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航空の神様を祀る!奈良「矢田坐久志玉比古神社」は天孫降臨の地

2025-05-17

奈良県大和郡山市の矢田丘陵に鎮座する「矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)」は、天磐船(あめのいわふね)で空を駆けた饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀り、航空の神様として信仰されています。また天孫降臨の際に、天磐船から三本の矢を射て、矢の落ちた所を宮居(みやい)にしたという伝説が伝わります。古代豪族の物部氏の祖先神でもある饒速日命を祀る見どころの多い古社を訪れてみませんか?

航空の神様を祀る「矢田坐久志玉比古神社」とは

写真:モノホシ ダン

矢田坐久志玉比古神社の創建年代は不祥ですが、6世紀前半期の頃までは畿内随一の名社として栄えた延喜式内社です。
御祭神は、饒速日命こと櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)と、その妻にあたる御炊屋姫命(みかしきやひめのみこと)の二座です。
なお、御炊屋姫命は、神武東征において、神武天皇の最後の宿敵として抵抗した長髄彦(ながすねひこ)の妹です。
さらに御炊屋姫命は、物部氏の祖先神として仰がれる宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)の母です。このことから矢田坐久志玉比古神社は、物部氏ゆかりの神社でもあるということが分かります。

写真:モノホシ ダン

神社の鳥居の前には、とても長い勧請縄が張られています。これは毎年、お正月に行われる特殊神事「網掛祭」の際に掛けられるものです。神事では、新しい縄が鳥居前の柱に架け渡され、五穀豊穣・子孫繁栄が祈願されます。

楼門には奉納された戦闘機のプロペラが

写真:モノホシ ダン

矢田坐久志玉比古神社の立派な楼門は、ペリーが浦賀に来航し、開国を迫った風雲急を告げる、1853年(嘉永6年)に建立されたものです。
奉納されたプロペラがひときわ目を引く楼門には、雲を模したデザインが数多く取り入れられ、いかにも航空の神様の社らしい雰囲気が感じられます。
昭和の初め、内務省神社局は、天磐船の故事から「天空を司る“航空祖神”は大和郡山市矢田町に鎮座する矢田坐久志玉比古神社なり」と考証しました。それ以来、神社は航空関係者の篤い崇敬を集めています。

写真:モノホシ ダン

楼門の2階に飾られたプロペラは、中島飛行機製「陸軍九十一式戦闘機」から取り外された実物で、1943年(昭和18年)に大日本飛行協会大阪支部から奉納されました。
プロペラの上に見える「航空祖神」と書かれた額は、旧海軍軍人で航空参謀を歴任し、戦後は航空自衛隊でブルーインパルスを創設するなどの活躍をされた源田実(げんだみのる)氏が奉納したものです。
さらに、1940年(昭和15年)に制定された毎年9月20日の「航空の日」には「航空祭」も行われています。

矢田の地名の由来となった「伝承二之矢塚」の伝説

写真:モノホシ ダン

楼門を抜けた左手には、「伝承二之矢塚」があります。饒速日命が天磐船に乗って降臨する際に、「吾が宮居の地に導き給え」の祈願とともに天羽羽矢(あめのはばや)を三本射放ちました。
境内に二の矢が、一の矢は南へ500mほどの地点、三の矢は北へ500mの「伝承邪馬台国想定地」に落ちました。
この地を「矢田」と呼び、矢田坐久志玉比古神社を「矢落社」または「矢落大明神」と称するのはこの伝説から来ています。

写真:モノホシ ダン

二之矢塚の反対側には、注連縄と紙垂で張られた結界の中に磐座(いわくら)があり、天磐船の欠片とも言われます。

写真:モノホシ ダン

矢田坐久志玉比古神社の絵馬には、御神紋の「矢尻付き違い矢紋」がデザインされています。
矢尻の異なる2本の矢を、左右から斜めに重ね合わせて描いたもので、境内では神馬像や軒丸瓦などにも見ることができます。

重要文化財の本殿と八幡神社社殿

写真:モノホシ ダン

楼門の先には拝殿があり、その奥の小高い場所には本殿(重文)があります。本殿は、檜皮葺きの一間社春日造で、室町時代のものです。さらに、並んで建つ末社の八幡神社の社殿は鎌倉時代のもので、こちらも重要文化財に指定されています。

写真:モノホシ ダン

広々とした舞台のある拝殿は、とても厳かな空気が流れています。拝殿の格天井には、「矢落大明神」の扁額が掛かっています。その奥には本殿が見えます。

写真:モノホシ ダン

矢田坐久志玉比古神社の見開きサイズの御朱印には、矢田の地を見守る饒速日命と御炊屋姫命、その二人の子供である宇摩志麻遅命が描かれています。
見どころの多い天孫降臨ゆかりの古社で、素敵な御朱印を授かってみてはいかがでしょうか。

「伝承三之矢塚」は「伝承邪馬台国想定地」とも

写真:モノホシ ダン

天孫降臨ゆかりのお社の参拝を終えたら、北へ500mほどのところにある「伝承三之矢塚」へ行ってみましょう。
ここは饒速日命が、三本の矢を放って三本目の矢が落ちた場所で、大和郡山「邪馬台国説」では、卑弥呼の宮居した伝承地と想定されています。

写真:モノホシ ダン

ここは地元では、宮処(みやんど)と呼ばれている場所です。「物部王朝邪馬台国説」は、大阪教育大学名誉教授の鳥越健三郎氏が『大いなる邪馬台国』で発表した論説です。
この説に基づいて大和郡山観光協会が建てたのが「伝承邪馬台国想定地」の石碑で、大和郡山市では町おこしの一環として1982年(昭和57年)から「卑弥呼まつり」を開催し、女王卑弥呼を選出するようになりました。
はるか三輪山、大和三山を一望できる三之矢塚で、古代の歴史ロマンを感じてください。
<伝承三之矢塚の基本情報>
住所:奈良県大和郡山市矢田町
電話番号:0743-52-2010(大和郡山市観光協会)
アクセス:近鉄郡山駅よりバスで「横山口」バス停下車、徒歩約20分

矢田坐久志玉比古神社の基本情報

住所:奈良県大和郡山市矢田町965
電話番号:0743-52-7313
アクセス:近鉄郡山駅から泉原町行きバスで「横山口」バス停下車、徒歩約6分
車利用の場合は、専用駐車場利用
2025年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
大和郡山市観光協会・矢田坐久志玉比古神社(外部リンク)
https://www.yk-kankou.jp/spotDetail24.html
『豊臣兄弟!』主人公・豊臣秀長ゆかりの地 奈良「大和郡山」を歩く
https://www.travel.co.jp/guide/article/48685/
豊臣秀長の聖地巡礼!奈良・大和郡山市のパワースポットめぐり
https://www.travel.co.jp/guide/article/48959/
“御金魚帖”も!奈良・大和郡山市の「金魚スポット」を歩く
https://www.travel.co.jp/guide/article/37658/

【トラベルjp・ナビゲーター】
モノホシ ダン

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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