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中世・寺内町の遺構を探索!大阪有数の旧環濠都市「久宝寺」

2025-04-01

「寺内町(じないまち)」とは、中世後期に出現した自治都市・自治集落のこと。浄土宗系の寺院を中心に形成された都市は、その周囲を濠や土塁でめぐらせ、戦国乱世の世においても自立した都市としてあり続けました。商工業が発達していた大阪平野でも多くの寺内町が成立しましたが、大阪府八尾市の「久宝寺(きゅうほうじ)」は、その遺構を現代に伝える貴重な街。今回は寺内町の遺構を現代に伝える「久宝寺」を旅してみましょう。

久宝寺ゆかりの許麻神社と顕証寺

写真:乾口 達司

かつて寺内町として発展した「久宝寺」は、現在の大阪府八尾市の西部に位置していますが、その発祥は古代にまでさかのぼります。当地は、古代、大狛連の居住地であったことから「巨麻荘」と呼ばれており、現在も地区の一画には「許麻神社(こまじんじゃ)」が存在します。許麻神社は、いわば、久宝寺発祥の社といっていいでしょう。
ちなみに、「久宝寺」の名は、聖徳太子によって建立された「久宝寺観音院」という古代寺院がかつてこの地に存在したことに由来します。
<許麻神社の基本情報>
住所:大阪府八尾市久宝寺5-4-8
アクセス:JR久宝寺駅より徒歩約5分

写真:乾口 達司

許麻神社の東には、寺内町・久宝寺の中心施設というべき「顕証寺(けんしょうじ)」が存在します。
顕証寺は、浄土真宗の祖・親鸞聖人の弟子であった法心によって建立された慈願寺に由来します。1470年(文明2)には蓮如が布教の拠点とし、後年、顕証寺(久宝寺御坊)とその名をあらためました。以後、寺内町・久宝寺は顕証寺を中心に街並みが形成・整備されていきます。その成立は1541年(天文10)頃と推定されています。
写真の本堂は1716年(正徳6)に再建されたもので、大阪府指定有形文化財。大阪府内でも有数の大規模な仏堂です。

写真:乾口 達司

写真は本堂の正面に位置する山門。1795年(寛政1)の再建で、やはり大阪府指定有形文化財となっています。本堂といい、こちらの山門といい、その大きさには圧倒されますが、その規模からも、かつての久宝寺がいかに有力な都市であったかがうかがえます。

寺内町としての名残を伝える環濠と土塁の遺構

写真:乾口 達司

寺内町の特徴としては、浄土真宗系の寺院を中心に形成された街並みと、それをとりかこむようにめぐらされた環濠や土塁の存在をあげることができます。環濠や土塁は外敵の侵入を防ぐ目的で造られていますが、久宝寺の場合もそれは同様です。
顕証寺の南側のこちらの区画には、環濠の一部が認められます。

写真:乾口 達司

環濠の上にはちょっとした土盛りも認められます。これは堤防状の防壁であった土塁の名残です。

写真:乾口 達司

久宝寺にめぐらされていた環濠の大半は、現在、埋められてしまっています。しかし、付近を散策すると、顕証寺の南側以外にもその名残を見て取ることができます。たとえば、こちらは久宝寺の北端にあたる付近を撮影したもの。ご覧のような水路が認められます。その幅はかなり狭くなっていますが、こちらも環濠の名残です。
久宝寺にめぐらされていた環濠は二重となっていたことが判明しています。その防御性の高さもあり、寺内町としての成立後は多くの門徒や商人たちでにぎわい、かつての河内国における中心地の一つとなっていました。
<顕証寺の基本情報>
住所:大阪府八尾市久宝寺4-4-3
アクセス:JR久宝寺駅より徒歩約5分

寺内町特有の碁盤目状の町割り

写真:乾口 達司

環濠の内側に形成された街並みにも、環濠都市としての寺内町の特徴がよく残されています。
たとえば、こちらは北側の出入口付近に見られるT字路。外敵が侵入しても直進することができず、都市の内部を容易に見通すことができないように工夫されています。

写真:乾口 達司

内部に進むと、今度は一転、道路が直線状に交わった碁盤目状の町割りとなっています。この計画性にもとづいた都市設計からも、久宝寺の寺内町としての特徴がよく見て取れます。

写真:乾口 達司

内部をつらぬくように、南北には「大水路」と呼ばれる水路も通されていました。大水路は寺内町として成立した初期段階における環濠の名残ではないかという説もあります。

久宝寺城跡や長宗我部盛親物見の松

写真:乾口 達司

寺内町として大いに発展した久宝寺は、大和国と河内国とを結ぶ街道の中継地として、重要な位置を占めていました。
たとえば、そのことは集落の北西に「久宝寺址」と刻まれた石柱があることからもわかります。その名のとおり、かつてここには久宝寺城と呼ばれる城郭が存在しました。久宝寺城は、室町幕府に仕えた畠山満基の長子・渋川満貞の居城。寺内町としての久宝寺は、城が置かれるほど、地理的にも重要な地であったわけです。
<久宝寺城跡の基本情報>
住所:大阪府八尾市久宝寺6-6
アクセス:JR久宝寺駅より徒歩約10分

写真:乾口 達司

久宝寺小学校の脇にあるこちらの松は「長宗我部盛親物見の松」と呼ばれており、大坂夏の陣の折、豊臣方の長宗我部盛親の部隊が、徳川方の藤堂高虎勢の動静を探るために上った松の大木があったところとされています。
<長宗我部盛親物見の松の基本情報>
住所:大阪府八尾市久宝寺2-4-16
アクセス:JR久宝寺駅より徒歩約10分

写真:乾口 達司

顕証寺と道路をはさんだ北側には「寺内町ふれあい館(八尾市まちなみセンター)」もあります。寺内町ふれあい館は、寺内町としての久宝寺の歴史を学ぶのに格好の観光拠点。さまざまな史料も展示されているため、こちらで寺内町・久宝寺の歴史をあらかじめ学んでから散策に出向くのも一計でしょう。
<八尾市まちなみセンター(寺内町ふれあい館)の基本情報>
住所:大阪府八尾市久宝寺3-3-20
アクセス:JR久宝寺駅より徒歩約5分

寺内町・久宝寺をめぐろう

寺内町・久宝寺がいかに歴史的に貴重な地区であるか、おわかりいただけたでしょうか。寺内町としての名残りを各所にとどめる久宝寺をめぐり、中世に発展した環濠都市・自治都市としてのありように思いを馳せてみてください。
2025年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
久宝寺寺内町公式ホームページ(外部リンク)
https://kyu-machinami.or.jp/

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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