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何と読むの!?京都府「穴太寺」の見所は池泉鑑賞式の名庭園

2024-10-02

京都府亀岡市に「穴太寺」という寺院があります。穴太寺の創建は飛鳥時代と伝えられており、中世の説話集である『今昔物語』や歴史書『扶桑略記』にも登場する亀岡市きっての古刹ですが、この「穴太寺」、そもそも何と読むか、ご存知ですか?あなふとでら?あなふとじ?今回は穴太寺の由緒来歴を紹介しながら、京都府の名勝にも指定されている名庭園もあわせてご紹介しましょう。

『今昔物語』にも登場する古刹・穴太寺

写真:乾口 達司

西国三十三所霊場第21番札所ともなっている「穴太寺」は、京都府亀岡市にある寺院。「穴太寺」と書いて「あのうじ」と読みます。
1450年(宝徳2)に作成された『穴太寺観音縁起』によると、その創建は飛鳥時代末期の705年(慶雲2)。文武天皇の勅願により、大伴古麻呂によって開かれました。以来、盛衰を繰り返し、現在にいたっています。

写真:乾口 達司

穴太寺は、中世に入ると、「身代わり観音」のいらっしゃるお寺として、大いに崇敬されました。
身代わり観音の話とは、中世の説話集『今昔物語』第16巻「丹波国の郡司、観音の像を造りたる語」に由来するもの。丹波国桑田郡の郡司が都の仏師に聖観音像の制作を依頼するものの、褒美として与えた愛馬が惜しくなり、仏師を弓矢で射てしまうという説話です。結局、弓矢で射られたにもかかわらず、仏師は生存しており、代わりに仏師の制作した聖観音像の胸に矢が刺さってことから、郡司は観音の霊威に畏怖し、遂には出家してしまいました。
平安時代に掛かれた歴史書『扶桑略記』にも同じエピソードが紹介されており、そちらでは、郡司の名が「宇治宿禰宮成」、仏師の名が「沙弥感世」と明記されています。
いずれにしても、平安時代から観音信仰の聖地として知られていたことがわかり、穴太寺の長い歴史性を感じさせます。

多宝塔と仁王門

写真:乾口 達司

境内には複数の建造物が点在しています。こちらは京都府指定有形文化財となっている多宝塔。高さ約13メートルの桟瓦葺。江戸時代中期に建立されたものです。

写真:乾口 達司

門前に立つ仁王門は入母屋造・本瓦葺で、やはり江戸時代中期の建立です。

写真:乾口 達司

境内の一角には、先ほどご紹介した丹波国桑田郡の郡司・宇治宿禰宮成のものとされるお墓も存在します。あわせてお参りしましょう。

名庭園を眺められる!方丈の様子

写真:乾口 達司

穴太寺でぜひ拝観していただきたいのが、寺院関係者の生活空間に当たる「方丈(ほうじょう)」とその南側に広がる庭園。
本堂内部と方丈への立ち入りは有料となっていますが、この機会にぜひ訪れましょう。

写真:乾口 達司

庫裏とその南側に建つ方丈は亀岡市指定有形文化財となっており、1677年(延宝5)に再建されたものです。

写真:乾口 達司

柱には、ご覧のように、蝶をかたどった金具も取り付けられています。

方丈の南に広がる池泉鑑賞式庭園

写真:乾口 達司

方丈の縁側からは、京都府指定名勝となっている庭園を眺められます。穴太寺の庭園は池泉鑑賞式。縁側にすわり、ゆっくり、のんびり、庭園を鑑賞しましょう。

写真:乾口 達司

庭園からは、先ほどご紹介した多宝塔ものぞめます。多宝塔を借景にした工夫も珍しい演出です。

写真:乾口 達司

池の上に置かれたこらちの庭石は、一般に「舟石」と呼ばれているもの。その名のとおり、港を出る船に見立てた庭石です。
ほかにも、橋に見立てた庭石などもあり、細部をじっくりご覧になると、いろいろな発見がありますよ。
穴太寺がいかに由緒のある寺院であるか、おわかりいただけたでしょうか。身代わり観音の寺として、古来、崇敬を集めてきた古刹であるとともに、京都府指定の名勝ともなっている庭園も見応えあり。穴太寺で喧騒を忘れ、ゆったりとした時間をお過ごしください。

穴太寺の基本情報

住所:京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
電話番号:0771-24-0809
アクセス:京阪バス「穴太寺前」停留所より徒歩約3分
2024年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
穴太寺ー亀岡市観光協会(外部リンク)
https://www.kameoka.info/seeing/anaouji.php

【トラベルjp・ナビゲーター】
乾口 達司

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提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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