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立川空襲の記憶を今に伝える坂道 立川市の山中坂と界隈坂道巡り

2021-08-20

東京、立川市の南西部、多摩川にほど近い場所にもおすすめの坂道があります。立川といえば昭和記念公園という具合に、平坦な場所のイメージがありますが、実は多摩川に面した南部エリアは起伏に富み坂道も多いエリアです。今回はそんなエリアにある山中坂を中心に、坂道に残された戦争の記憶とともにあわせて界隈の坂道やおすすめスポットなどを紹介します。

立川空襲の記憶を残している山中坂

写真:雲本 らて

「山中坂」は立川市富士見町4丁目にあり、多摩モノレール・柴崎体育館駅の西側に位置している坂道です。駅からなら徒歩で16分くらいの場所にあります。残堀川から東へカーブしながら上っている坂道で、高低差もあるため坂の途中からの眺望も楽しめます。
坂名の由来については、「山中」が坂上の地域に対する古くからの呼び名のため、そう呼ばれるようになったという説が有力です。
ちなみに川沿いに沿ってある坂上の崖上の道は江戸時代からの古道(当時の記録には「青梅道」や「五日市道」と記されているそうです)で、山中坂はこの古道から崖を下る坂道のひとつだったとのこと。そういう意味でいえば古道との関係を鑑みて山中坂もかなり古くから存在していた坂道と考えられます。

写真:雲本 らて

山中坂の途中には、昭和24年4月の立川空襲による被害者を慰霊する地蔵尊と碑文および歌碑が書かれた石碑が建てられています。
碑文には昭和24年4月4日未明、山中坂にあった横穴式防空壕にアメリカ軍のB29が投下した爆弾が直撃し、中に避難していた42名の方々が亡くなったことが記されており、歌碑にはその思いを歌った「山中坂悲歌」の歌詞が記されています。
(碑文および歌碑の詳しい内容が知りたい方は、現地で確認するか、この記事の最後にある関連MEMOのリンク先を参照してみてください)
なお地蔵尊は遺族の方が、碑文および歌碑は土地所有者や関係者の方々により空襲から50年経った平成7年に空襲での被害を忘れないようにと以前からあった地蔵尊の隣に建てられたものだそうです。

写真:雲本 らて

山中坂の坂下には残堀川が流れています。現在の川の風景とともに隣接する崖線の風景も印象的です。悲しい記憶の残る場所であることもたしかですが、そのことも含めて川の景色を見てみるとまた違った風景が見えてくるかもしれません。
<山中坂の基本情報>
住所:東京都立川市富士見町4丁目と5丁目の間
アクセス:多摩モノレール・柴崎体育館駅より徒歩16分

古道から下る横丁坂

写真:雲本 らて

「横丁坂」は山中坂と坂上でつながっている坂道です。山中坂と同じく崖上の古道から残堀川に下っている坂道です。
坂名の由来については、崖上の横町の集落の人たちが崖下の田畑の耕作の際に通った坂道であったからという説が有力です。
<横丁坂の基本情報>
住所:東京都立川市富士見町5丁目
アクセス:多摩モノレール・柴崎体育館駅より徒歩14分

姿が変わっている馬場坂

写真:雲本 らて

「馬場坂」は、横丁坂と坂下でつながっており、そこから南東に上っている坂道です。坂上あたりで急カーブをしている形状のため景色を楽しむという点でみても楽しい坂道です。
また昭和59年に都営アパートが崖上に建てられた際、坂の崖面が削られましたが、それにかわり現在のコンクリートの擁壁が坂道の途中に顔をのぞかせており、当時の垂直感を今に伝えています。
坂名の由来については不明です。ただ都営アパートが建てられる際に、貝殻層が露出してたくさんの貝化石が採取されたことから、別名で「貝殻坂」とも呼ばれているそうです。

写真:雲本 らて

馬場坂は坂上で北側に向かって急カーブしてJR中央線と平行に走っている道と合流します。坂上は高低差のある崖上のため、坂道からの景色も印象的です。
<馬場坂の基本情報>
住所:東京都立川市富士見町5丁目
アクセス:多摩モノレール・柴崎体育館駅より徒歩12分

馬場坂の痕跡と眺望

写真:雲本 らて

馬場坂とJR中央線を挟んで北東側には普済寺があります。その普済寺の裏手には、北西側(JR中央線にむかって)に崖を下る坂道があります。
馬場坂はJR中央線の線路が造られる以前、普済寺周辺の集落の人たちが崖下の田畑の耕作に利用した坂道であったという史実があります。この史実を考慮すると、どうやら普済寺の裏手のJR中央線にむかって下っている坂道はかつての馬場坂である可能性が高いと専門家筋では言われています。地図で確認してみてもちょうどJR中央線を挟んで一直線になっており形が一致します。

写真:雲本 らて

ちなみに普済寺の裏手のJR中央線にむかって下っている坂道の坂上からは崖上の景色も堪能できます。タイミングが合えば富士山も見えるかもしれません。
なお普済寺と富士山の関係については、普済寺が臨済宗の有名な寺院ということもあり江戸名所図会の「芝崎 普済寺」にも描かれています。絵図には境内の様子とともに崖上からの多摩川を挟んだ富士山の見える景色が描かれています。
ぜひ現地ではタイムトリップ気分で、この歴史に取り残された坂道も歩いてみることをおすすめします。

多摩川と富士山

写真:雲本 らて

これまでに取り上げた3つの坂道から南側に、徒歩でいうと5分くらいの場所はもう多摩川河川敷です。河川敷には遊歩道はもちろん自転車コースも整備されていて、車は入れない場所ですのでのんびりと多摩川の雰囲気や景色を楽しめます。
また、このあたりの河川敷からは季節問わず、天気のいい日にタイミングがあえば富士山を遠くに眺めることもできます。

歴史を知ることで違った景色が見えてくる坂道

今回は立川市の山中坂と界隈の坂道などを取り上げてみました。このあたりは立川空襲の悲しい記憶が残る山中坂にはじまり、JR中央線により分断された馬場坂など、歴史を知るとまた違った視点でみることができる坂道が固まって存在している興味深い場所だと思います。ぜひタイムトリップ気分で歩いてみることをおすすめします。
2021年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
総務省|一般戦災死没者の追悼|戦災供養地蔵尊(外部リンク)
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tokyo_tachikawa_city001/index.html
玄武山 普濟寺(外部リンク)
https://www.fusaiji.or.jp/

【トラベルjp・ナビゲーター】
雲本 らて

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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