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壮麗な「オスピス ド ボーヌ」は ワインが守り伝えた中世の施療院

2023-08-01

「オスピス ド ボーヌ」。訳せば「ボーヌの施療院」。別名「オテル デュー/神の館」とも呼ばれるこの建物を造ったのは、中世に生きた一組の夫婦でした。
その夫婦の想いを繋いで20世紀まで使われ続けた建物が、現在人々に公開されています。この地方独特の鮮やかな屋根に、中世の様子がそのまま残っている屋内。ブルゴーニュワインの中心地「ボーヌ」で、ここはワインの力によって存続してきた歴史的な建造物です。

世界遺産「ブルゴーニュワイン街道」

写真:万葉 りえ

ローマ時代から2000年のワインの歴史を待ち、2015年に世界遺産になったブルゴーニュのワイン街道。ディジョンからボーヌの南のマランジュまで、1000以上の「クリマ」があり、続く丘陵に延々とブドウ畑が広がっています。
ブルゴーニュで言うクリマとはワインの区画畑のこと。長い歴史の中で、隣同士でも土や風、日照条件などでワインの出来が違う事に気づいた人々。数世紀をかけて畑を細かく区画分けしていきました。

写真:万葉 りえ

現在でも当時の境界線がほとんど変わっていないクリマ。ボルドーではシャトー(ワイナリー)ごとの格付けが一般的ですが、ブルゴーニュではクリマ単位で銘柄を分けます。このようにブルゴーニュは畑一つ一つでワインの味を昇華してきた土地なのです。
中でも特に上質なワインを生産するとして名高いのが「コートドール/黄金の丘」と言われる地域です。そこにはあの有名なロマネ コンティなどの畑も含まれます。紹介するボーヌは、その黄金の丘の中にある城壁に囲まれた古い町。
その町にある「オスピス ド ボーヌ(オテル デュー)」も、ワインとは切っても切れない歴史を持った中世の医療施設。現在ブルゴーニュの宝と言われるこの建物を造ったのは、一組の夫婦でした。では、その壮麗な施療院を見ていきましょう。

中庭からしか見ることができない見事な空間

写真:万葉 りえ

ここが出来た1443年は、まだ英仏百年戦争の影響で社会が混乱し、ペストが猛威を振るっていた時代です。町には貧困にあえぐ人々があふれていました。
そんな人々を救済しようと施療院を建てたのが、ブルゴーニュ公国の宰相だった二コラ ロランです。そこには妻ギコーヌ ド サランの大きな助言や協力がありました。そして二人はここを次世代へと繋いでいけるように心血を注いでいったのです。
入口では見学する順番が描かれた地図が渡されます。その順番通りに進めば無駄なく見学でき、しかも音声ガイドの機器は日本語もOK。では準備が出来たら中へと入っていきましょう。

写真:万葉 りえ

この施療院は当時の典型的な病院の形で、栄光の庭を囲むように4つの建物が建っています。
道路側から見るとファサード(建物正面)は厳格な印象を与えます。しかし内部はゴシック・フランボワイヨン様式の造りと、釉薬を施した色鮮やかな瓦屋根の見事な空間。しかもこの景色は中庭からしか見ることができません。
このモザイク屋根はブルゴーニュの伝統建築の特徴で、しかも豊かさの象徴でした。そんな建物を貧しい人々のために提供した夫婦。人々がここを“神の館”と呼んだ気持ちも想像できます。

神が見守る 貧しき者たちの部屋

写真:万葉 りえ

部屋へと入ればこちらの大病室があり、ここで貧しい人が無償で治療を受けていました。かなりの広さがある部屋の両壁には並ぶベッド。それでも患者が多い為、一つのベットに二人を寝かせていたといいます。
そして天井に並ぶ横木には、色鮮やかな装飾が施されています。ここには地獄を象徴する龍が描かれながらも、部屋の奥の礼拝堂からは厳かな光が注ぎます。ですから人々は神が近いことを感じながら過ごせていたのです。

