2024-06-12
狭山池で名高い大阪狭山市は街道の町でもあります。平安時代から高野山への諸街道の結節点として栄えた大阪狭山市には、三本の高野街道と天野街道があり、街道の町として歴史の香りに満ちています。
特に西高野街道は人気があり、堺の大小路から高野山女人堂まで一里ごとの里程標が建てられ現在も機能しています。また街道の随所に道案内を兼ねた地蔵尊があり、行路の安全を願う人々の思いと聖地巡礼の雰囲気が感じられます。
大阪狭山市には三本の高野街道と天野街道があり、紀州への道や参詣路の結節点として古くから機能していました。特に仏教信仰の一般化と、数々の奇跡を行い大衆のスーパーヒーローとなった空海=お大師様信仰の高まりにより平安時代から栄えました。
西高野街道は大小路(現・堺市堺区)を起点とし、北から堺経由で来た人や、西国から堺の港に上陸した高野詣での人々によって歩かれ人気のある街道でした。写真は大小路にある安倍晴明の碑。生誕井戸のある阿倍野や、白キツネ=晴明の母=葛の葉伝説の信太山など晴明ゆかりの地から半日距離で不思議な因縁と存在感があります。
大小路は摂津の国と和泉の国の境ですが、東へ進むと途中から河内の国と和泉の国の境を南下する西高野街道となります。現在は大阪狭山市と堺市の境界を進み、岩室集落で天野街道と分岐します。
その道標は天野街道追分と呼ばれ、刻まれた文字は「右あまの山」「左かうや山」と読めます。天野街道は高野街道の旧街道と考えられ、古くは高野詣での主道として歩かれました。
天野追分を左へ進み少し下ると「おわり坂」の交差点があり、そこに牛瀧地蔵があります。この地蔵尊は田畑を耕す牛の健康を願い農家が信仰したもので、皮膚病等にご利益があるパワースポットでもあります。
牛瀧地蔵尊の横の橋を渡り少し登り坂の住宅街を南へ進むと、三津屋地蔵尊があります。高野街道全般に言えることですが各所に地蔵尊があり、街道の道標としての役割を果たしていました。地域の子供たちと巡礼者の安全を守り道案内でもあれという先人の願いが込められた存在なのです。
西高野街道をさらに南へ歩くと、現・河内長野市楠木町で中高野街道と合流します。写真は合流点の碑で、中高野街道はここで西高野街道に吸収されるわけです。また、下に述べる天野街道の途中の大阪狭山市最南端の穴地蔵から来た「よつくのき道」すなわち旧・西高野街道とも結ばれていました。その近くに建っているのが空海伝説に彩られた名刹:盛松寺で、空海はここで休憩し、それから槇尾山施福寺に向かい修行したとされます。
さらに西高野街道を南に進むと、現・河内長野市原町に立つ安倍晴明塚と地蔵尊があります。晴明が天皇のお供をして高野山に詣でる際に天気占いを誤り大雨にあいます。地元の古老に教えを請い、自分の浅はかさを恥じた晴明は、天文学や暦学の書物などをここに埋めたのです。率直に誤りを認める優れた陰陽師としての姿がそこにあります。
空海や安倍晴明ゆかりの歴史的伝説に満ちた場所が多いのは、異能なヒーローを尊崇し救済を願う民衆の自然発生的な強い思いがあるからです。まさにここは古代ロマンを歩く街道です。
上記で紹介したように追分から分岐した天野街道は、大阪狭山市と堺市の境界の丘陵地を通る静かで緑の多い道で、絶好のハイキングコースになっています。
途中で三都神社の上を通りますので、少し寄り道してお参りしましょう。三都神社は非常に古い神社で7世紀の飛鳥時代の創建と伝わります。熊野詣を歩くルートでもあり、このことから天野街道は古い高野街道の主道であったと考えられます。
天野街道は風光明媚で平坦な尾根道を通りますので安全な散歩道として多くの地元の人々が歩きます。中でも「歴史のみち あまの街道」という石碑のあたりは雰囲気が良く、東側の大阪狭山市住宅街から二上山〜金剛山に至る雄大な風景は見事です。
天野街道を南へ歩けば、大阪狭山市の最南端に至ります。ここは堺市と河内長野市とも交わる場所で、穴地蔵があります。目、耳、鼻などの穴の病気に効く由緒あるパワースポットとして有名で、多くの参拝者を集めています。
<穴地蔵の基本情報>
住所:大阪狭山市大野西689(堺市および河内長野市との三市境界点でもある)
電話番号:072-365-3194
アクセス:大阪狭山市循環バス南回り大野中バス停より徒歩10分
大阪の四天王寺を起点とする下高野街道は狭山駅付近から南へ進み、大阪狭山市の住宅街を通ります。写真は途中の下高野街道風景で、南への車一方通行。細い道ですが往時を偲ぶような良い雰囲気です。
