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黄色い可憐な蝋梅が咲く!奈良・明日香村「八釣」「大原」を歩く

2024-01-15

奈良県明日香村の八釣の里は、明日香が日本の首都だった頃、顕宗天皇の八釣宮があった地ともいわれ、のどかな農村風景の中に歴史の息吹が感じられます。また八釣は、黄色い可憐な花を咲かせる蝋梅(ロウバイ)の名所で一足早い春の訪れを感じることができます。さらに隣接する大原の里は、藤原鎌足の産湯の井戸跡や鎌足の母、大伴夫人の墓とされている円墳が残る場所。蝋梅の甘い香りに癒されて八釣・大原の里を歩いてみませんか?

蝋梅の名所として知られる「八釣の里」

写真:モノホシ ダン

蝋梅の名所として知られる明日香村の北部「八釣(やつり)の里」は、奈良・大和路の風景を撮り続けた写真家の故入江泰吉氏が好んで通った場所です。
長閑な八釣の風景のポイントは、大和棟造りの民家と蝋梅です。集落を見下ろすことができる高台からは、遠くに二上山、その手前に畝傍山、そして甘樫丘が見えます。

写真:モノホシ ダン

冬の季節、八釣の里を歩いてみると、いたるところに蝋梅が植わっていることに気づきます。蝋梅の木は、この地区を流れる八釣川の左右にあり、青空をバックに何本もの蝋梅がまとまって咲いている様子は圧巻です。

写真:モノホシ ダン

八釣の里の蝋梅の見ごろは例年、1月下旬から2月初旬です。約2cmほどの黄色い可憐な花は、下向きに咲くのが特徴です。蝋梅は、中国原産の落葉低木で、日本には江戸時代に渡来したといわれています。
名前の由来は、花びらが蝋細工のようであることから、また、旧暦12月の別名、臘月(ろうげつ)に梅に似た花を咲かせることからこの名前で呼ばれるようになりました。
蝋梅は名前に「梅」の字が入っていますが、ウメ科ではありません。ロウバイ科ロウバイ属の植物です。香りは、梅のように爽やかな香りではなく、甘く優しい香りです。

皇統断絶の危機を救った顕宗天皇と仁賢天皇

写真:モノホシ ダン

八釣の里の東側の入口には、素朴な庚申塚と道標地蔵が立っています。道標地蔵には「左 はせ道」の文字があり、長谷寺への参詣道として古くから人々の往来があったことがわかります。

写真:モノホシ ダン

冒頭でもご紹介しましたが、八釣は、第23代顕宗天皇(けんぞうてんのう)の近飛鳥八釣宮があった地です。写真は、鬱蒼とした社叢に囲まれた八釣の弘計皇子神社(をけのみこじんじゃ)。
弘計皇子(のちの顕宗天皇)は、専制君主として名高い第21代雄略天皇に政敵として暗殺された市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の子供です。
弘計皇子は、父が殺害されると、身の危険を感じ、兄の億計皇子(おけのみこ)とともに丹後から播磨へと逃れ、隠棲生活を行いました。

写真:モノホシ ダン

雄略天皇の子であった第22代清寧天皇には、あいにく子供がいませんでした。このままでは皇統の血筋が途絶えてしまうため必死の捜索が開始され、避難していた弘計王と億計王の兄弟を播磨で発見、皇室の危機はひとまず回避されました。
その後、弟の弘計王が顕宗天皇として即位し、死後は、兄の億計王が第24代仁賢天皇(にんけんてんのう)として即位しました。
第23代顕宗天皇が祀られる弘計皇子神社の本殿は、覆屋がついた形式の建物となっています。のどかな八釣の里で、蝋梅と知られざる歴史のエピソードを楽しんでください。
<八釣の里の基本情報>
住所:奈良県高市郡明日香村八釣
電話番号:0744-54-9200(明日香村地域振興公社)
アクセス:奈良県立万葉文化館から徒歩約15分 車利用の場合は、奈良県立万葉文化館 無料駐車場利用

『万葉集』にも歌われた大原の里とは

写真:モノホシ ダン

八釣の里に隣接する「大原の里」は、今は“小原”と書く藤原氏のゆかりの里でもあります。大原神社は、中大兄皇子の腹心だった藤原鎌足の誕生地で、ここには「大織冠(たいしょっかん)誕生之旧跡」と刻まれた石碑も建っています。
大織冠とは、天智天皇が死の床にあった中臣鎌足に「藤原」の姓とともに授けた、大化の改新後に定められた冠位制で最高の冠位で、正一位に相当します。

写真:モノホシ ダン

大原神社の裏手には、「藤原鎌足 産湯の井戸」があります。産湯の井戸は、夏は雑草に覆われてしまうので、見学にはほかの季節に訪れたほうがおすすめです。

写真:モノホシ ダン

ほかに大原の里は、『万葉集』に歌われた地としても有名です。大原神社の前には、天武天皇が后の藤原夫人がかわした歌が万葉歌碑として遺されています。
「私の住む里に大雪が降ったぞ。そなたの古びた大原の里に雪が降るのは、ずっと後のことだろう」と、無邪気にからかう天武天皇の歌に藤原夫人は返して、「私が住む岡の水神に祈って、降らせた雪のかけらがそちらの里に降ったのでしょう」と負けていません。
ちなみに藤原夫人とは、藤原鎌足の娘、五百重娘(いほへのおとめ)のことで、じつに両者の仲睦まじさを感じられるユーモアたっぷりな歌といえるでしょう。

大原の里は“藤原氏の発祥の地”

写真:モノホシ ダン

大原神社のすぐ向かい側には、藤原鎌足の母とされる「大伴夫人(おおともぶにん)の墓」があります。こじんまりした円墳で、石碑と小さな仏さまが建っています。

写真:モノホシ ダン

万葉文化館側から眺めた大伴夫人の墓は、一見、ただの丘に見えます。墓は東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mの円墳です。まさに大原の里は、隆盛を極めた“藤原氏の発祥の里”と言っても過言ではありません。
<大原の里の基本情報>
住所:奈良県高市郡明日香村小原
電話番号:0744-54-9200(明日香村地域振興公社)
アクセス:奈良県立万葉文化館から徒歩約10分 車利用の場合は、奈良県立万葉文化館 無料駐車場利用

八釣・大原の里で蝋梅と歴史体験の旅を楽しもう

いかがでしたか。ほかにも八釣・大原の里の近くには、『万葉集』をテ-マとする博物館「奈良県立万葉文化館」、天下の奇祭“おんだ祭”で知られる「飛鳥坐神社」などの見どころがあります。どちらも徒歩圏内ですのであわせて訪れてみてはいかがでしょうか。
2024年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
飛鳥観光協会(外部リンク)
https://www.asukakyo.jp/
奈良県立万葉文化館(外部リンク)
https://www.manyo.jp/

【トラベルjp・ナビゲーター】
モノホシ ダン

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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