2021-10-16
当時、私は専門学校に通いながらアルバイトに勤しんでいました。そのとき付き合っていた彼(今の夫)とは親公認の半同棲生活だったのですが、一度だけ避妊に失敗したことがあり、19歳の秋にその失敗によって妊娠が判明しました。学校も残り1年だったため、なかったことにしてしまおうかという考えも頭によぎったのですが、彼と話し合い、出産を決意したのです。
私の親にはひと足先に報告を済ませ、学校は必ず卒業すること、資格も必ず取得することなどを約束し、同意を得ました。その一方で、彼の親は猛反対です。母親は妊娠を喜んでくれましたが、父親は違いました。
「子どもを諦めろ」「片親の奴とは結婚させない」「まだ未熟なのだから同居しなさい」と理不尽なことを言われ続け、私の心は崩壊寸前でした。でもその後、彼が父親を何度も説得し、結婚・出産を許してもらったのです。それは、19歳という若さゆえの反対だったのだと思います。
結婚してからは同居の提案を振り切り、安いアパートに2人で暮らしました。それから夫の立ち会いのもと、無事に元気な男の子を出産。それからの生活は幸せでしたが、お金がないことが本当につらかったです。当時20歳同士の夫婦がそこまで稼げるわけもなく、私の学生時代のバイト代の貯えを削りながら節約生活に明け暮れていました。
子どもにかわいい赤ちゃんブランドの服やおもちゃを買ってあげたかったのですが、とりあえず安くてかわいいもので我慢する生活に、泣いてしまう日もありました。でも、出産を後悔する日は1日もなかったというのが私の本音です。それだけわが子に愛情を感じていたし、これから頑張ろうという気持ちになれました。そして、しばらくしてから私は復学し、無事国家資格を取得することができたのです。
出産から3年後、仕事にも子育てにもやりがいを感じていました。そんななか健診や子どもの幼稚園行事など、ほかの保護者と関わる機会も多くなっていたのですが、私はどこへ行っても最年少ママ。幼稚園のボスママ的な存在の方に年齢を聞かれたり、「若いね〜」とあからさまな嫌味を言われたりすることもありました。
でも、私を守ってくれたのは仕事です。いわゆる“専門職”であるため、私がどんな仕事をしているか知っているママにはよく相談を受けたり、ワーキングマザーからは「有休ないよね」と話しかけてもらったりと、仕事のおかげで悪目立ちせずに済んだという経験もありました。
若くしての出産で悲しいニュースを目にすることもありますが、「どうすればよりよい生活を送れるかな?」「どうすれば子どもは幸せになるんだろう」と日々考えながら、現在私は2人の子どものママになっています。もちろん大変なことや泣いた日も多かったです。でも、あのとき子どもを産んでよかったなと、今心から思っています。
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監修/助産師 REIKO
イラストレーター/しおみなおこ
著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
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