2021-01-12
私たちのもっとも身近にいる仏さまといえば、やはりお地蔵さまでしょう。お地蔵さまを刻んだ石仏は、街中や道端など、どこにでも見られますが、そのなかには風変わりなお地蔵さまも存在します。奈良市古市町の「油掛地蔵尊」もその一体。こちらのお地蔵さま、何と油を掛けられ続けてギトギト、ベタベタ、テカテカ!の状態で地域の人々を見守り続けているのです。今回は奈良市古市町の「油掛地蔵尊」をご紹介しましょう。
「油掛地蔵尊(あぶらかけじぞうそん)」は、奈良県奈良市古市町に鎮座する石造りの地蔵菩薩立像。
地元に残る伝承によると、昔、大雨が降り続き、近くを流れる岩井川が増水した折、川上から一体のお地蔵さまが流れてきました。それを発見した人がお地蔵さまを引きあげようとしたものの、信仰心が浅かったために引きあげることができませんでした。そこで、今度は信心深いお年寄りが試みると、何の苦もなく引きあげることができました。
その日の夜、引きあげたお年寄りの夢枕にお地蔵さまが立ち、次のように告げます。「私は子授けの地蔵である。毎日、私に種油をかけてお参りすれば、必ず子どもを授ける」と。お年寄りがそのお告げのとおり、毎日、お地蔵さまに種油をかけておがんでいると、やがてかわいい子どもを授かりました。以来、子どもを願う人たちが遠方より来訪し、お地蔵さまに油をかけるようになったとのこと。つまり、油掛地蔵尊が油まみれなのは、子授けの仏さまとして、篤く信仰されていたからなのです。
写真は油掛地蔵尊の安置されたお堂。古市町の中央にひっそりたたずんでいます。
こちらが堂内に安置されている油掛地蔵尊。全長は196センチメートル、像高は153センチメートルで、室町時代の作とされます。
ご覧のように、油にまみれて黒光りをしているのが、おわかりいただけるでしょう。
では、油掛地蔵尊を詳しく見ていきましょう。写真は上半身を撮影した一枚。錫杖を手にしていることからも、地蔵の像容であることがわかります。頭部の後ろにある丸い部分は光背を表しています。
お顔をよく見ると、鼻の部分がつぶれていますよね。そのことから、油掛地蔵尊は、別名、「鼻かけ地蔵」とも呼ばれています。いい伝えによると、昔、藤堂氏の城下で相撲がもよおされたとき、奈良出身の力士が油掛地蔵尊に勝利を祈願したものの、敗北。怒った力士が油掛地蔵尊を石で殴りつけたため、鼻が欠けてしまったのこと。その後、力士は帰り道で倒れ、やはり鼻を打って死んだそうです。
その伝承が事実かどうかははっきりしませんが、油掛地蔵尊のもう一つの側面を記した伝承であることは間違いありませんね。
写真は腹部を撮影したもの。長年にわたって油を掛けられてきたのに、右手に宝珠を持っていることなど、像容がはっきりしていますね。
足元を見ると、台座の上に立っていることもわかりますが、油が固形化しているのか、それ以上の像容についてはさすがにわかりにくくなっています。
油掛地蔵尊の足元には、ご覧のように、油が入った容器と柄杓が置かれています。
そうなのです。油掛地蔵尊は現在でも参拝者から油を掛けられ続けているのです。
油の掛け方はいたって簡単。容器から油をすくい、お願いごとをしながら、頭から掛けるだけ。もちろん、興味本位に何度も掛けることは慎みましょう。油掛地蔵尊以外のものに油を掛けることも厳禁です。
油掛地蔵尊の安置されたお堂の片隅には、たくさんの石仏も安置されています。こちらも油でベトベトです。
ご覧になってきた方のなかには、それだけ長年にわたって油を掛けられてきたら、その油が足元からあふれてしまわないかと心配される方もいらっしゃるはず。
そこはご安心ください。油掛地蔵尊の背後に目をやると、小さな水路のようなものが設置されていることに、お気づきになるでしょう。油掛地蔵尊の足元にたまった油はこちらの水路を伝ってお堂の外へと流れ出るようにしつらえられているのです。
油掛地蔵尊がいかに珍しいお地蔵さまであるか、お分かりいただけたでしょうか。油を掛けられるお地蔵さまは、全国に何体かいらっしゃいますが、実際にいまでも油を掛けられているのは珍しいこと。ぜひ、油掛地蔵尊にお参りしてみてください。
住所:奈良県奈良市古市町
アクセス:奈良交通バス「古市」バス停より徒歩約5分
2021年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
■関連MEMO
植物油が取り結ぶ“人々の願い”・・・油掛地蔵―一般社団法人日本植物油協会(外部リンク)
https://www.oil.or.jp/trivia/jizo.html
【LINEトラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司
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