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トルコの世界遺産「エフェス」にはエジプト王家の夢と野望も眠る

2022-12-28

東西、南北の人と文化が行き交った国「トルコ」。とくにエーゲ海側は古代から様々な民族の影響を受けてきました。有名な「トロイの木馬」の舞台や、最も美しいと言われたペルガモン王国の都など、古代ロマンがたっぷり。
そんな中でエーゲ海随一と言われるほど巨大な都市の跡が残っているのが「エフェス(エフェソス)」です。ここにはあのエジプトの女王だったクレオパトラも滞在。そんな街をあなたも歩いてみませんか。

長い歴史の中で、いくつも表記された「エフェス」

写真:万葉 りえ

ギリシャやローマなどの国の一部となったこともあり、英語ではエフェソス、古代ギリシャ語関連ではエペソスなどとも表記され、トルコ語ではEfesと書かれる「エフェス」遺跡。ここは栄えた期間も長く、華麗さやスケールの大きさ、遺跡の多さで群を抜いている世界遺産です。

写真:万葉 りえ

紀元前2000年頃に人が住み始め、紀元前11世紀にはイオニア人(古代ギリシャを構成した集団の一つ)がやってきて、アルテミス神殿を中心に町を作ります。
そんな古代ギリシャ時代や、ペルシャ、ヘレニズム時代と時が流れ、ローマの時代に大繁栄を迎えました。古代海上貿易で活気に満ちていた大都市エフェス。その面影をたどる時間旅行へと入っていきましょう。
遺跡には南北二か所に観光用入り口があり、南からだと緩やかな坂道を下りながら町の中心へ進むようになっています。

勝利の女神にクレオパトラの妹?も 見どころ並ぶクレテス通り

写真:万葉 りえ

並んだアーチが特徴的なヴァリウスの浴場跡などを見ながら進んでいくと、「ヘラクレスの門」へと至ります。現在はヘラクレスのレリーフが刻まれた柱だけですが、建設時は2階建ての凱旋門だったと考えられています。この門を境にして、上が行政の地域、下が市民の地域になっていました。
その近くに門のアーチを飾っていた女神像が置かれています。こちらがスポーツ用品などを扱う「NIKE」名前のもとになった「勝利の女神ニケ」です。

写真:万葉 りえ

門から下へと、クレテス通りと名がついた道をいけば、左側は富裕層の住宅街。そこには今も鮮やかなモザイクの床が残されています。
さらに進めば道端に「オクダゴン」と表記された八角の建造物があります。その崩れかけた石積みの中から一体の女性の骨が出てきています。当時の墓地は別の場所に作られるので、これはかなり高貴な人物への特別な扱い。考えられるのが「アルシノエ4世」。あの有名なエジプトの女王クレオパトラ7世の実妹です。
ローマの実力者カエサルと手を組んだクレオパトラと、弟のプトレマイオス13世が王位をめぐって対立します。プトレマイオス側に味方したアルシノエ。クレオパトラ側が勝ったので、ローマに連行されて処刑される予定でした。しかし幼いアルシノエにローマ市民が同情します。そこで彼女は処刑を免れエフェスに連れてこられたのでした。
そして数年後。カエサル亡き後、ローマの実力者の一人となったのがアントニウス。今度は彼と組んだクレオパトラによって、アルシノエはこの街で亡くなったようです。

エフェスの繁栄を今に伝えるケルススの図書館

写真:万葉 りえ

クレテス通りの右側には「ハドリアヌス神殿」が残ります。2世紀前期にハドリアヌス帝にささげられたもので、大きくありませんが見ごたえのあるレリーフが残っています。
アーチの上部、中央には女神ティケ。その後方にはメドゥーサがおり、他にも神々や皇帝の姿がにぎやか。横側からも見られるので、内部の装飾がよく確認できます。

写真:万葉 りえ

クレテス通りを下りきると大きく見えてくるのが、エフェス遺跡のシンボル的な存在になっている「ケルスス(セルシウス)の図書館」です。
建てられたのは135年。1万2000巻の蔵書は、エジプトのアレキサンドリアやペルガモンに次ぐ規模で、世界三大図書館の一つに数えられています。
※ペルガモン(ベルガマ)の遺跡については関連MEMOからどうぞ

