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寺社や宿場跡が多い!大阪・河内長野市で街道めぐり

2024-07-13

大阪府南部に位置する河内長野市は3本の高野街道や天野街道が貫き、三日市町付近にはたくさんの宿場があり往還する人々で栄えました。行基・空海・安倍晴明・役行者など庶民に愛されたヒーローの足跡があり、関連する寺社も多数。南北朝時代は天皇行在所にもなり楠木正成などが活躍しました。まさに歴史ロマンにあふれる街道の町なので、古代からの人々の姿に思いを馳せ史跡を見ながら、ゆっくりと歩いてみませんか?

西高野街道を歩く

写真:菊池 模糊

西高野街道は現・堺市の大小路から河内長野駅まで続く道で、一里ごとの道標が建てられ、高野詣の人々に愛された道です。河内長野市では松ヶ丘中町からはじまり楠木町西で中高野街道を吸収し、晴明塚を経て河内長野駅方面へと南下します。

写真:菊池 模糊

安倍晴明塚を南へ歩き国道170号線を渡ると、左手に旧阿弥陀寺石造物群があります。十三仏板碑二基、地蔵菩薩像一躯、観音菩薩像一躯からなる河内長野市指定有形文化財で、特に右奥の板碑は高さ228cmもあり河内長野市内最大。いずれも今は無き阿弥陀寺もので、現在も地蔵講によって信仰されている大変貴重な資料です。

写真:菊池 模糊

西高野街道は河内長野駅前で東高野街道と合流し「高野街道」となります。その分岐点に道標があり、左・堺大小路へ北西18km、右・京都八幡へ北東57kmと読め、北側には堺方面と京都方面への道が通じていたことが分かります。また、逆の南側は紀州への交易路や高野山へ巡礼路が伸びています。

ハイキングに適した中高野街道と天野街道を歩く

写真:菊池 模糊

中高野街道は、大阪狭山市から河内長野市に通じる道で、現在は滝谷駅付近から住宅地の中を通り、国道を横断後、楠木町付近で西高野街道に吸収されます。

写真:菊池 模糊

天野街道はハイキングに非常に適した道で、大阪狭山市と堺市の境界の起伏の少ない尾根道を南へ進み、穴地蔵というパワースポットから河内長野市に入り南へ天野山金剛寺まで続きます。
写真は途中に鎮座する青賀原神社で、小さいながらとても雰囲気良好。天野街道での休憩地に最適です。空海が槇尾山に修行に行く途中に立ち寄った際、この付近で大蛇に襲われたが、狩場明神を出現させ大蛇を退治したという伝説があります。

写真:河内長野市産業観光課

京都からの往還の道だった東高野街道を歩く

写真:菊池 模糊

東高野街道は、京都の石清水八幡宮を始点とする高野山への参詣道で京都方面からの人々によって歩かれました。河内長野市では、富田林市との境界近くにある孝子地蔵から辿るのがおすすめ。
写真の孝子地蔵の逸話が有名。享保7年に備中国から巡礼で訪れた母親が倒れ村人の介抱の甲斐なく亡くなります。同行していた娘が9年後に再び訪れ村人にお礼し地蔵を建立し菩提を弔ったのです。孝行娘の殊勝な行状に感動した村人たちは孝子地蔵と呼び、今は霊験があるスポットとして大切にされています。

写真:菊池 模糊

孝子地蔵の横の細道を上がると千代田神社の裏に出ます。千代田神社は菅原神社ともいい天神社と呼ばれました。菅原道真を主神とし明治になって近隣の木戸神社と伊予神社を合祀。学業成就等に御利益があると参拝客を集めています。
千代田神社と天野山金剛寺を直線で結ぶと中央に現・河内長野市役所があることから、千代田神社は河内長野市の北東の鬼門除けという説もあります。
<千代田神社の基本情報>
住所:大阪府河内長野市市町469
電話番号:0721-53-1713
アクセス:近鉄長野線汐ノ宮駅下車徒歩7分

写真:菊池 模糊

千代田神社から南へ東高野街道を歩くと、アメニティー長野という巨大なマンション群があり南の丘上に錦渓山極楽寺があります。
極楽寺は融通念仏宗の中本山で本殿横に大きな河内大仏があることで著名。聖徳太子が薬師如来像を彫り本尊としたことに始まると伝えられ、とても展望が良いので街道歩きのついでに立ち寄りましょう。

寺社や宿場跡が多い合流後の高野街道を歩く

写真:菊池 模糊

河内長野駅南側にあるのが長野神社。創建年代不明の古い神社で、かつては牛頭天王宮(ごずてんのうぐう)とも呼ばれ、現在の社殿は1543年に建てられたもの。今は長野戎(えべっさん)として市民に親しまれており、1月には商売繁盛を願う人々で賑わいます。
境内のカヤノキは府下最大級で府の天然記念物、その北側には市の天然記念物である吉年邸の巨大なクスノキもそびえます。これら、萱楠二本の巨木は見事で河内長野市のシンボル的存在なので必見です。

