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迫力満点の石垣は必見!奈良「郡山城」で歴史ロマンに浸れ

2024-02-16

奈良県大和郡山市にある「郡山城(こおりやまじょう)」は、国の史跡および“続日本100名城”に選定された貴重な城跡です。良好な状態で保存されている豊臣秀吉の時代の本丸石垣や近年復元された門や櫓が郡山城の大きな見どころです。悠久の歴史ロマンに浸れる稀有なスポットなので、ぜひみなさんも実際に足を運んでみてください。

戦国時代に整えられた名城

写真:島塚 渓

郡山城の本格的な築城が始まったのは、戦国大名の筒井順慶(つついじゅんけい)が天正8年(1580年)に居城をこの地に移してからです。その後、天正12年(1584年)に筒井順慶が死去し筒井家が伊賀上野に転封となると、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が入城します。
紀伊(和歌山県)、和泉(大阪府南西部)に大和(奈良県)を加え100万石以上を領有した秀長は“大和大納言”と呼ばれ、自身の本拠地に相応しい城郭とするべく郡山城の大々的な拡張工事を行っています。

写真:島塚 渓

天正19年(1591年)に豊臣秀長が亡くなり、養子の秀保も文禄4年(1595年)に死去すると100万石の領国は解体されます。郡山城には増田長盛が20万石で入城しますが、関ヶ原の戦いを契機に追放され、一時は取り壊され廃城となります。
その後、江戸時代には徳川譜代の大名たちが領主を務め、享保9年(1724年)に柳澤家が入城すると、明治時代まで6代145年間にわたって領国を治めました。明治13年(1880年)に旧藩士によって本丸跡地に柳澤神社が創建され、開祖の柳澤吉保が祀られています。

天守台の石垣は必見

写真:島塚 渓

郡山城の見どころが高さ約8.5メートル、底部は南北約25メートル東西約23メートルの長さを誇る天守台です。発掘調査で金箔瓦が出土しことから、豊臣秀長の時代には豪壮な天守が建築されていたと考えれています。関ヶ原の戦い後に解体され、その後再建された形跡はありませんが、現代でも天守台からの眺望は素晴らしく、遠く東大寺の大仏殿や興福寺の五重塔を望むことができます。

写真:島塚 渓

天守台をはじめとする本丸に築かれた石垣も郡山城の大きな魅力です。自然石をそのまま積み上げた「野面積(のづらづみ)」と呼ばれる技法で作られ、石と石の間には間詰石(まづめいし)という強度を高める小さな石が埋め込まれています。
また、築城当時は極度に石材が不足していたため、墓石や庭石さらには寺院の礎石などが石垣に転用されていました。その象徴となっている石が天守台の「逆さ地蔵」で、お地蔵さまの石像が頭を下にして石垣に埋め込まれています。このような転用石材は1000を超えると推定され、築城の際にいかに苦労していたかが想像できます。

復元された城内の施設にも注目

写真:島塚 渓

城内にある施設は1980年代から復元が進み、昭和58年に追手門、昭和62年に東隅櫓をはじめとする櫓が再建されました。特に100万石を誇った豊臣秀長の居城に相応しい威厳を保つ追手門は、郡山城を象徴する風景のひとつになっています。

写真:島塚 渓

令和3年には本丸を囲う堀に架けられた極楽橋が木造で再建されました。江戸時代、天守曲輪から毘沙門曲輪を繋ぐ橋として機能し、本丸へ登城するための正式な入口だったと考えられています。極楽橋の復元にあたっては古写真がなかったため、古地図の調査と発掘調査から江戸時代の構造が再現されています。

郡山城の基本情報

住所:奈良県大和郡山市城内町
アクセス:
近鉄近鉄郡山駅から徒歩7分
JR郡山駅から徒歩15分
観覧料:無料
2024年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
大和郡山市観光協会公式ウェブサイト郡山城ページ(外部リンク)
https://www.yk-kankou.jp/spotDetail1.html
奈良県公式観光サイト郡山城ページ(外部リンク)
https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/03history/07castle/02west_area/koriyamajoseki/

【トラベルjp・ナビゲーター】
島塚 渓

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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