ホーム 旅行&おでかけ > 畿内の覇者“三好長慶”が天下を望んだ地!大阪・高槻「芥川山城」

畿内の覇者“三好長慶”が天下を望んだ地!大阪・高槻「芥川山城」

2021-08-24

戦国時代前期、織田信長が進出してくるまで将軍家を抑え畿内全域を支配下に置いていた三好長慶。彼が主君を下剋上で追いやり畿内の覇権を握って入城したのが芥川山城。京都から大阪を見渡せるこの地で約7年間、近畿から四国にまたがる最大13ヶ国を支配下に置いていました。
市街地からすぐ近くに位置するにもかかわらず地元でもあまり知られていない城でしたが、近年発掘調査が行われて全貌が明らかになってきました。

芥川山城へのアクセス

写真:津田 泰輔

最寄りの交通アクセスはJR高槻駅から出ている市バスの塚脇バス停になります。JR高槻駅から約15分。バス停の近くには芥川山城の復元図やアクセスルートが書いてある看板がありますので、これを確認してから行くと良いでしょう。特に復元図を写真に撮っておくと、後で城のどこを歩いているのかわかりやすいのでお勧めです。
車で来られる場合は専用の駐車場がありませんので、近くの摂津峡の駐車場である「下の口駐車場」に車を停めて一旦ここまで歩いてくるのが良いでしょう。

写真:津田 泰輔

道路から芥川山城がある三好山を撮影した写真ですが、中央の山の頂上部に少し木々を伐採して開けたあたりが城の主郭付近になります。三好山の左側の谷筋には芥川が流れていて、北摂の景勝地の一つ摂津峡を形成しています。ぐるっと山の後ろに回り込むように深い谷が造られ、北と西は自然の要害となっています。
東側はずっと山が続き、南側だけが開けています。今回はこの南側からのルートを紹介しますが、大手道は少し勾配が急なので、行きは東側から回り込む塚脇ルートから進んで行くことにします。

写真:津田 泰輔

塚脇のバス停から住宅街の中を通って10分〜15分で登山口に到着します。少々わかりにくいですが、ところどころに案内板が設置されていますのでチェックしながらくれば迷うことはないでしょう。
「芥川山城」もしくは「三好山」と2つのパターンで書かれることがありますが、どちらも目的地は同じです。

遺構の面影が残る登山道

写真:津田 泰輔

登山道から一気に山の上まで登っていきます。緩やかな勾配で左側も開けているので景色を楽しみながら進めます。勾配を一番上まで登りきると、ちょうど芥川山城の東側に出ることになりますので、ちょうど左手側に主郭があることになります。

写真:津田 泰輔

案内板に従って進路を西にとり登山道を進んで行きます。ここからは木々が生い茂り森の中を進んで行くことになります。
しばらく進むと両側がえぐられた細い道が見えてきます。ここは土橋といわれる場所で、防御用に作った堀を渡る土の橋のようなものです。戦国期の城なので石垣を組み上げて造るようなものではないのですが、明らかに人工的に山を掘って作った堀と土橋の形跡が残っています。

写真:津田 泰輔

ここも人工的に山を削って道を作っている場所。道を登ってくる敵を土手の上から攻撃したり、尾根づたいにやってくる敵をここで行き止まりにさせたりする、いわゆる堀切と言われる防御施設です。
一見するとただの山道ですが、遺構の少ない城を散策するときはどうやって敵の攻撃を防ごうとしているのか考えながら歩くと色々な発見ができて楽しくなります。

芥川山城主郭部へ

写真:津田 泰輔

途中、分岐点がありますが、主郭部へは右のルートへ行きます。左は大手道で下山できるルートになりますので、後ほど紹介するようにします。

写真:津田 泰輔

分岐点からほどなく展望スポットに到着します。丸太で作った手作り感満載の椅子が並べられていて休憩にはうってつけの場所になっています。この展望台はまだ頂上ではなく、頂上はもう一段上に上がったところにあります。

