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番地が渡辺!?大阪「坐摩神社」は全国の渡辺さん発祥の地

2021.03.01

大阪にある「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」をご存知でしょうか?地元では「ざまさん」と呼ばれるその神社は創建が神功皇后の時代にまで遡るという由緒があるだけでなく、なんと全国の渡辺さんのルーツともいえる神社でもあるのです。それを示すかのように、所在地の住所にもちょっとした秘密があるのだとか・・・?

大阪に謎の番地があった!?

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大阪市の中心部、船場といえば繊維問屋や銀行・証券会社、商社などが集まる大阪の商業の中心地的な存在。そんな商売の町の片隅に不思議な光景を見ることができるのです。

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突然ですが、日本の各地でよく見る電信柱や家の塀などに付いている住所を記した細長いプレートってありますよね。正式名称は「街区表示板」といい、法律に基づいて設置されているもの。誰が見ても現在地がよく分かるように記されていて、この画像のものは大阪市中央区久太郎町4丁目1番地であることを示しています。そして、この近くにちょっと変わった住所が存在しています。

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ちょうど地区の境界線で、隣りあわせの街区表示板があります。が、左側の板が何やら少しおかしいことに気づきませんか?右側は「大阪市中央区北久宝寺町4丁目4番地」なのですが、左側は「大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺」。
そうです、本来なら番地の数字が書かれる部分に「渡辺」と名前が書かれています。大阪広しといえども、人の名前が番地になっているのはここだけ。なぜこのような住所になってしまったのか!?その謎はこの住所に位置する神社にあるのです。

謎の住所にあるのは坐摩神社(いかすりじんじゃ)

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その謎の住所に位置しているのは「坐摩神社(いかすりじんじゃ)」。通称はざまじんじゃと呼ばれ、地元では「ざまさん」と親しまれる船場の氏神様。全国でも数えるほどしかない珍しい三鳥居が出迎えます。

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境内はオフィス街のビルの谷間にあるとは思えないほど広々。そんな坐摩神社の創建は古く、神功皇后が新羅より帰還の際に坐摩大神(いかすりのおおかみ)を奉斎したのが始まりとされる由緒ある摂津国一之宮。
ご祭神の坐摩大神は生井神 (いくいのかみ)、福井神(さくいのかみ)、綱長井神(つながいのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)、波比岐神(はひきのかみ)の5柱の総称で、住居守護・旅行安全・安産守護などのご神徳で知られています。

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繊維問屋が多い船場の守り神だけあって、境内には繊維神社もあります。ちなみにデパート「そごう」は、十合伊兵衛(そごういへえ)が天保元年に坐摩神社の南隣に古手屋(古着屋)を始めたのがルーツとされています。実は有名デパートゆかりの地でもあったのです。

見どころの多い坐摩神社

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また境内には火防陶器神社(ひぶせとうきじんじゃ)もあります。もともとは別の場所にあった陶器神社ですが、明治の市電敷設の際に坐摩神社の境内に移されたもの。その名の通り火除けの神を祀っていて、陶器商関係者から崇敬をあつめています。毎年夏に行われる「大阪せともの祭」は江戸時代から300年続く夏の風物詩として知られています。

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2011年には境内に「上方落語寄席発祥の地」の石碑が建立されました。これは、初代桂文治が江戸時代の寛政年間にここ坐摩神社境内で初めて寄席小屋を作ったことから。それまで大道芸に近かった落語を、室内の高座で演じるという現在につながる興行形式に改め、上方落語繁栄の基礎を築いた初代桂文治は上方落語中興の祖といわれています。

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そんな見どころの多い坐摩神社。現在の神社は豊臣秀吉が大阪城を築城する際に移転したもので、かつては旧淀川河口にあった巨大な港湾「渡辺津」の地にありました。その渡辺津に住んでいた人物こそが全国の渡辺姓の祖である平安時代中期の武将、渡辺綱(わたなべのつな)。大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋の上で鬼の腕を切り落としたなどの逸話が残されている人物で、源氏物語・光源氏のモデルとされる源融の子孫にあたります。
そして代々坐摩神社の宮司を務めるのは渡辺綱の子孫である渡辺さん!そんなことから坐摩神社周辺は渡辺町という町名になっていました。しかし平成元年の地区統合によって渡辺町は消滅の危機に。そこで渡辺姓のルーツを守るべく先代宮司が尽力を尽くし、全国の渡辺姓たちが作る会の後押しもあり、かろうじて番地に「渡辺」が残ることになったのです。これこそが坐摩神社が渡辺番地である理由だったのです。

さらに創建の地へも足を運ぼう

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ここまでの話を知れば、気になってくるのはもともと坐摩神社があった「渡辺津」の地。かつては交通の要衝の地であり、商業的な面でも重要な港であった渡辺津ですが今では地名としても残っておらず、埋め立てなどで地形も大きく様変わりしてしまっているため当時の様相を知ることはできません。
しかしかつて渡辺津と呼ばれていた地には現在石碑が建っています。京から淀川を船で下り、この地で上陸して熊野詣をしたので熊野古道への陸の起点ともされています。

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そんな渡辺津の石碑にほど近くに元々の坐摩神社があった地、「坐摩神社行宮(いかすりじんじゃあんぐう)」があります。まさにこの場所が本来の渡辺姓発祥の地!無人であり、ビルの谷間にあるこぢんまりとした空間ではありますが足を運ぶ人も多く、大事にされていることが伺える社です。

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本殿前には大きな石を囲うようにアルミ製の柵があります。この中には神功皇后が休憩の際に腰かけたという「鎮座石」が置かれています。まさに創建の逸話の通り、神功皇后が新羅から帰還した際にこの地に立ち寄ったことを物語る石なのです。この坐摩神社行宮があるのは大阪市中央区石町(こくまち)であり、一説ではこの鎮座石からついた地名だとされています。

他にも「渡辺」ゆかりの地が点在!

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坐摩神社行宮まで足を運んだのなら、もう一足伸ばして「渡辺橋」まで行ってみてはどうでしょうか。実際の渡辺津の地よりはかなり下流に位置してますが、渡辺津にちなんで江戸時代にその名がつけられたとされています。

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また都島区には大阪府の天然記念物第一号に指定された「渡辺綱 駒つなぎの大楠」があります。この一帯に広がる荘園の管理をしていた渡辺綱が、いつもこの楠に馬をつないでいた逸話からそう呼ばれています。
大阪市内には他にも「渡辺姓」にまつわるスポットがいくつか点在していますが、やはりそんな中でも坐摩神社だけは無視できない存在です。渡辺姓はそのルーツがハッキリしているとされる珍しい名字。自身が渡辺姓だという方は訪ねてみてはいかがでしょうか?

坐摩神社の基本情報

住所:大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号
電話番号:06-6251-4792
アクセス:Osaka Metro御堂筋線「本町駅」下車徒歩約3分
2021年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
坐摩神社公式サイト(外部リンク)
http://www.ikasuri.or.jp/

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提供元:LINEトラベルjp 旅行ガイド

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