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大阪城に旧日本軍の軍需工場!?「大阪砲兵工廠」をめぐる旅

2023-05-20

大阪城といえば、大阪を訪れる旅行者が一度は訪れる有名な観光スポットです。しかし、そんな大阪城とその周辺一帯にかつて東洋一といわれる規模を誇った旧大日本帝国陸軍の巨大な軍需工場が存在したこと、ご存知ですか?それが「大阪砲兵工廠」です。今回は大阪城周辺に残る大阪砲兵工廠の遺構をめぐってみましょう。

大阪城周辺に広がっていた「大阪砲兵工廠」

写真:乾口 達司

「大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)」はかつて大阪府大阪市に存在した大日本帝国陸軍の兵器工廠。その設置は1870年。当時の兵部大輔・大村益次郎の建言により設置されました。
大阪砲兵工廠は、その名のとおり、太平洋戦争によって日本が敗戦を迎えるまで日本の帝国主義政策、対外進出を後押しする軍需施設であり、大口径の大砲などの兵器、その他の金属製品の製造などを手掛けていました。その規模は東洋一といわれるほどでしたが、現在、多くの観光客が訪れる大阪城に、かつてこのような軍需工場が存在していたことに驚く方も多いのではないでしょうか。

写真:乾口 達司

大阪砲兵工廠の設置当初の敷地は、現在の大阪城公園東側の一角でしたが、日本軍の軍備拡張にともなって次第にその敷地を広げていきました。
写真は大阪城公園の北側に位置する「大阪ビジネスパーク」。現在は高層ビルが立ち並ぶビジネス街となっていますが、かつてはここも大阪砲兵工廠の敷地にふくまれていました。

写真:乾口 達司

大阪城へのアクセス駅であるJR環状線・大阪城公園駅の東側には、現在、JR西日本森ノ宮電車区や大阪市営地下鉄森之宮検車場などが置かれていますが、1940年以降は、陸軍の城東錬兵場を吸収する形で大阪砲兵工廠の敷地が拡張されました。
大阪砲兵工廠がいかに広大な敷地を有する巨大な軍需工場であったか、その規模を知る意味でも、実際にかつての地をめぐってみましょう。
<大阪城の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
アクセス:JR大阪城駅よりすぐ

現存する旧化学分析場

写真:乾口 達司

しかし、大阪砲兵工廠はいまでは跡形もないのでは?とお考えの方も多いでしょう。確かに施設の大半は消失していますが、ごく一部、現在も残っているのです。
それがこちらの区画。明治天皇聖躅碑の側面に刻まれた「砲兵工廠」の文字、おわかりになりますか?

写真:乾口 達司

正門の奥にあるこちらの施設は、旧化学分析場 。煉瓦造の地上2階、地下1階の建物で、砲兵工廠建築部に所属していた置塩章が設計し、大阪橋下組の施工によって、1919年(大正8)に竣工したものです。

写真:乾口 達司

表門と旧化学分析場とのあいだには、ご覧のような建物もあります。こちらは当時の守衛詰所あるいはトイレであったと考えられている施設ですが、ご覧のとおり、旧化学分析場ともどもいつ解体されても不思議ではないほど老朽化しており、内部への立ち入りは禁止されています。
<旧化学分析場の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城3-30
アクセス:京阪電鉄・大阪メトロ天満橋駅より徒歩約10分

石造アーチの荷揚門

写真:乾口 達司

写真は大阪城ビジネスパークを望む位置にある石造アーチ。河川から運ばれて来た物資を荷揚げしていたところです。

写真:乾口 達司

荷揚門の付近には、ご覧のような赤煉瓦が見られます。こちらも当時の遺構であると思われます。
<荷揚げ門の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
アクセス:JR大阪城公園駅より徒歩約10分

司令部庁舎跡と兵器支廠本部門

写真:乾口 達司

大阪砲兵工廠が陸軍の軍需工場であった関係上、その隣接するところには、陸軍の施設もかつてはたくさん存在しました。
天守閣の横にあるこちらの施設は「MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)」。2017年に営業を開始した商業施設ですが、ここもかつては旧陸軍第四師団司令部の庁舎でした。
<旧陸軍第四師団司令部の庁舎の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
アクセス:JR大阪城公園駅より徒歩約10分

写真:乾口 達司

現在、大阪城の城内詰所となっているこちらの施設の門は、かつての陸軍兵器支廠本部門。敷地をとり囲む赤煉瓦も当時のものです。
<旧陸軍兵器支廠本部門の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
アクセス:大阪メトロ谷町四丁目駅より徒歩約10分

多くの犠牲の上に!空襲の痕跡

写真:乾口 達司

このように巨大な軍需工場であったため、大阪砲兵工廠はアメリカ軍の格好の標的となりました。終戦日の一日前の1945年8月14日の大空襲によって大半の施設が破壊され、大阪砲兵工廠はその機能を失っています。
写真は大阪城天守閣の北側に位置する山里丸の石垣。よく見ると、表面に破損した痕跡が見られますが、これは空襲の折の機銃掃射の跡。当時の空襲の痕跡が残されていること、ご存知でしたか?
<旧山里丸の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
アクセス:JR大阪城公園駅より徒歩約10分

写真:乾口 達司

JR京橋駅南口には、1945年8月14日の空襲によって被害を受けた民間人を弔う慰霊碑、そして、それをモチーフにした平和像も建立されています。
<慰霊碑・平和像の基本情報>
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
アクセス:JR京橋駅よりすぐ

写真:乾口 達司

写真は大阪城公園の敷地にある「ピースおおさか大阪国際平和センター」。ここでは、大阪砲兵工廠の創設からその壊滅までの経緯も詳しく解説されています。ぜひ、訪れみてください。
<ピースおおさか大阪国際平和センターの基本情報>
住所:大阪市中央区大阪城2-1
電話番号:06-6947-7208
アクセス:JRおよび大阪メトロ森ノ宮駅より徒歩約5分

大阪城公園で大阪砲兵工廠の遺構を探ろう

大阪城とその周囲で稼働していた大阪砲兵工廠がいかに巨大な軍需工場であったか、おわかりいただけたでしょうか。その規模の大きさにより、実際に各所をめぐると、かなりの時間を要します。時間に余裕を見て散策し、東洋一とうたわれたかつての大阪砲兵工廠に思いを馳せながら、平和の尊さを感じてみてください。
2023年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
大阪砲兵工廠(写真の中の明治・大正)-国立国会図書館(外部リンク)
https://www.ndl.go.jp/scenery/column/kansai/osaka_army_arsenal.html

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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