写真:菊池 模糊

クスノキの巨樹から南西にカラー舗装された細い道を下ると、天野酒の醸造元があります。杉玉が吊るされ蔵元など木造の古い町家が並んでおり、高野街道の良い雰囲気が残されています。
天野酒は鎌倉時代から天野山金剛寺で醸された僧房酒で、室町時代には日本三銘酒のひとつとして豊臣秀吉に愛されました。現在の天野酒は地元の蔵元が、金剛寺の許可を得て昭和46年に復活させたもの。酒好きの方はぜひゲットしてください。

写真:菊池 模糊

天野酒醸造所から南へ、別久坂(びっくざか)をあがり国道を横切って進めば烏帽子形八幡神社へ。後方の山にあった烏帽子形城の鎮守として15世紀に建立されたもので、入母屋造檜皮葺の社殿は雰囲気があり国の重要文化財です。
烏帽子形城は楠木七城のひとつとで楠木正成が湊川の戦いに向かう際に植えた楠公武威松がありました。1934年の台風で倒れ現在は本殿斜め前の小屋に一部保存展示中です。
<烏帽子形八幡神社の基本情報>
住所:大阪府河内長野市喜多町305
電話番号:0721-63-0027
アクセス:河内長野駅から南へ徒歩15分

三日市から紀見峠へ高野街道を歩く

写真:菊池 模糊

烏帽子形八幡神社から南東へ下ると旧三日市交番があります。ここは昭和27年に建築され長く地域の治安を守ってきた木造二階建ての駐在所跡。付近の宿場町的雰囲気を残す景観に馴染んでいることから、平成22年に河内長野市の指定文化財となり、保存修理を経て土日祝だけ無料公開展示されています。内部は村の駐在所の昭和レトロな感じが横溢しています。

写真:菊池 模糊

旧三日市交番を南へ少し歩くと三日市宿場跡があります。この付近は高野街道沿いの宿場町で、油屋という本陣旅籠などが立ち並び、たいへん賑わったそうです。現在でも八木家住宅といった古い町屋が残されており往時を偲ぶことができます。
さらに進めば南海高野線三日市町駅があり、その先の石見川にかかる橋のたもとには高野街道女人堂への八里道標石が立っています。

写真:菊池 模糊

河内長野市の高野街道の最南端が紀見峠。往古より河内と紀州の国境として南海駅路の要衝でした。平安時代には高野山が開かれ高野街道の参詣道として賑わうようになり、紀州を望む景色の良い峠の宿駅として茶店が立ち並び諸帝から庶民まで多くの人々が通ったのです。
現在は、南海高野線や紀見トンネルが出来て紀見峠を通る人は激減した一方、峠付近には高野街道の六里道標石が立ち往時を偲ばせるような雰囲気が残されています。
なお美加の台駅付近で国道バイパスが合流するので、天見駅から紀見トンネルにかけて高野街道は国道と重なる部分があり車の交通量が多くなります。歩道のない場所もありますので、十分注意され慎重に街道を歩いてください。

河内長野市の街道を歩く起点へのアクセスおよびスタンプラリーについて

西高野街道は、南海高野線滝谷駅より西へ徒歩5分の松ヶ丘中町から、河内長野市内での街道歩きが始まります。
中高野街道は南海高野線滝谷駅より、東高野街道は近鉄長野線汐ノ宮駅より辿れます。
高野街道は南海高野線または近鉄長野線の河内長野駅前ロータリーから始まります。
天野街道は、大阪狭山市循環バス南回り大野中バス停より徒歩10分の穴地蔵から南へ下ります。逆に南から北へ辿る場合は、河内長野駅で降りて南海バスで天野山バス停下車すぐの金剛寺から始まります。
なお、河内長野市では令和6年7月20日〜11月30日の間“日本遺産「中世に出逢えるまち」デジタルスタンプラリー2024”が実施されます。薬膳精進カレーなどがもらえる景品がありますので、ぜひご参加ください。詳しくは、下記関連MEMOより専用サイトをご覧ください
2024年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
河内長野市観光ポータルサイト(外部リンク)
https://kankou-kawachinagano.jp/index.cgi
“街道のまち”大阪狭山市!3つの高野街道と天野街道を歩く
https://www.travel.co.jp/guide/article/48350/
日本遺産「中世に出逢えるまち」デジタルスタンプラリー2024(外部リンク)
https://www.city.kawachinagano.lg.jp/soshiki/16/98987.html

【トラベルjp・ナビゲーター】
菊池 模糊

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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