石田純一、理子の難産明かす「最後は意識ないくらい」 会見の主な一問一答
2012-11-07 06:00 eltha
冒頭、石田があいさつ
「きのう11月5日午後7時24分、3362グラムの男の子が誕生しました。母子ともに健康です。幸せに思います」。
――(出産に)立ち会われたんですか?
「はい、立会いました。男性が踏み込めない領域でした。かなりの難産を予想されまして、帝王切開も踏まえながら、自然分娩で産まれました。陣痛から5時間で、最後、彼女は意識がないくらいでしたね。理子は(産まれた我が子を)抱きかかえられないくらいでした。酸素マスクもつけて、酸欠で大変でした」。
――生まれた瞬間はどんな感じでした?
「感動しましたね。出てきてくれ、生まれてくれって、それだけでした。オギャーって生まれてくれて、幸せでした。元気に生まれてくれた」。
――どちら似ですか?
「理子ですね。耳は僕かな。あと、パパ(東尾修)にそっくりで、めちゃくちゃ喜んでた。そっくりなんです。もう分娩室に入ってきて大丈夫ってなった時に、(修氏が)入ってこられて『ようし、鍛えてやるからな』って言ってた」。
――現在の理子さんの様子は?
「真夜中まで意識失っていた。ちょっと出血が多くて、気が遠くなってて、(出産報告の)ブログのアップが遅れたんです。真夜中過ぎに、だいぶ普通に戻って『復活した』って言ってました」。
――理子さんになんて声をかけた?
「頑張ったねって。ありがとうって。いろんな会見に出てきましたけど、こんなにおめでとうと言ってもらったことはない。出産という尊敬できる偉大な経験させてもらった」。
――我が子を見て、誓ったことは?
「彼の旅や使命の手助けができたら」。
――90歳くらいまでは生きないと。
「いやいや、80くらいですよ。でも、子供が20歳になるときは78歳…。そうですね、1日でも長く見届けたい」。
――名前は?
「お腹にいる時、ずっと理太と呼んでたので、それで行くか…とか。それにちなんだ名前にしようかとか、ちょっと字を変えたりとか、東尾修パパの名前を入れたりとか、いろいろ。3つ4つあるので、相談したいです」。
――ブログで血液検査について書かれてましたが
「元気に生まれてきました。それが何よりです。まぁ、これから何があるかわからないですし、不安材料を考えてもキリがないので、前向きに」。
(理子婦人と愛息の2ショット写真を公開)
「僕が撮りました。ちょうど真夜中過ぎたくらいに撮りました。ビデオも回してました。背中と頭を支えながら、左手でビデオも撮ってました」。
――靴下は履かせない?
「赤ちゃんって、手と足で温度を感知するらしいので、しばらくは素足でいてほしいですね(笑)」。
――いしだ壱成さんは何か言ってた?
「ちょうどさっき、駆けつけてくれたんです。感動してくれた。すごく喜んでくれました」。
――きょうの夜、仕事で大阪に行く予定だったから、親孝行なお子さんですね。
「本当ですね。気を遣ってくれる子ですね」。