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親の覚悟を、人生哲学を試された20年間の子育てを終え思うこと 大人も子どもも「泣いてもいいよ」と伝えたい


今年3月、にわかに信じがたいことに、息子がなんと20歳になった。成人の仲間入りを果たしてしまった。

「新成人を祝う会のご案内」
住んでいる区から息子宛にハガキが届いたのは、昨年末のことだった。

私が20歳のころは、絶賛生まれたばかりの息子を育てていた真っ最中だったし、地元に友達も少なかったので、成人式には迷うまでもなく欠席した。けれどもそんな私と違って息子はいまだに地元の友人たちといい距離で連絡を取り合っているらしく、輪をかけてまだ親になってもいないので、成人式のお知らせを前に「俺もついに成人かぁ」と、親そっちのけで感慨に耽る。

息子もついに成人かぁ。私も同じことを思う。わが子がついに大人として社会に認められるのだ。ことの重大さを噛み締めるべく、息子と過ごした20年間を思い返してみる。

幼稚園の運動会、かけっこで一人だけスキップしちゃったな。園児さえなかなか落ちない園庭の池に、小学生になってから落ちたな。同級生のスマホのペアレンタルロックを闇で次々と解除していたな……。

今後もし息子に恋人や家族ができたら語り継ぎたい一件ばかりが脳裏をよぎり、つい笑いながらも、ふと重大なことに気づく。とても大事なことを、思い出せない。

薄れていく、息を呑むほど美しいと感じた一瞬の記憶
毎日の何気ない生活の中で、寝たり、食べたり、喋ったり、ぼーっとしたりする息子。他の人にとってみればきっとなんともない日常の風景の中に、息を呑むほど美しいと感じる一瞬が確かにあった。これから先もずっと覚えているだろうと思っていた。なのに、いざ思い出そうとしてみると、そういうことが全然思い出せないのだ。思い出せないことを思うと、少しだけ後悔しそうになる。

二度と取り返せない時間を私は十分に大切にできなかったんじゃないか。すべすべで柔らかな幼い息子の肌の感触を絶対に忘れることがないくらい、十分に抱きしめられていなかったんじゃないか。見るべきものを、見落としてばかりいたんじゃないか。

けれども冷静に考えれば、きっと私は私なりによくやってきた。今の息子と同じ19歳で、大人が何たるかを何ひとつ知らないままに親になり、精一杯やった。完璧ではなかったけれど、そもそも完璧な育児なんてない。一つ屋根の下で暮らす息子の記憶は日々新しい記憶に上書きされていく。

忘れてしまうのはいつも側にいるからで、いつも息子を見てきたからだ。子どもとの生活の中で根拠のない罪悪感に飲み込まれてしまいそうなことはこれまでに何度もあったけれど、子育てを20年続けた今、親である自分を許すこともようやく少し上手くなった。


そして迎えた、成人式前日
「袴まではいいかな」と言っていた息子は、例によって成人式の前日夕方になって、スーツを買う、ついでに髪も切ると言う。計画性がない性分は間違いなく親譲りなので偉そうなことも言えず、わが家では最後の最後になんとか帳尻を合わせられればそれで良いということになっている。

この日のための軍資金を渡し、行ってこい!と送り出した数時間後、息子は両サイドの髪の毛をさっぱりと刈り上げ、新宿で買ったスリーピースの入った大きな袋を手に満足気に帰ってきた。大人らしい装いがよほど嬉しかったのか、早速着替えて披露してくれる。うん、なかなか似合ってるな、頼もしくなったなと思うし、同時にどこかちょっと、自分のことのように照れくさくなる。

明日は成人式。

当日の朝、わが家のインターホンが鳴りドアを開けると、私はつい「ええっ、ほんと?!」と突拍子もない声をあげてしまった。玄関先に立っていたのは私よりはるかに背の高いスーツ姿の二人の青年。これから成人式に向かう息子の、幼稚園のころからの友人たちだった。

二人は「あきちゃん、久しぶり!」と言いながら、きらきらした目でこちらを見つめてくる。会うのは何年ぶりだろう。当時から彼らの母親が私のことを「あきちゃん」と呼んでいて、だから彼らもまた自然と私のことを「あきちゃん」と呼んでくれるようになった。20歳になった今、二人の声は以前よりずっと低く、太くなったけれど、それでも以前と同じように「あきちゃん」と呼ぶ。

すっかり大人へと変貌した二人に歓喜する私を見て、青年達は満足そうな笑みを浮かべる。記憶の中の二人と、今、目の前にいる二人と。混乱しながら現実を認識しようとする私に、あたかもサービスタイムを提供してくれるかのように、二人は堂々と立っている。そのときふと、ああこの子たちは……そしてきっと昨日の息子は、私が見違えるような自分達を見て驚き、歓喜することをまったく疑っていなかったんだなと思った。

