられます。コアなファンであれば『まんが道』で藤子Aや藤子Fのお母さんがここで料理をしていた場面や、正面の小さな流しで赤塚不二夫が水浴びをしていたというエピソードが思い浮かぶかもしれません。

写真:西原 朋未

このトキワ荘は、例えば保管されていた天井板から部屋の広さを割り出したり、マンガ制作の道具・開明墨汁も当時のモデルのものを敢えて作るなど、建物はもちろん、生活感に至るまで当時の様子が再現されています。
ちなみに炊事場に置かれているラーメンどんぶりは、マンガ家たちの御用達だったラーメン屋「松葉」で当時使われていたものを同店から譲っていただいたもの。建物や部屋の隅々から感じられる昭和の息遣いとともに、トキワ荘と南長崎という町のつながりも、より一層伝わってくるようです。
ちなみに展示スペースは豊島区南長崎の歴史が紹介されているコーナーもあります。マンガ家たちが暮らしていた頃の南長崎の様子なども見られますので、ぜひそちらものぞいてみてくださいね。

マンガへの情熱も伝わる展示の数々

写真:西原 朋未

それぞれの四畳半には、「石ノ森章太郎の部屋」「手塚治虫、藤子不二雄A、藤子・F・不二雄の部屋」「水野英子の部屋」など、そこに住んだマンガ家の名前が掲げられ、トキワ荘ゆかりのマンガ家たちの相関図、トキワ荘の歴史、当時の住人たちの暮らしなどが紹介されています。
マンガ制作もデジタルの時代となったいま、昔ながらの墨汁やペン、カラス口といった道具を珍しく感じる方もいるかもしれません。暖房用の火鉢などが置かれている部屋もあり、懐かしさや新鮮さなど、世代によって感じる印象は様々でしょう。

写真:西原 朋未

トキワ荘で青春時代を謳歌し、現代に連なるマンガ文化の歴史の礎を作り上げたマンガ家たちは、しかし時の流れとともに鬼籍に入られた方も多いのが寂しくもあります。そうしたなかでまだご存命の水野英子は、このミュージアム開館に当たり、ご自身の部屋を監修されました。
15歳でマンガ家デビューした水野が、柳行李のトランク一つを抱えて上京し、トキワ荘の住人になったのは18歳の頃。トキワ荘の紅一点として活躍しながら、石ノ森、赤塚らと3人で「U.マイヤ」のペンネームで合作マンガも描いていました。壁に貼られたカウボーイのイラストは、上京した水野がささっと描いて石ノ森や赤塚を驚かせたものを、ご本人の描き下ろしで再現(複製)。
飾り気のないシンプルな部屋は、忙しい時は互いにアシスタントをしながらひたすらマンガを描くことに没頭していたというエピソードとともに、彼等のマンガへの情熱も彷彿させられます。

1階には手塚治虫直筆のお宝が

写真:西原 朋未

各部屋に展示されたマンガの道具や昭和時代のステレオといった家具調度を眺めつつ、トキワ荘時代にはなかったエレベーターを使って1階へ降りると、企画展示室とマンガラウンジがあります。

写真:トキワ荘マンガミュージアム

このフロアのお宝のひとつは、手塚治虫が描いた天井板絵です。これはトキワ荘がいよいよ解体されるという1982年、手塚がはがされた天井板に『リボンの騎士』のサファイアと自画像を描いて警視庁池袋署にある記者クラブに寄贈したというもの。これがこのミュージアム開館にあたり、こんどは記者クラブからミュージアムに贈られました。「トキワ荘」という建物の断片であり、現存の証ともいえる、とても貴重なものです。
なお企画展示室はトキワ荘をはじめとするマンガ関連の展示が行われています。またマンガラウンジではトキワ荘ゆかりのマンガ家たちのマンガや関連書籍などが配架されているほか、マンガの歴史年表、トキワ荘ゆかりのマンガ家インタビュー映像が上映されています。マンガの歴史や技術についてもふれており、マンガを読む人、描く人、それぞれに響く内容ですので、ぜひ耳を傾けてみてください。

昭和の公衆電話に駅のパネルも必見

写真:西原 朋未

トキワ荘の建物前には昔懐かしい電話ボックスも置かれています。スマホなどがなかった当時、また固定電話も引けない駆け出しのマンガ家にとっては公衆電話か電報が通信手段でした。トキワ荘そばの電話ボックスでは、マンガ家たちが雑誌編集者と連絡を取っていたそうです。

写真:西原 朋未

またトキワ荘マンガミュージアムの立つ南長崎花咲公園には記念碑「トキワ荘のヒーローたち」も建てられています。ミュージアムでは「トキワ荘ゆかりの地散策マップ」も配布しており、トキワ荘跡地や巨匠らが通ったラーメン屋「松葉」、トキワ荘通りお休み処など、とても分かりやすく記されています。ぜひ入手して、昭和風情の残る街角散策も楽しんでみてください。

写真:西原 朋未

あともうひとつ、チェックしていただきたいのが、最寄り駅となる西武池袋線東長崎駅、椎名町駅、都営大江戸線落合南長崎駅にある、トキワ荘ゆかりのマンガ家たちの作品パネルやモニュメントです。東長崎駅には手塚治虫の「ジャングル大帝」、椎名町駅には石ノ森章太郎「サイボーグ009」や赤塚不二夫「天才バカボン」、落合南長崎駅には水野英子「星のたてごと」などが見られますので、ぜひこちらもチェックしてみてくださいね。
(C)フジオ・プロ (C)石森プロ (C)藤子スタジオ

トキワ荘マンガミュージアムの基本情報

住所:東京都豊島区南長崎3-9-22 南長崎花咲公園内
電話番号:03-6912-7706
アクセス:都営大江戸線「落合南長崎駅」A2出口より徒歩5分、西武池袋線「東長崎駅」南口より徒歩10分、西武池袋線「椎名町駅」南口より徒歩15分
開館時間:午前10時〜午後6時(入館は午後5時30分まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)、その他年末年始、展示替え期間
入館料:無料(企画展は有料の場合あり)
予約制:予約はホームページより
※手塚治虫の天井板絵は修復中(2020年11月現在)
ミュージアムでは企画展も実施。
現在「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ」展を開催中(2021年1月11日まで/※会期延長、日時等詳細未定)
2020年1月現在の情報です。今後の企画展や最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
※マンガ家名の正式な表記について:手塚治虫の「塚」は旧字体。石ノ森章太郎の「ノ」は小文字標記。藤子不二雄A、藤子Aの「A」は丸囲み。

■関連MEMO
トキワ荘マンガミュージアム(外部リンク)
https://tokiwasomm.jp/
トキワ荘マンガミュージアム企画展(外部リンク)
https://tokiwasomm.jp/exhibition/

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西原 朋未

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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