このあたりは狭山池の北側の台地で、南北朝時代には池尻城があり合戦も行われました。発掘調査が実施された後、今は住宅地になっています。池尻城の復元模型など詳しいことは狭山池博物館の郷土資料室でご覧ください。
下高野街道は狭山池の北堤を通ります。現在は、コシノヒガンという早咲の桜が植えられ絶好の花見街道となっています。このあたりから西へ西高野街道の牛瀧地蔵と結ぶ旧ルートがあり、かつては街道の結節点でした。
狭山池北堤から東の大阪狭山市駅方面へ降りていき、淡い臙脂色の細い舗装道路を進むのが下高野街道で、往時の街道の雰囲気を少し残しています。
狭山池の東へ降りると下高野街道と中高野街道の合流点があります。写真の道の先の「さやま橋」という小さな橋がが合流点。その手前には、「下高野街道」のエンブレムが埋め込まれています。そこで、この合流点から中高野街道になるので、そのまま中高野街道に切り替え南へ街道歩きを継続するのが妙案です。
大阪市平野(ひらの)の大念仏寺を起点とする中高野街道は、大阪狭山市を通る三本の高野街道のうち最も東側の巡礼路。平野はかつて大和川が北流していた時代は、狭山池の最北の灌漑範囲で水路が縦横に広がり田畑を潤していました。中高野街道は、狭山側からは平野道(ひらのみち)と呼ばれ交通量の多い街道でした。
東野地区から大阪狭山市に入り、大鳥池を経て市中心部の大阪狭山市駅付近へ向かいます。このあたりは、一万石の大名だった狭山藩主北条氏が参勤交代で江戸に向かう際に通った道で、現在は田園風景が垣間見られる住宅地となっています。
中高野街道を南へ歩くと金剛駅近くで狭山神社の上を通ります。狭山神社は非常に古い神社で、崇神天皇の勅願により創建されたという伝承があります。南北朝時代は激戦地で幾度も兵火に焼かれ、現在の社殿は室町時代中期に再建されたと推定されます。
天照皇大神と素盞嗚命を主祭神としますが、諸神を合祀し江戸時代までは「牛頭天王社」とも称しました。現在は「大阪みどりの百選」に選定されており鎮守の森が社殿後方に鬱蒼と茂っています。
<狭山神社の基本情報>
住所:大阪府大阪狭山市半田1丁目223
電話番号:072-365-0905
アクセス:南海高野線金剛駅から西へ徒歩5分
金剛駅前西側からさらに南へ行くと常夜灯を経て風輪寺の横を通る細い道が中高野街道です。
風輪寺は小さな敷地ですが可愛い地蔵さんがあり、とても雰囲気の良いお寺です。融通念仏宗の名刹で「河泉二十四地蔵霊場」の第9番札所でもあります。
ここから南へ歩けば河内長野市楠木町付近で、上記で書いたように、中高野街道は西高野街道に吸収されます。そしてさらに西高野街道は河内長野駅付近で東高野街道とも合流し、一本の高野街道となるわけです。
西高野街道及び天野街道を歩く際は、泉北高速鉄道泉ヶ丘駅(南側)または南海高野線金剛駅前(西側)で南海バスに乗り岩室バス停で下車して南側の細い道を行きます。しばらく歩くと分岐点に出ますので、右に行けば天野街道、左を行けば西高野街道です。
下高野街道を歩く際は、南海高野線狭山駅で下車し、南側への一方通行の細い道が、街道になります。
中高野街道を歩く際は、南海高野線北野田駅から富田林駅前行き近鉄バスに乗り東野バス停で下車し南へ歩きます。ただこのあたりは見どころが少ないので、カットしても良いでしょう。その際は、南海高野線大阪狭山市駅で下車し、いったん西へ報恩寺付近の下高野街道合流地点を見てから駅に戻り、南へ線路沿いに歩き金剛駅に行くのがおすすめの中高野街道ルートです。
いずれの場合も、下記の関連メモのリンクから「大阪狭山市観光マップ」に飛んで、経路地図をご覧ください。この地図は、大阪狭山市の各街道が色分けで分かりやすく表示されているので、街道歩きの力強い味方となります。
2024年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
■関連MEMO
歴史情緒に狭山池の景観。大阪狭山市をハイキング!
https://www.travel.co.jp/guide/article/48280/
大阪狭山市観光マップ(外部リンク)
https://www.city.osakasayama.osaka.jp/material/files/group/31/jpn_map.pdf
大阪狭山市公式サイト(外部リンク)
https://www.city.osakasayama.osaka.jp/index.html
【トラベルjp・ナビゲーター】
菊池 模糊
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