こんなに幸せなことってない。無性に泣きそうになった。

あの頃と何一つ変わらない子どもたちの存在
彼らが幼い頃と何一つ変わらず、自分が大人に愛される存在であることを疑わないまま育つことができて、本当によかった。本当に、本当によかった。彼らの姿形はまるっきり大人そのもので、道ですれ違う人はみんな彼らを見て大人だと思うだろうけれど、私の目に映る彼らを一番的確に表す形容詞は、どう考えたって「可愛い」以外には思いつかない。

わが家の伝統を忠実に守り土壇場で帳尻を合わせるタイプの息子は、友人たちが迎えにきてくれたときにもやっぱり用意が済んでいなかったので、とりいそぎ二人を我が家の居間に迎え入れ、息子を待ってもらうことになった。二人はこたつに座り込むやいなや、彼女ができたこと、近くのパン屋でアルバイトをしていること、趣味の合う新しい友達ができたこと、それから彼らと私の友情のためにもちょっとここには書けないようなことなんかを、たくさん話して聞かせてくれた。

思えば小学校の頃も、二人は毎日のようにうちに遊びに来ていた。当時私は会社に勤めていて、仕事から早く帰った日なんかには、子どもたちとここで今みたいにたくさんお喋りをした。先生がこんなことを言った、誰々がこんなことをした。今でこそ170センチ以上ある彼らが、130センチ台のときも、140センチ台だったときにも、同じように話した。

記憶の中のいろんな時代の二人の姿と、今目の前にある姿が重なったり、重ならなかったりを繰り返す中で、引きずられるようにして自然と、かつてここにいた、すっかり忘れてしまったと思っていた幼い息子の日常の姿もまた、少しずつ浮かび上がってくる。

息子の支度が整い三人が揃うと、私はつい嬉しくなって、成人式の前に三人の母校で写真を撮ろうと提案した。うちを出てすぐ近くにある小学校に向かう。かつて三人が校帽にランドセルを背負って歩いていた通学路を、数年後の今、スーツを着込んで歩いている。私はそのちょっと後ろから3人を追いかける。もうランドセルを背負ってはいないけれど、それぞれの歩き方の癖は何一つ変わっていない。

6年間通った小学校の校門前で、まんざらでもない顔でポーズを決める新成人達を、何枚も写真に撮った。数年前、小学校の卒業式の日にもやっぱり同じ場所で、同じように、何枚も写真を撮った。今の姿とかつての姿が、ここでもしきりにオーバーラップする。

うっかり夢中になっていると「あきちゃんやばい、もう時間ない!」と子どもたちに言われはっとした。成人式に遅刻させてしまう! 帳尻を合わせるべく、慌てて通りかかったタクシーに3人を乗せ、1000円を握らせて会場へと送り出した。

見送った後には自分がいつの、どこにいるのかよくわからない、不思議な感覚に襲われた。そんな中でふと今この瞬間、きっと私と同じような状態でいるに違いない人のことを思い出し、その人に伝えなければいけないことがあると思った。子どもたちが成長する中で、気づけばすっかり疎遠になっていたママ友に、LINEでさっき撮ったばかりの写真とメッセージを送る。

久しぶりに会ったよ!大きくなって、かっこよくなってた!でも、可愛いまんまだった!

幼稚園、小学校、中学校と本当にいろんなことが起きて、そのたびに何時間も話して、食べて、飲んで、支え合ってきた家族のような、戦友のようなママ友。すぐに既読がついて、返事が届く。

ほんとだ!みんな大きくなってるねえ!赤ちゃんみたいだったのに

本当に赤ちゃんだった頃。赤ちゃんみたいだった頃。すっかり大きくなって、でもやっぱり可愛いままの今。彼女もきっと今、すっかり通り過ぎてしまったはずの過去と今との間を、私と同じようにふわふわと旅している。

そんな中で、私はどうしても彼女に伝えたかった。

おめでとう。あなたは本当に立派なお母さんだよ。あのときはあんなに不安だったけど、本当によく頑張ったね。私たち、よく頑張ったよね。


撮ったばかりの子どもたちの後ろ姿の写真と、数年前に同じ場所で撮った、ランドセルを背負う後ろ姿の写真を2枚Facebookに投稿した。

程なくしてたくさんの人がお祝いのコメントを寄せてくれた。中にはコロナ禍もあいまって長らく会えていない人たちも多くいたけれど、一人一人が今日まで息子と私の人生に折に触れて関わってきてくれた人たちだ。息子はこの人にこんな風に遊んでもらったな。こんなことを教えてもらったな。コメント欄に懐かしい名前を見るたびに、懐かしい顔と、その人と同じ時間を過ごしたかつての息子の姿が記憶の中に鮮明に蘇る。これまで息子が出会ってきた全ての大人達が、彼の目に映る世界を、信頼に足るものにし続けてくれたのだと思った。

