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「巽」は方角だらけの街!オモシロ地名をめぐる大阪市の旅

2023-12-19

大阪市生野区に「巽」と呼ばれる地区があること、ご存知ですか?「巽」は「巽東」「巽北」「巽南」など、「巽」の名を冠した複数の町名によって構成されていますが、「巽」がそもそも「南東の方角」を示す言葉であることを踏まえると、それらはいずれも方角を示した地名にさらに方角を示した言葉を重ねた町名であることがわかります。まさしく方角だらけ!今回はそんな「巽」の地をめぐり、その知られざる歴史をご紹介しましょう。

大阪城の南東の地にある「巽」

写真:乾口 達司

「巽北」「巽東」「巽南」「巽西」「巽中」の5つの町名から構成される「巽」の地は、大阪市の東部を南北に走る内環状線を主軸として、その東西に大きく広がっています。
写真はそんな内環状線を撮影した一枚。ビルなどが立ち並ぶ、ごくありふれた地区のように見えますが、その周辺には「巽」ならではの由緒来歴を示すものが点在しています。

写真:乾口 達司

「巽」の名は、そもそも、1889年(明治22)の町村制施行にともない、「西足代村」「大地村」「四条村」「矢柄村」「伊賀ヶ村」の5つの村が合併したときに名付けられたもの。大阪の街のシンボルというべき大阪城から見て「巽(南東)」の方角に位置していることから、村の名に選ばれたとされます。
写真はそんな「巽」に置かれていた町役場跡の石碑。記念碑のほかに案内板もあるため、そちらを参考にして、「巽」の由緒来歴と往時の村の広がりを学びましょう。

「巽」の名を持つ表示板

写真:乾口 達司

かつての村名がそれぞれ「西足代」「大地」「四条」「矢柄」「伊賀ヶ」という字名に変更される一方、「巽」の名の付いた地名や名称が各所に出現しました。
たとえば、こちらの交差点の名は「巽東2」です。もちろん、その名称は現在の巽東2丁目に位置する交差点であることにちなみますが、「巽(南東)」の方角にある「東の方角」の2丁目とは、よく考えると、混乱必至の名称です。

写真:乾口 達司

内環状線の下を走る地下鉄・大阪メトロ千日前線の駅名にも「北巽駅」と「南巽駅」があります。
興味深いのは、「巽北」方面にある駅名が「北巽駅」で、「巽南」方面にある駅名が「南巽駅」であること。何か変だと思いませんか?本来であれば、「巽北駅」や「巽南駅」でいいはず。しかし、「北巽駅」は実際には「巽北」「巽中」「巽東」の境界線上にあり、「巽北駅」とは名付けづらいわけです。「南巽駅」の場合も「巽中」と「巽南」の境界にあり、やはり同様。したがって、それぞれの駅名は広域地名としての「巽」の北寄り、南寄りにあるという意味で名付けられているのですが、「巽(南東)」の方角にある地区であることは同じなのに、そこに「巽北」やら「巽中」やら「巽東」やらが存在するため、こういった妥協的な駅名になってしまうわけですね。
境界問題、恐るべし、です。

いまも残る旧村名の痕跡

写真:乾口 達司

その一方、「巽」の名が普及してもなおかつての村名の痕跡も見られます。
たとえば、平野川分水路にかかる写真の橋の名称は「四条橋」。もちろん、かつての四条村に位置していることから名付けられた名称です。

写真:乾口 達司

こちらは「巽伊賀ヶ公園」。公園の横にはお祭りの際に出動するだんじり(地車)の保管庫もありますが、そこにも「伊賀ヶ」を意味する「伊」の名が記されています。

写真:乾口 達司

かつての矢柄村に位置するこちらのお堂の名は「矢柄地蔵尊」。「享保十四」の銘文のある写真の鰐口をご覧ください。「河州渋川郡矢柄村」と記されているのが、おわかりいただけるでしょう。
村名から字名にあらためられたとはいえ、地元民にとって、かつての村名はいまも大切に受け継がれているのですね。

「巽神社」と消滅した各村の神社

写真:乾口 達司

巽神社は、その名のとおり、「巽」の総鎮守というべき社。例年の夏祭りや秋祭りでは、それぞれの地区から出動するだんじりが巽神社に宮入りすることからも、総鎮守としての巽神社の地位の高さがうかがえます。
しかし、こちらの巽神社ももとは大地村にあって八幡神社と呼ばれていました。それが、1907年(明治40)、周辺の各村に鎮座していた神社を合祀し、現在の社名にあらためられたものなのです。

写真:乾口 達司

巽伊賀ヶ公園の横にあるだんじり保管庫の側壁には、「天満宮」と刻まれた社名額が掲げられています。
社名額はこの地にかつて「伊賀ヶ天神社」と呼ばれる神社が存在し、後に巽神社に合祀され、消滅したことを物語っています。

写真:乾口 達司

かつての矢柄村に鎮座していた熊野神社も同様。現在は大きな石碑だけが残されています。

「巽」ゆかりの旧跡

写真:乾口 達司

写真は楠正長の旧跡を示した石碑。正長は、鎌倉幕府の打倒にすぐれた功績をあげた武将・楠正成の孫にあたる人物とされ、かつてここに鎮座していた天神社の境内に隠棲していたといわれています。
あの楠正成の孫が「巽」に暮らしていたこと、ご存知でした?

写真:乾口 達司

法泉寺の起こりは、室町時代の安芸国の国人・毛利豊元の末裔に当たる小早川某が矢柄村にたどりつき、仏道に励んだことに由来します。ある夜、境内の東南隅にあった古井戸から大蛇が飛び出し、泉の湧き出す夢を見たところ、実際に清水が湧き出したとのこと。その霊水が地元民から「宝の泉」と呼ばれたことにちなみ、寺名が法泉寺となったのでした。
楠正長の旧跡といい、法泉寺の由緒来歴といい、「巽」にはさまざまな歴史が堆積していることがわかります。

写真:乾口 達司

法泉寺のあたりを散策すると、ご覧のような古い道標も見られ、「巽」が古くから街道の交差する要衝の地であったこともわかります。

方角に方角を重ねたオモシロ地名「巽」の地をめぐろう

方角名に由来する「巽」の地が、思いのほか、豊かな歴史を有する地区であること、おわかりいただけたでしょうか。「巽東」や「巽西」といった町名のほか、「北巽駅」「南巽駅」のように、それぞれの町名をひっくり返した駅名まで存在しており、方角に方角を重ねた独特の名称に面白みを感じる方も多いはず。方角名が氾濫する「巽」を散策し、街歩きを楽しんでください。
2023年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
巽神社(外部リンク)
http://www7b.biglobe.ne.jp/tatsumi_jinja/history.html

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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