写真:万葉 りえ

実はここはアジア州総督だったケルススの墓所。彼を讃えるために、その上に息子が図書館を建てたのです。
現在はファサード(建物正面部分)が残るだけですが、コリント式の柱の奥には、英知、徳、思慮、学術の4つを表すといわれている女性像(レプリカ)が立っています。
ぜひ近くに寄ってみてください。柱や梁などに大変細緻で華麗な装飾が施されているのが確認できます。いかに壮麗な建物であったか、そしてエフェスという街がいかに繁栄していたかが想像できるでしょう。

昔も今も変わらない人の行動

写真:万葉 りえ

こちらは当時の公衆トイレで、すでに水洗式。おしりを洗うものまで用意されていたという時代を先取りしたものでした。人々のコミュニケーションの場の一つだったようで、仕切りはありません。しかも中央台座部分では音楽の演奏もあったというから驚きです。
残念?ながら、ロープが張られており現在は使用できません。あしからず。

写真:万葉 りえ

そして、この古代の港町には娼館もありました。石に彫られたハートや足跡のマークはその看板と言われ、足のつま先方向に娼館があると示しています。
この足型より小さい人はお断り。また、ケルススの図書館から娼館へと通じる地下道を当時の紳士が奥様に見つからないように利用していたとか…そんな話が残っている世界最古の広告です。

写真:万葉 りえ

さらに進んで、マーブル(大理石)通りの終わりにあるのが、山の斜面を利用して造られた野外劇場です。収容人数が24000人という巨大さは、数ある遺跡の中でも最大級。
その辺りからかつて港があったほうへとアルカディアン通りが延びます。ここには商店が軒を連ね、夜には灯がともされていました。当時街灯があったのは、エフェス以外にはアレクサンドリアとローマだけ。
紀元前33年、そんな街に滞在していたのが、クレオパトラと、彼女にぞっこんだったアントニウスです。きっとこの辺りも連れ立って歩いたことでしょう。
ローマ帝国の一部だったトルコ南部を彼女にプレゼントし、ローマに妻がいながらクレオパトラと重婚したアントニウス。そんな二人にローマの人々は怒りを覚えます。そして戦いへと至った末の紀元前30年、約300年続いたエジプトのプトレマイオス朝は終焉をむかえたのでした。
さて、先に紹介したオクダゴンから出てきた人骨ですが、調査され、クレオパトラと同じくギリシャ系の血が入っていることもわかっています。頭骨のデータから容貌も描かれているのですが、それはもしかしたらクレオパトラと似ているのかもしれません。

ローマ教会も承認する聖母マリアの晩年の家

写真:万葉 りえ

クレオパトラの夢もついえ、異民族の侵入、繁栄の礎である港が埋まるなど、人々がいなくなり遺跡となっていったエフェス。
アルカディアン通りまで行けば、北の入り口はすぐです。こちらには店も多いので、この遺跡らしいお土産も見つかるでしょう。
北入口の近くにはエフェス初の教会だった聖母マリア教会の遺跡も残っているのですが、エフェスの南9kmにある聖母マリアの家もおすすめです。聖母マリア本人が晩年を暮らしたと伝わる石造りの家。聖母マリア最期の地としてバチカンにあるローマ教会も承認しており、世界中から巡礼者が訪れています。

写真:万葉 りえ

しっかり見学した後は、この地の美味しいものをいただきましょう。名物になっているのが「チョップシン」。見た目は焼き鳥に似ていますが、羊肉を小さく切って串刺しにして焼いたものです。
様々な権力が渦巻く中で繁栄し続け、学問や芸術が花開いていたエフェス。そんなことを思いながら、ゆっくりと羊肉の柔らかさと香ばしさを味わってみてください。
夏季は紫外線対策と水分補給を忘れずに。どうぞ、トルコで、良い旅を。

エフェス(エフェソス)遺跡の基本情報

住所:Acarlar, Efes Harabeleri, 35920 Selcuk/Izmi
定休日:なし
アクセス:セルチュク市街から徒歩約40分
2022年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
クレオパトラの逸話も残る古代都市 世界遺産トルコ「ベルガマ」
https://www.travel.co.jp/guide/article/12774/
きっかけは美人コン!トルコ「トロイの木馬」の舞台はこんなところ
https://www.travel.co.jp/guide/article/46560/

【トラベルjp・ナビゲーター】
万葉 りえ

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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