2024-04-16
いまでは消滅してしまった鉄道路線は、全国各地に存在します。全国でも有数の鉄道網を誇る大都市・大阪の場合も同様で、現在ではその痕跡を見つけることすら難しい廃線も数多くあります。西成区と平野区とを結んでいた「南海平野線(なんかいひらのせん)」もそんな廃線の一つ。今回は往時の痕跡をわずかにのぞかせる「南海平野線」の痕跡を探る旅に出掛けてみましょう。
「南海平野線(南海電気鉄道平野線)」は、南海電気鉄道が運営していた軌道路線。西成区の「今池停留場」から平野区の「平野停留場」までを結んでいました。その路線距離は5.9キロメートル。11の停留場がありましたが、平野線の真下を走ることになった大阪市営地下鉄谷町線の開業にともない、1980年(昭和55)11月27日、その運行を終えました。
平野線は現在の阪堺電車・今池駅の先から東に折れ、平野方面に向かっていました。写真は今池駅から平野方面に向かっていく路線跡を撮影したものですが、中央の白いビル「ルクール天下茶屋北」に注目!ほかのビルと違い、何だか斜めに向いているように見えませんか?実は、ルクール天下茶屋北は東に向かってカーブする旧平野線の上に建てられている関係で、ほかのビルとは向きがズレてしまっているのです。
ルクール天下茶屋北の東側には、フェンスにかこまれた細長い耕作地も残ります。これも平野線の路線跡で、この付近に「飛田停留場」がありました。
阿倍野方面に向かうと、ご覧のようなトラス構造の鉄柱が点々と立っていることにお気付きになることでしょう。
鉄柱は平野線の架線を支える役割をになっていたもので、現存する貴重な遺構です。
<飛田停留場跡の基本情報>
住所:大阪市西成区天下茶屋北1丁目
アクセス:阪堺電軌阪堺線「今池駅」より徒歩約5分
現在の阪神高速14号松原線が平野線に沿って建設されたこともあり、平野線の痕跡をたどる際は、阪神高速14号松原線に沿って歩くことになります。
写真の右手が阪神高速14号松原線。それに沿って設けられている歩道が路線跡です。
路線上にあった停留場はすべて失われています。しかし、現在の文の里明浄通商店街と交差する付近にあった「文ノ里停留場」の跡地には、平野線の活躍を顕彰する目的で「南海平野線と文ノ里停留場」と記された記念板が立てられています。
<文ノ里停留場跡の基本情報>
住所:大阪市阿倍野区文の里2丁目
アクセス:大阪メトロ谷町線「文の里駅」より徒歩約3分
かつての「股ケ池停留場」と「田辺停留場」とのあいだでは、平野線のものと思われる石標(境界標)を幾つか見ることができます。
こちらも貴重な鉄道遺構であり、ご自身で探してみてください。
「田辺停留場」は写真の「喫茶サンレモン」のそばにありました。いわば、喫茶サンレモンは平野線の賑わいとその終わりを見続けて来た生き証人であるといえるでしょう。
ちなみに、手前に見える石標もやはり平野線当時のものと思われます。
<田辺停留場跡の基本情報>
住所:東住吉区田辺5丁目1-22
アクセス:大阪メトロ谷町線「田辺駅」より徒歩約3分
かつての「駒川町停留場」付近では、近鉄南大阪線と交差していました。
<駒川町停留場跡の基本情報>
住所:大阪市東住吉区針中野1丁目
アクセス:大阪メトロ谷町線「駒川中野駅」よりすぐ
東住吉区針中野3丁目では、「でんしやのりば」「はりみち」と刻まれた石標を2ヶ所で見ることができます。
「でんしやのりば」とは、平野線の「中野停留場」のこと。こちらの石標が建てられた1913年(大正3)4月が中野停留場の開業年月と一致していることから、石標が中野停留場の開業にあわせて建立されたものであることがわかります。
ちなみに、「はりみち」は、当地・針中野の名の由来ともなった「中野小児鍼」への道筋を指し示しています。
<「でんしやのりば」「はりみち」の石標の基本情報>
住所:大阪市東住吉区針中野3丁目
アクセス:大阪メトロ谷町線「駒川中野駅」より徒歩約10分
「背戸口公園」は「平野西停留場」の跡地に整備された公園です。園内には平野線の路線を示すペイントが見られますが、おわかりになりますか?
公園の一角には、平野線の路線図や平野線で走行していたモ205型を描いたレリーフも設置されています。
背戸口公園を抜けると、いよいよ終点の「平野停留場」です。
<背戸口公園の基本情報>
住所:大阪市平野区平野本町2丁目2
アクセス:大阪メトロ谷町線「平野駅」より徒歩約3分
背戸口公園と同様、平野線の終着駅・平野停留場のあった付近は路線に沿う形で細長い遊歩道形式の区画が設けられており、「プロムナード平野」と呼ばれています。
街灯に信号機が取り付けられているように、平野線の痕跡を示すさまざまなものが見られます。
八角形の屋根をしたベンチは、当時の平野停留場で見られた八角形の屋根を模しています。
ほかにも、当時、実際に使われていた車止めのレールやホームの骨組を利用した藤棚などもあり、平野線の痕跡を各所で見ることができます。
もう一点、見逃せないのが、プロムナード平野に隣接する商店街の名称が「なんかいもーる」となっていること。平野線の廃線にともない、平野の街と南海電気鉄道とのつながりはなくなりましたが、地元では商店街の名をあらためることなく、現在にいたっているわけです。
地元民にとって、南海平野線がいかに身近な存在として親しまれていたか、ここからもわかりますね。
<プロムナード平野の基本情報>
住所:大阪市平野区平野本町2丁目3
アクセス:大阪メトロ谷町線「平野駅」より徒歩約5分
南海平野線が1980年(昭和55)に廃線となってから早くも40年以上の歳月が流れました。しかし、当時をしのぶ痕跡がわずかではあっても幾つか見られることに驚かれた方も多いのではないでしょうか。6キロメートル足らずの路線ですが、実際にご自身の足で歩き、南海平野線の在りし日の姿に思いを馳せてみてください。
2024年4月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
■関連MEMO
南海鉄道平野線(廃線)の今昔―大阪市ホームページ(外部リンク))
https://www.city.osaka.lg.jp/higashisumiyoshi/cmsfiles/contents/0000204/204448/2019.4-No.61-69.pdf
【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司
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