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池の上を走る機関車!?奈良県「天理軽便鉄道」廃線探訪

2023-02-16

世界遺産・法隆寺の最寄り駅である「法隆寺駅」。現在、法隆寺駅を通っているのはJR関西本線の一本だけですが、戦前まではそこから別の路線がのび、天理市内まで乗客を運んでいたこと、ご存知ですか?
鉄道の名は「天理軽便鉄道」。天理軽便鉄道の痕跡はかつての沿線沿いにいまも見られ、往時をしのぶことができます。今回は天理軽便鉄道のなかでも特に、新法隆寺駅―平端駅間の廃線跡(法隆寺線)をご紹介しましょう。

西側の出発点!「新法隆寺駅」の痕跡

写真:乾口 達司

「天理軽便鉄道(てんりけいべんてつどう)」は新法隆寺駅―天理駅間を結んでいた鉄道路線。天理教の本部へ参拝する信徒の旅客輸送を目的として、1915年2月7日、運輸営業を開始しました。路線距離は約9キロメートル。開業当時の軌道幅が76.2センチメートルのいわゆる「ナロー・ゲージ」(特殊狭軌線)で、1928年、ガソリンカーに切り替わるまではドイツ・コッペル社製の蒸気機関車が稼働していました。
写真はそんな天理軽便鉄道の西側の始発駅となっていた「新法隆寺駅」の跡地。新法隆寺駅は、現在のJR法隆寺駅南側のロータリー付近にありました。

写真:乾口 達司

1920年、天理軽便鉄道は経営不振がたたって大阪電気軌道に経営を譲渡。運輸開業から6年たらずで企業としての役割を終えました。その後は大阪電気軌道天理鉄道線として営業が継続されるものの、戦時中は不要不急線と位置づけられ、1945年2月11日、新法隆寺駅―平端駅間が運休。その後、廃線となりました。ちなみに、平端駅―天理駅間は現在の近鉄天理線として路線が残されています。
新法隆寺駅周辺でも駅舎や線路は撤去され、当時の賑わいを知ることはできません。しかし、西和警察署法隆寺駅前交番の東側には、ご覧のように路線の跡と思われる地割を確認することができます。

写真:乾口 達司

そのすぐ東側を流れる用水路には、レンガ積みの遺構が残されています。これは当時の橋台跡。この上に線路が敷設され、天理駅へと向かう蒸気機関車が走っていました。
<新法隆寺駅跡の基本情報>
住所:奈良県生駒郡斑鳩町興留9丁目1
アクセス:JR関西本線「法隆寺駅」よりすぐ

田畑にはっきりと残る廃線跡

写真:乾口 達司

レンガ積み橋台の遺構はほかでも見られます。
写真は新法隆寺駅跡から北東300メートルほどのところに残る橋台跡。線路はこの橋台を通過し、写真の奥(北東)へとのびていました。

写真:乾口 達司

この付近では、廃線跡が田畑のなかを通る農道として残されています。
左手に見えるのは、JR関西本線。新法隆寺駅を出発した天理軽便鉄道はしばらく当時の国鉄関西本線と並行する形で走っていました。

写真:乾口 達司

線路は、その後、富雄川を渡ります。
写真は富雄川の西側から新法隆寺駅跡方面を撮影したものですが、川を渡るため、線路を下から支えていた築堤がいまなお高く盛りあげられているのがおわかりいただけるでしょう。
<橋台跡の基本情報>
住所:奈良県生駒郡斑鳩町阿波
アクセス:JR関西本線「法隆寺駅」より徒歩約10分

池の上を通る廃線跡

写真:乾口 達司

富雄川を渡った線路は、木戸池の中央を東西に横断するようにのびていました。まさしく池の上を走る鉄道!この上を蒸気機関車が走っていたとは、何とも不思議な光景だったでしょうね。

写真:乾口 達司

池の上にのびる築堤をよく見ると、池の中央付近で途切れているのが確認できます。鉄道によって分断された池の水を南北両側に流すため、あえて築堤を作らなかったのです。ここでもレンガ積み橋台が見られます。
<木戸池遺構の基本情報>
住所:奈良県生駒郡安堵町西安堵
アクセス:JR関西本線法隆寺駅より徒歩約20分

写真:乾口 達司

新法隆寺駅の次の駅は「安堵駅(あんどえき)」。安堵駅は現在の安堵駐在所の付近にありましたが、当時の駅舎の痕跡はありません。
<安堵駅跡の基本情報>
住所:奈良県生駒郡安堵町東安堵931-1(安堵駐在所)
アクセス:JR関西本線法隆寺駅より徒歩約30分

築堤跡?東へとのびる廃線跡

写真:乾口 達司

安堵駅を出た鉄道は、現在の奈良県道109号天理斑鳩線沿いに東進。当時の路線図と照合すると、天理軽便鉄道は写真のあたりを走っていましたが、ご覧のように、路線は田畑に変わっています。

写真:乾口 達司

田畑に残る写真の盛り土は東西にのびており、天理軽便鉄道の路線図とも重なります。当時の築堤の痕跡かも知れません。実際に現地におもむき、ご自身の目でお確かめください。

写真:乾口 達司

天理軽便鉄道の痕跡がふたたび現れるのは、太平食品工業関西工場の裏手(東側)から。このまっすぐにのびる道こそ、当時の路線の跡です。

平端駅付近の遺構

写真:乾口 達司

先ほどご紹介した道が奈良県道108号大和郡山広陵線と交差する写真の付近に、安堵駅の次の駅となる「額田部駅(ぬかたべえき)」がありました。
<額田部駅跡の基本情報>
住所:奈良県大和郡山市額田部北町
アクセス:近鉄橿原線「平端駅」より徒歩約10分

写真:乾口 達司

現在の近鉄平端駅付近にも、当時の築堤の遺構が見られます。このあたりに天理軽便鉄道の「平端駅(ひらはたえき)」がありました。
天理軽便鉄道はここからさらに天理方面へとのびており、その路線は現在の近鉄天理線と重なっています。

写真:乾口 達司

民家の裏手にも当時の築堤の遺構らしきものが見られます。かつての天理軽便鉄道がいまなお地域社会にとけ込んでいる証ですね。
<平端駅跡の基本情報>
住所:奈良県大和郡山市昭和町
アクセス:近鉄橿原線「平端駅」よりすぐ

天理軽便鉄道の廃線跡をめぐろう!

廃線から半世紀以上を経てなお天理軽便鉄道(法隆寺線)の遺構が各所に残されていること、おわかりいただけたでしょうか。田園風景の広がるなか、かつて蒸気機関車が走っていたことを想像しながら廃線跡をたどり、天理軽便鉄道の往時を懐かしんでください。
2023年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
天理軽便鉄道―奈良県立図書情報館(外部リンク)
https://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/2013kikakuten/tenri_small.pdf

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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