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古代以来の葬送の地をめぐる!知られざる奈良・生駒歴史散歩

2023-10-26

奈良県生駒市といえば、電車を30分も乗れば、大阪の中心地にまで出られることで、戦後、関西有数のベッドタウンとして一大発展を遂げた街。そんな新興住宅地に歴史的なものなどないのではないか。そう思われる方もいらっしゃるかも知れません。しかし、そんなことはありません。今回は古代以来の葬送の地でもあった生駒の地の知られざる歴史をひもといてみましょう。

前方後円墳も!奈良時代の高僧・行基が眠る竹林寺

写真:乾口 達司

まず紹介したいのは、第二阪奈有料道路沿いに位置するこちらの「竹林寺(ちくりんじ)」。鬱蒼とした森にかこまれた高台に建っているため、すぐ裏手を第二阪奈が通っていることをまったく感じさせない静寂さに包まれています。
竹林寺は、奈良時代、東大寺の大仏(毘盧遮那仏)の造立に尽力したことで知られる高僧・行基ゆかりの寺。行基が中年期を過ごした「生馬仙房」を後に寺院としたものとされています。本堂には、本尊の文殊菩薩騎獅像などが安置されています。

写真:乾口 達司

参道の脇には、ご覧のような古墳まであります。竹林寺古墳です。4世紀中頃に築造
された前方後円墳で、当地を支配した首長の墓であると考えられていますが、行基が山房を設ける数百年も前から、当地は有力者の眠る地であったことがわかります。

高僧たちの安息の地!行基や忍性の墓所

写真:乾口 達司

写真は本堂に隣接する行基の墓所。行基は、749年(天平21)、現在の喜光寺に当たる菅原寺で没しました。享年82。遺体は生駒山麓で荼毘にふされ、当地に埋葬されました。こちらの墓が行基のものであることは出土した銅製墓誌の銘文からも明らかですが、聖武天皇に乞われて大仏の造立にもかかわった高僧がここに眠っていることに感慨をおぼえる方も多いのではないでしょうか。

写真:乾口 達司

そんな行基を慕った後世の高僧たちの一人に忍性(にんしょう)がいます。忍性は鎌倉時代の僧。叡尊の弟子として社会事業にも力を入れました。忍性は亡くなる前、みずからの遺骨を行基の眠る竹林寺に埋葬するように指示しました。
写真は境内にある忍性の墓所。五輪塔の下からは骨蔵器が発見されており、忍性のものと考えられています。

写真:乾口 達司

こちらは忍性の墓所の脇に残されている五輪塔の残欠。現在の忍性の五輪塔は近年に建て替えられたもので、もとはこちらの残欠が忍性の墓石でした。
<竹林寺の基本情報>
住所:奈良県生駒市有里町211-1
電話番号:0743-77-8030
アクセス:近鉄一分駅から徒歩約15分

行基火葬の地とされる往生院

写真:乾口 達司

竹林寺の南西、約500メートルに位置する「往生院(おうじょういん)」は、行基が荼毘にふされたところとされています。それにちなみ、本尊としてまつられているのも行基菩薩坐像です。

写真:乾口 達司

本堂にお参りしたら、ぜひ、本堂の裏手にまわってみてください。本堂の裏手には、ご覧のような石造五輪塔が安置されています。五輪塔の総高は187.3センチメートル。南北朝時代の作で、行基の供養塔とされています。
背後の壁に打ち付けられた板塔婆も珍しいものゆえ、あわせてご覧ください。

写真:乾口 達司

往生院の周辺は「輿山古墓群(こしやまこぼぐん)」と呼ばれる古代以来の共同
墓地で、いまでも古い石造物が多数見られます。なかでも、本堂の横に立つこちらの宝篋印塔(ほうきょういんとう)は鎌倉時代中期に当たる「正元元年」(1259年)の銘を持ち、現存する宝篋印塔としては、県下でもっとも古いものです。
<往生院の基本情報>
住所:奈良県生駒市有里町575-2
電話番号:なし
アクセス:近鉄南生駒駅から徒歩約10分

絵になる風景!行基ゆかりの円福寺

写真:乾口 達司

竹林寺の西方にある「円福寺(えんぷくじ)」も行基によって創建されたとされます。写真は国の重要文化財に指定されている本堂。南北朝時代に当たる1371(応安4)の建立です。

写真:乾口 達司

円福寺にも由緒のある石造物があります。それが2基の宝篋印塔。そのうちの一基には、鎌倉時代中期に当たる「永仁元年」(1293年)の銘も残されています。
境内の高台からは、上で紹介した往生院や輿山古墓群の位置する丘陵(現在の青山台)が見渡せ、絵になる風景を見せてくれます。
<円福寺の基本情報>
住所:奈良県生駒市有里町390
電話番号:0743-77-8068
アクセス:近鉄一分駅から徒歩約20分

奈良時代の官人・美努岡萬墓

写真:乾口 達司

写真は奈良県の史跡に指定されている「美努岡萬(みののおかまろ)」の墓。美努岡萬は奈良時代の官人。1872年(明治5)、土取りの最中に、偶然、墓誌が発見され、岡萬の墓であることが判明しました。奈良時代の官人の墓所が墓誌によって明らかになるのはきわめて珍しいことです。
ちなみに、発見された墓誌は東京国立博物館に収蔵されており、国の重要文化財となっています。

写真:乾口 達司

美努岡萬の墓は丘陵の尾根に築かれているため、見晴らしは抜群。特に矢田丘陵と生駒山地にはさまれた南方の眺望に恵まれているため、こちらでゆっくり景色を眺めてみるのもいいでしょう。
<美努岡萬墓の基本情報>
住所:奈良県生駒市青山台117-134
電話番号:なし
アクセス:近鉄南生駒駅から徒歩約10分

古代以来の葬送の地である生駒をめぐろう!

いかがでしたか?生駒の地にこれだけの人たちの墓所があること、驚きではないで
しょうか?新興住宅地に点在する古代以来の史跡をめぐり、生駒の知られざる歴史を発見してください。
2023年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
竹林寺―生駒市デジタルミュージアム(外部リンク)
https://www.city.ikoma.lg.jp/html/dm/bun/shosai/chikurin/chikurin.html
往生院―生駒市デジタルミュージアム(外部リンク)
https://www.city.ikoma.lg.jp/html/dm/bun/shosai/ojoin/ojoin.html
円福寺―生駒市デジタルミュージアム(外部リンク)
https://www.city.ikoma.lg.jp/html/dm/bun/shosai/enpuku/enpuku.html
美努岡萬墓―生駒市デジタルミュージアム(外部リンク)
https://www.city.ikoma.lg.jp/html/dm/bun/shosai/minonookamaro/minonookamaro.html

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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