写真:津田 泰輔

頂上付近は少し広場になっていて、城山城址という石碑が建てられています。完全な文献が残っているわけではないので色々な呼び方があるのですが、当時の文献には芥川城と記載されており、高槻市の平野部にも同じ芥川城が存在し、便宜上、高槻市史が「芥川山城」と呼称したことから、これが正式名称のようになっています。

畿内を見渡せる眺望

写真:津田 泰輔

主郭部は三好長慶の看板が立てられています。突然現れるイラストが異彩を放っていますが、かつて本物の三好長慶や当時その配下だった松永久秀などがこの場所に立ち、畿内一円に号令を発していたと思うと感慨深いものがあります。

写真:津田 泰輔

ここから見渡せば京都から大阪まで一望できます。三好長慶が当時の管領細川晴元を打ち破ったのち、この芥川山城に入って畿内を支配していました。ここに立てば、なぜこの地を選んだのかわかる気がします。

写真:津田 泰輔

西側は深い谷になっていて、自然の要害になっています。谷には川が流れていて、今はここが摂津峡という北摂の景勝地になっています。
芥川山城のある三好山を北に抜け摂津峡経由で戻ってくるハイキングルートもあるのですが、2018年の台風被害で2021年現在は三好山の北側から摂津峡に抜けるルートは通行禁止になっています。

大手道経由で摂津峡へ

写真:津田 泰輔

北側ルートは通行禁止になっていますので、大手道経由でもどるルートを紹介します。大手道は比較的急峻なルートですので、危機は東側から回り込むルートを進みましたが、大手道にも遺構が残っていますので、体力が残っていればこちらのルートで降りてみてください。
頂上から来た道を戻り途中の分岐から少し降りると、芥川山城で当時のものとしてほぼ唯一の石垣が残っています。戦国初期の山城で石垣が造られるのはまだ珍しく、一般的には土を盛って造られる土塁が中心でした。この石垣も三好長慶の時代のものかははっきりしていませんが、芥川山城が当時としては重要な場所であったことを象徴するものであることは間違いないでしょう。

写真:津田 泰輔

見ての通り、大手道は遊歩道というより登山道です。足元も悪いので登山のつもりで進んだ方が良いでしょう。この道をしばらく進むと、城山地区の集落に抜けることができます。

写真:津田 泰輔

城山の集落から道路沿いに歩けば、登ってきたルートに戻ることもできますが、もう少し下れば摂津峡の下流に出ることもできます。
やさしく流れる渓流は地元高槻市民の憩いの場として親しまれてきて、近くには摂津峡公園として整備された公園がありますので、時間と体力が許すなら立ち寄ってみるのも良いでしょう。また、摂津峡の入口には祥風苑という温泉施設があり、三好山や摂津峡をハイキングして温泉で汗を流して帰るというのが、地元の人の定番ハイキングコースでもあります。
芥川山城は巨大な石垣跡や天守閣が残っているわけではありませんが、戦国初期の山城としてはスケールが大きく、実戦向きに造られた防御設備の痕跡を辿るものなかなか面白いものです。まだ地元でもマイナーな場所で発掘調査も始められたばかりです。今後新しい発見や整備が進めば、新しい観光スポットとして注目される場所になるのではないでしょうか。

芥川山城の基本情報

住所:高槻市大字原
電話番号:072-674-7652(高槻市 街にぎわい部 文化財課)
アクセス:
JR高槻駅(北のりば)から、高槻市営バス「塚脇」「下の口」行きで、「塚脇」下車。徒歩約30分
車の場合は、摂津峡下の口駐車場から徒歩約35分
※芥川山城がある三好山は私有地です。マナーを守って訪問してください
※トイレ等はありません
2021年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
高槻市ホームページ(外部リンク)
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/jidai/kamakura/1327658866188.html
高槻市観光協会公式サイト(外部リンク)
https://www.takatsuki-kankou.org/spot/972/

【トラベルjp・ナビゲーター】
津田 泰輔

関連記事

提供元:トラベルjp 旅行ガイド

Facebook

あなたにおすすめの記事

P R
お悩み調査実施中! アンケートモニター登録はコチラ

eltha(エルザ by オリコンニュース)

ページトップへ