2025-06-30
岡山の古代といえば、吉備王国の本拠地を思い浮かべる方も多いはず。しかし、そんな岡山に、現在の愛知県北部に当たる尾張国の豪族・尾張氏の痕跡があること、ご存知ですか?尾張氏は古代の大王にたびたび皇后や妃を送り込んだ名族。そんな尾張氏ゆかりの神社として挙げられるのが、岡山市の「尾針神社」です。しかも、境内には古代の祭祀遺跡まで残されているのです。今回は尾張氏ゆかりの「尾針神社」をご紹介しましょう。
「尾針神社(おはりじんじゃ)」は、岡山県岡山市北区にある神社。岡山を代表する動物園「池田動物園」のある京山からもほど近い丘陵上に鎮座しています。周囲は住宅密集地。そのなかに離れ小島のように尾針神社の杜があります。
平安時代にまとめられた『延喜式』の「神名帳」には「備前国御野郡尾針神社」と記載されており、尾針神社が古代より存在していることがうかがえます。近代以前は「栗岡宮」と呼ばれていましたが、近代以降は「尾針神社」と改称しています。
本殿にまつられている主祭神は「天火明命 (あめのほあかりのみこと)」。『古事記』や『日本書紀』によると、天火明命は天忍穂耳命と万幡豊秋津師比売命とのあいだに生まれた子どもであり、古代の由緒ある神さまです。
尾針神社の鎮座する地は、古くは「伊福郷」と呼ばれたところであり、現在も近隣に「伊福町」の名が残されています。そんな伊福郷は古代の豪族・伊福部連の居住地であったとされます。伊福部連は尾張国を本拠地とした古代の豪族・尾張氏の一支族であり、尾針神社の名も、その尾張氏の名に由来すると考えられています。
現在の愛知県北部にあった尾張国を本拠地としていた尾張氏の支族がどのような経緯で現在の岡山県に流れてきたのか、そのあたりのことは不明です。あるいは、のちに尾張氏の名で呼ばれることになる豪族が逆に西国から尾張国へと東遷し、そのうちの一部が当地に踏みとどまったのでしょうか。
尾針神社に参拝し、その謎に挑んでみてはいかがでしょうか。
写真は本殿の前にある拝殿。お参りする際はまず拝殿の前で手を合わせましょう。
お参りを済ませたら、本殿の脇にも目を向けましょう。鳥居が立ち、本殿裏手へと伸びる参道があります。
参道を進むと、本殿の裏手にはご覧のように複数の摂社が立ち並んでいます。摂社は稲荷神社、 若宮社など。あわせてお参りしましょう。
しかし、本殿の裏手にあるのは、何も摂社だけに限りません。ご覧のように、玉垣がめぐらされており、本殿側とその奥との境界を画しているかのようです。実は玉垣の奥には古代の祭祀遺跡が広がっているのです。
立ち入り禁止の区画ではないため、奥へと進んでみましょう。
森にかこまれた本殿裏手の区画は「磐境の遺跡」と呼ばれており、それを示す石標も立っています。
「磐境の遺跡」では、大きな石が点々と連なっているのがおわかりいただけるでしょう。これは一般的に「磐座(いわくら)」と呼ばれているもので、自然石に神が宿ると考え、それを崇拝する古代信仰の名残りです。
「磐境の遺跡」には多くの石が点在していますが、奥には等身大のひときわ大きな石が鎮座しています。これが「磐境の遺跡」における中心的な磐座です。
磐座は真っ二つに割れています。それが自然風化によったものなのか、人為的なものなのかは定かではありませんが、古代人はこちらの巨石にお供えものなどをして、祈りをささげたのでしょう。
ちなみに、写真には写っていませんが、その背面には大きな舟形石もあります。
「磐境の遺跡」における磐座群を背後から眺めると、それが本殿をあたかも見守っているかのように見えませんか?
尾針神社がどのような歴史を有する神社であるか、おわかりいただけたでしょうか。吉備王国の中心地であったところに、東国の尾張国を本拠地としていた尾張氏の一派が居を構えていたという点も意外ですが、閑静な住宅地の一角に、古代の祭祀遺跡を残す神社がいまなお存在しているのも驚きでしょう。尾針神社に参拝し、古代の岡山に想いを馳せてみてください。
住所:岡山県岡山市北区京山2-2-2
電話番号:086-250-3744
アクセス:JR岡山駅より徒歩約20分
2025年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
■関連MEMO
尾針神社-岡山県神社庁(外部リンク)
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/16577/
【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司
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