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首?首?首!?悲しい歴史をいまに伝える岡山「金谷首塚様」

2024-01-21

岡山県岡山市と兵庫県赤穂市とを結ぶ県道96号線を通ると、吉永地区と三石地区とのあいだで不思議な案内板を見掛けます。案内板に記されている文字は「金谷首塚様」。え?首?塚?そこに「様」までついているではないですか!
「首塚様」とはいったい何?今回は岡山県備前市の「金谷首塚様」と呼ばれるものの正体に迫り、首塚様に伝わる悲しい歴史をご紹介しましょう。

岡山県備前市の「金谷首塚様」

写真:乾口 達司

「金谷首塚様(かなだにくびづかさま)」があるのは、岡山県備前市吉永町の金谷地区。すなわち、金谷首塚様は金谷地区にある首塚を意味しています。
岡山県岡山市と兵庫県赤穂市とを結ぶ県道96号線を吉永地区から三石方面へと向かうと、「金谷首塚様」と記された案内板が目に飛び込んできます。ここをはじめて通る人は、「首塚様」という文言に、一瞬、ギョッとするのではないでしょうか。

写真:乾口 達司

金谷首塚様は、金谷地区の南方を東から西へと流れる金剛川の近くに鎮座していま
す。案内板と同様、「金谷首塚様」と記された立て看板や幟が立っているため、道に迷うことはないでしょう。

南北朝の動乱に由来する金谷首塚様

写真:乾口 達司

金谷首塚様が築かれたのは、南北朝時代初期の延元年間。1338年(延元3 )4月(史実としては1336年)、南朝方の新田義貞の軍勢が金谷地区の南方に位置する北朝方・赤松氏の馬転山城を攻め落としたことにちなみます。
馬転山城の落城後、新田勢は金剛川の河原にて敗者側の首実験をおこない、現在、首塚様の位置する地に首を埋葬。金谷の村人たちがこれを憐れみ、供養のための塚を築いたのが、首塚様の由来です。
現在、塚には五輪塔や南無阿弥陀佛と刻まれた石碑が建立されており、菩提を弔うために築かれた塚であることを示しています。

写真:乾口 達司

金谷首塚様にある、小さな五輪塔。こちらの小さな五輪塔がそもそもの塚(供養塔)であったのでしょう。

写真:乾口 達司

塚の前には真新しい供物がそなえられています。線香も焚かれていることから、首塚様が現在も地域住民の崇敬を集めていることがわかります。

こちらにも首が!塚の前の祠

写真:乾口 達司

首塚様と向かい合うように、小さな祠もあります。

写真:乾口 達司

祠のなかには、石造りのお地蔵さまのほか、握り拳大の石を首に見立てたものも安置されており、こちらもやはり首塚様を供養する目的で設けられた祠であることがわかります。

首から上の病に霊験あり!?首塚様に奉納された河原石

写真:乾口 達司

もう一度、首塚様の周囲をよくご覧ください。ご覧のように、南無阿弥陀佛と刻まれた石碑の根本に、握り拳大のたくさんの石が敷き詰められているのが、おわかりいただけるでしょう。
これは参拝者から奉納されたもので、すぐ近くを流れる金剛川の河原石。河原石にお願い事を書いて首塚様に奉納すると、首から上の病に霊験ありといわれています。

写真:乾口 達司

河原石は首塚様の脇にも積まれています。お願い事をしたい方は、こちらの石にお願い事を書き、奉納しましょう。
しかし、奉納されている河原石の多くが丸みを帯びていること、何だか気になりませんか?先ほどご紹介した祠のなかの石がやはり丸みを帯びており、人間の首に見立てられていたことを踏まえると、奉納用の河原石も人間の首に見立てられていると考えられます。
金谷首塚様が、南北朝の動乱にゆかりの塚であること、おわかりいただけたでしょうか。塚に埋葬された首が当時の名もなきものたちであることを踏まえると、乱世の無情がひしひしと伝わってくるはず。金谷首塚様を訪れ、南北朝の動乱に思いを馳せてみてください。

金谷首塚様の基本情報

住所:岡山県備前市吉永町金谷192-15
アクセス:備前市バス「金谷」停留所よりすぐ
2024年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
金谷首塚様―ぶらっと備前・備前観光協会公式観光サイト(外部リンク)
http://bizen-kanko.com/spot/spot_detail/index/220.html

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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