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母と話せるのは「叱られるとき」だけ…どうして私にだけ怖い顔になるの?【母が怖い 第2話】

■これまでの話
母は小さいころから私のことを「嘘つき」と呼び続け、私は人から愛される人間じゃないと思ってきました。

今回の話は、具体的な描写が含まれます。トラウマやフラッシュバックの可能性がある方、不快に思われる方は閲覧をお控えください。

■どうして母は私が話しかけると冷たい顔になるの?

幼少期から母に疎まれて育った私。

でも最初から母親のことが怖かったわけではありません。

初めて母の言動がおかしいと感じたのは4歳の時でした。トイレに一人で入って施錠したら、出た後に母に「あんたは鍵なんてかけなくていいの!」と叱られたのでした。小学生になってからはどんどん母親の言動に戸惑い怯えることが増えてきました。テストでいい点数を取れて、兄姉が褒められているのを小さい頃から見ていた私は同じように褒められたい一心で母にテストを見せました。しかし母の反応は「あっそう。」と冷たい一瞥のみでした。夜ご飯の最中、兄や姉と楽しそうに談笑する母親を見て、「私も!」と話しかけると母親は途端に低く怖いこえで「あっそう」と一言のみ。その後はまた兄や姉に笑顔で話し続けるのです。小学生低学年の頃の私は「お兄ちゃんやお姉ちゃんとは笑顔で話すのになんで?」「お兄ちゃんやお姉ちゃんはテストで褒めてもらってるのに、どうして私は褒めてもらえないの?」と悲しいけれど、母親の冷たい態度が怖いくてその場から立ち去っていました。

母の私への態度は、小学生になるとどんどんひどくなりました。

私には兄と姉がいるのですが、あきらかに母の兄・姉に対する態度と私に対する態度では違うのです。「兄や姉には笑顔なのに、私が話しかけると冷たい顔で声が低くなる」。そんな母に対して小学校1年生の頃には、すでに怖くて自分から声をかけられなくなりました。



■私と母の交流は怒られるときだけ

母は、日々私を怒っていました。その内容は、いつも私には身に覚えがないことばかりでした。

母は私を嘘つき呼ばわりをよくしていました。私が自分で自覚がない、記憶がないことに対しても「お兄ちゃん、お姉ちゃんは違うっていうんだからあんたでしょ!」とすごい剣幕で言われ、怖くて固まっていたことは今でもしっかり覚えています。
また別の日には…。
そして「あんたは嘘つきだからね!」と怒鳴られたり、説教が終わった後に聞こえよがしに言われることは小学生の頃はずっと続きました。

母と私の交流は、「母が私を叱るとき・怒るとき」だけ。

学校からの連絡事項など、母に伝えなくてはいけないことがあっても怖くてなかなか伝えられなかったことを覚えています。

それでも「母との交流も成長とともに変わるかもしれない」と、私はほのかに期待していました。しかし、中学生になっても私の家庭での居場所はないまま、母の態度は変わることはありませんでした。

我が家では中学生になると夜の勉強の休憩として、母親がちょっとしたおやつタイムを設けていました。兄姉と母親のその習慣を小学生の頃から羨ましく見ていた私。自分が中学生になり、いよいよ仲間に入れる!と楽しみにしていましたが、私が呼ばれることはありませんでした。
どんなにつらく当たられようとも、私は母が好き
そして一度でいいから母に愛されたい!

その思いが変わることはありませんでしたが、中学3年生になった頃には「母が私に優しくなることはないだろうな」と、漠然と思い始めていました。そしてそう思うと同時に、家での生活に危機感を持ち始めたのです。

なぜなら兄はすでに大学進学で一人暮らしをしており、姉も来年には大学進学で一人暮らしをする予定。さらには父は平日は仕事で顔を合わせることが少なく、普段から夜ご飯は母親と子どもだけで済ませていました。そうすると、必然的に来年からは母と私だけの時間が増えることに…。

中学3年になっても母親の態度は変わらず、高校進学の機会に家を出ることも考え出します。

母親と二人での夜ご飯、日々の生活…いま以上につらいものになるだろうと容易に想像できました。
高校を選ぶ時期になったら父に頭を下げて家から通えない高校に進学させてもらおう、そう心に決めたあとに、母が私をさらにおとしめる事件が起きたのです。

次回に続く!


(シャトー とん奈)

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