写真:万葉 りえ

ここで人々の世話をしていたのは修道女達でした。厳しい試験期や修行を経なければ入れなかったという当時の修道院。生半可な気持ちではない修道女達だから、ここでの日々を送れたのかもしれません。このように再現もあるので、当時の様子を想像しやすいでしょう。

心の癒しにも重きをおいた二コラ ロラン

写真:万葉 りえ

しかし、貧しい人以外でもここに入りたいという希望者は出ます。そこで、そういう人々はこちらのサンヨーグの間に入っていました。こちらでは天井にも宗教的絵画をほどこしています。
さて、ルーブル美術館にはヤン ファン エイクの「宰相ロランの聖母」という絵画があります。フランス王よりも豊かだったブルゴーニュ公。その宰相だったロランも絵画に造詣が深かったようです。
「宰相ロランの聖母」は教会への奉納肖像画として描いてもらった物ですが、この施療院にはロジェ ファン デル ウェイデンに「最後の審判」の絵画を依頼しています。絵画によっても人々の心を癒そうとしていたのです。
この祭壇画は8年もの年月をかけて制作され、礼拝堂に飾られました。フランドル絵画の最高傑作の一つと言われており、そこにはロラン自身と妻ギコーヌの姿も描かれています。

写真:万葉 りえ

もちろんここでは食事も提供されていました。順路に沿って医療部屋や薬部屋などを見た後、厨房なども見られます。この部屋でも当時の様子が再現されているので、修道女達が大人数の食事を用意していた様がわかるでしょう。

人々を永遠に助け続けるために

写真:万葉 りえ

ロランは彼が持つ医療の知識をこの施設に注ぎ込んだだけでなく、税金を免れるために、ローマ教皇庁の庇護になるように交渉も駆使しました。しかしそれだけで何百年も維持できるわけではありません。
その活動を支えたのがワインです。財務に秀でていたロランは、永遠に続けられる寄付を受け付けたのです。それがブドウ畑の寄進でした。1457年に初めてギユメット ルヴェルニエから寄進を受けた後も、王侯貴族からぶどう畑や農園を寄進してもらい、ここはワインを造って販売する病院として維持されていったのです。
こちらはそのワインの出来を確認するために昔使われていたカップです。カップには小さなくぼみがいくつもつけられており、それでワインの色などを鑑定していました。

写真:万葉 りえ

しかも寄進を受ける際も、「オスピス ド ボーヌ」の名に恥じないワインができるかどうかを吟味したという徹底ぶり!そのため所有畑の85%が、プルミエクリュとグランクリュという高品質のぶどう畑。
こちらはショップから降りていける地下部分ですが、現在もワインを貯蔵していた頃の雰囲気が濃く残っています。
そのワインの販売も、1851年からは競売会で売られるようになりました。現在もぶどう畑を所有し、支配人が選定した生産者が栽培を行っています。

写真:万葉 りえ

その競売会もクリスティーズに委託され、世界で最も有名なワインオークションになりました。11月にあるその「栄光の3日間」には、この小さな町に世界中からワイン業者が集まり大変な賑わい。二コラ ロランの名を冠したワインも出されます。そしてその利益は、ロランと妻ギコーヌの気持ちを引き継ぎ、20世紀に移転した病院の設備やオスピス ド ボーヌの管理、福祉等に使用されます。
歳が離れていたという夫婦。先に二コラ ロランが亡くなった後も、夫を追慕していたギコーヌ。栄光の3日間で飾られるタペストリーには、彼女の夫への気持ちがデザインされているそうですよ。
町なかにたくさんのカーブがあるワインの街・ボーヌ。この町で、ワインの力で人々を助けようとした中世の夫婦へ思いをはせてみませんか。

オスピス ド ボーヌ/オテル デューの基本情報

住所:2 Rue de l’Hotel Dieu, 21200 Beaune
電話番号:+33-0-3-80-24-45-00
入館料:12ユーロ
2023年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
フランス大使館観光局(外部リンク)
https://www.france.fr/ja/
ブルゴーニュ公国の都「ディジョン」で 歴史と美食の街散策
https://www.travel.co.jp/guide/article/47506/

【トラベルjp・ナビゲーター】
万葉 りえ

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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