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RUMIKO スペシャルインタビュー「自分らしく“美しく”生きる方法」

2015-09-18 eltha

RUMIKO スペシャルインタビュー「自分らしく“美しく”生きる方法」
20代からN.Y.を拠点にメイクアップアーティストとしての活動を開始し、瞬く間に世界での成功をおさめたRUMIKOさん。その後、自らの名を冠した化粧品ブランドの「RMK」を15年間に渡ってけん引し、13年7月に卒業。世界のメイクアップ業界に大きな影響をもたらした“美の伝道師”に、夢を叶えるまでの歩みや、自分らしく美しく生きるためのヒントを教えていただきました。

なりたい自分になるために悩み、努力した日々


――メイクアップアーティストをめざしたきっかけを教えてください。
【RUMIKO】 私は小さい頃から細かい物作りが好きな少女でした。例えば、誕生日のギフトカードやバレンタインデーのチョコレートを作ったりすることには、勉強よりも夢中になるくらい(笑)。中学生になった頃からファッションや美容に興味を持つようになりました。

 あるとき、母と銀座に買い物に行った帰りに洋書のお店に立ち寄って、たまたま「フレンチ エル(『ELLE France』)」という雑誌を手に取ったんです。そこに載っていたツイッギーのメイクを見て「スゴイ!」と衝撃を受けたんです。それからは週末になると、母の化粧品を借りてメイクにどんどんのめり込むようになって。そのうちメイクアップアーティストという職業を知り、憧れるようになりました。

――渡米する前はどのように勉強をしていたのでしょうか?
【RUMIKO】 高校を卒業したら両親には大学に行くように勧められたのですが、私は美容の仕事がしたかったので、ヘアの学校に行って美容師のライセンスを取りました。でも、本当はヘアではなく“メイク”の仕事がしたかったので、改めてメイクの学校に行ったんです。当時の日本にはメイクアップアーティストという職業がなかったので、勉強したことを生かす場がなく、これは外国に行くしかないなと。

 でも両親に相談したら、父は反対、母は賛成ですごく悩みました。渡米するまでのプロセスは決してスムーズではなく、いろいろ考えた時期があったのですが、その後、ある出会いが1つのきっかけになって、20代前半で渡米しました。

――その「渡米のきっかけ」となった出会いとは?
【RUMIKO】 70年代からN.Y.で活躍していたメイクアップアーティストのリック・ジレットさんが仕事で来日していたとき、知り合いに紹介していただきました。そのとき彼が「N.Y.でメイクの仕事がしたいなら連絡してね」と誘ってくれたんです。そんな出会いにより思い切って渡米することに。

 そのときまだ英語が話せなかったので、半年くらい語学学校に通ってから彼に連絡を取って、ようやくアシスタントになったんです。絶対にこの夢を叶えたいと願い続けることと、それを達成するための努力は必要だったと思います。だけどそれだけではなく、N.Y.ではほかにもたくさんの出会いに恵まれ、その人たちの力添えによって今の私があるんだと思っています。

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