20年経って子育てを振り返ってみる
正直なところ子育てはもう、本当にずっと大変だった。幼児期には幼児期の大変さがあり、思春期になったらなったで、幼児期には考えられなかった爆弾が次々と目の前に落とされる。赤ちゃん期に終えたとばかり思っていた「なんで?」が難易度をエクストラハードにまでぶち上げて戻ってきて、ついには親の覚悟を、人生哲学を試し始める。

息子は「ここにはやりたいことがない」と高校を中退し、一年ほど国内を放浪したのちクラブDJになった。なにしろ夜の世界である。当初は悪いことに手を染めてしまうんじゃないか、怖い目に遭うんじゃないかとひやひやしながら見ていたけれど、2年経った今では、チームのマネジメントをやったり、大きな箱のそれなりにいい時間を任されるようになったりもしているらしい。DJなんてちゃらちゃらしていると思われるかもしれないが、彼の働きぶりは側から見ていてもなかなか勤勉だ。

とはいえ、なんとかかんとか一山越えて、もう大丈夫だろうと思ってもやっぱり大丈夫じゃなかったと急に手のひらを返され、いまだにやきもきすることも少なくない。子どもが年齢を重ねるにつれて、親にできることはどんどん少なくなっていく。

子どもの目の前に立ちはだかる扉を代わりに開けてやることもできず、ただ機が熟し、彼らが自分でドアを開けられるようになる日まで、子どもの側で辛抱強く待つことしかできなくなる。あるときは子どもを先導して、あるときは並んで、あるときは後方から、ずっと一緒に走ってきた。

今の息子の年齢と同じ19歳、大人の世界のルールを何一つ知らないまま親になって、子育てにようやく少し慣れたかと思ったころにひとり親になって、「これだから」と何かにつけて言われないために、全部ちゃんとやろうとした。

でも当然ながら全部ちゃんとやれるなんてはずもなく、不安を抱え、何度も途方に暮れ、いよいよもうだめだというときに、幸運にも必ず誰かが助けてくれた。私たち親子は今日までそんな風に、たくさんの人に支えられてきた。

家の中で幼い子どもたちと過ごしていると、自分たちは社会から隔絶され、すっかり忘れられてしまったのではないかと思うことがあった。公共の場所で泣き出した子どもを必死に泣き止ませようとしているとき、私と子どもは社会に迷惑をかけるだけのお荷物なのかと思うこともあった。20年の間、私も息子もちょっとずつ手痛い試練に遭遇しながら、ついにそんな社会から大人として「おめでとう」と歓迎される日を迎えた。

おめでとう、息子。そしてこれまでの私、お疲れ様。本当に、よく頑張ったね。

人生にはたくさんの困難がつきもので、歯を食いしばって耐え抜かなくてはならないときもあれば、それでもどうしようもないこともある。けれどせめて子どものうちは、自分が大切にされるべき存在であることを、世界が信じられるものであることを、疑わずに過ごせたらいい。私自身の体験をもとにウーマンエキサイト編集部の皆さんと始めたWEラブ赤ちゃんプロジェクト「泣いてもいいよ!」ステッカーの活動も、そんな思いがベースにある。

ありがたいことにこのプロジェクトは全国各地に広がっていて、現在は京都の市営バスや地下鉄の中に“泣いてもかましまへん!”と書かれたポスターが掲示されている。

撮影:藤田二朗(photopicnic) 撮影場所:京都府 烏丸御池駅・京都駅


赤ちゃんを温かく見守る眼差しが社会の中にあること、それを親子が実感できることは、不安ばかりの育児の中で、ともすれば親子の命をも救う大きな希望になる。また本来このメッセージは赤ちゃんとその親御さんへ向けたものであったけれど、特にこの2年、不安やストレスを抱えながら毎日を生きる大人達にも、同じように伝えたいと思うことが増えた。

“泣いてもいいよ!”

子どもも大人も、ときには泣いたって今日も生き続けていること、ただそれだけを祝福されていい。

撮影:藤田二朗(photopicnic)



私が子育てをする中で、これまでに受け取ったたくさんの温かい眼差しをできるだけ多く、次の子育て世代に向けていくこと。これをもって、お世話になった多くの皆さんへのお返しとさせていただければと思う。

文:紫原明子
(紫原明子)

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