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放置子だった幼少期、親の蒸発でひとり過ごした女性…人生を切り開く糧となった”詐欺メイク”への想い

2023-09-30 15:15 eltha

 重たい一重からパッチリの二重に、整形級に変化するメイク動画を投稿し「詐欺メイクの神」として45万人の登録者がいるYouTuber・足の裏さん。ハーフ系メイク、丸目メイク、大人ギャルメイクなど様々なメイクを披露していますが、幼い頃から複雑な家庭環境で、修学旅行に行けないほど家庭が困窮し、高校では自らバイトをして学費を払う生活を送っていたと言います。「何事もポジティブに置き換えないと、心がもたない生活を幼い頃からしてきた」とこれまでを振り返り、そのなかでも”メイクをすること”が明るい人生を切り開く糧となっていました。幼少期の記憶、メイクへの想いを聞きました。

詐欺メイクの神と言われるほどのメイクテクニックを発信している、足の裏さん

詐欺メイクの神と言われるほどのメイクテクニックを発信している、足の裏さん

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■「今思うと、放置されていた」、健康診断で栄養失調と告げられた幼少期

 小学校入学前は、保育園や幼稚園に入ることはなく、毎日一人で、住んでいた団地のまわりを徘徊していたという足の裏さん。

「団地のまわりにはぜんぜん人がいなかったので、いつも一人で。今日はこっちの道から探検してみようとか、徘徊を楽しんでいました。今思うと、放置されていたわけですけど、自分自身は当時悪い印象や傷ついた記憶は一切ありませんでした。近所の保育園に通っている同年代の子たちを見ても、興味はあるけれどお母さんに言っても『行けない』と言われるだろうしって小さいながらに納得していましたし、母子家庭で、戸籍上のきょうだいはいたけれど、一人っ子のような感じで育ったので、一人でいることにも慣れっこになっていました」

 当時、母親と住んでいた住居には部屋が2つあったそうですが、「足の踏み場もないくらいのゴミ屋敷」で、唯一くつろげるスペースは、ガムテープがいっぱい貼ってある布団1枚の上だけでした。「夜はそこに母と横並びで寝て、ご飯もそこで食べる状態で。おかげで幼少期は日焼けで肌が真っ黒でした(笑)」。

 食事をとれておらず、菓子パンや具ナシのインスタント麺が主食。小学校に入学した最初の健康診断では「栄養失調」と告げられ、未払いで水道や電気ガス等が停まるのは日常茶飯事。学校から未払いの通知を渡されたり、家賃滞納で家を追い出されたこともあったと言います。

「中学の3年間は母とぶつかることがすごく多かったです。そのときは母と施設で生活保護を受けながら暮らしていたのですが、『お金が入ったらまず最初に光熱費を支払わなきゃダメだよ』と言っているのに母はそれができなくて、部屋も引っ越してきたときはキレイだったのに、すぐに母の部屋だけゴミ屋敷になっちゃって。私は母と性格が180度違うので、そういうことに耐えられなくて、すごく注意するんですけど、母は言ってもできないし、すぐに泣いてしまって話し合いにもならなくて。何度言っても状況を変えることがなかったので、中学卒業してすぐに、バイトを探しに行きました」

 生活保護の都合上、足の裏さんがバイトをすることで、その分の金額が受給額から引かれてしまうため、生活水準が良くなることはありませんでしたが、「自分で稼げば、そのお金でまず光熱費や学費が払える」と、そうすることが足の裏さんにとっての精神安定となっていました。高校ではとんかつ屋で週5のバイト生活を送り、貯金もできるようになりました。

「高校生活は楽しかったし、バイトもとんかつ弁当が安く食べられる喜びもあって、頑張ろうって思えていたので、全然大丈夫でした。母が突然いなくなる高校3年生までは、安定した生活でしたね」

 高校3年生でひとりになってしまった時期が「一番辛かった」と足の裏さん。

「母の借金が発覚して、その返済が私にきて、貯金していたお金も全部なくなってしまって。悲惨すぎて友達にも言えませんでした。乗り越えられたのは、『親がああだから子どももこうだ』と思われたくないというプライドがあったからです。そう思われるのだけは悔しいから、真面目に生きようってそのとき強く思いました。命を断てば、大変な生活からは逃げられるけれど、命を断つってすごく怖いことだし、私にはその勇気もありませんでしたしね。何より、明日からは普通に学校もバイトもある。過去は変えられないけれど、ここから先は自部次第、自分の人生は自分で選べるんだって強く思っていました」

■研究しつくしたメイク「それが苦ではなく、楽しかった」

足の裏さん

足の裏さん

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 そんな生活を送る足の裏さんを見守ってくれていたのが、当時の友人たちだったと言います。修学旅行に行けないと判明した際も、お金を貸そうとしてくれた友人も。「ありがたいのが、私が今までの人生で巡り合った人たちがみんな素敵な人なんですよ。私も一度きりの人生で、楽しく過ごしたいというのが一番でした」。

 高校入学からアイプチで一重を二重にして登校していたという足の裏さん。”モテるためのメイク”に熱中し「クラスメイトのギャルたちが教室でメイクをする過程を見て、メイクを学んでいきました」と振り返ります。

「ギャル友達は、もとの顔立ちがキレイなうえにメイクをしているので、私が同じようなメイクをしても、物足りない顔になってしまってしまうんです。それが自分の中では大きな課題で、もっとアイラインを太くしたらいいのか、つけまつげを3枚重ねたらいいか、大きいカラコンをつけたらいいのか…など試行錯誤を繰り返して、どんどんメイクが濃くなっていって。当時は、まわりから見たら『そのメイクは正解なの?』っていう失敗も多かったと思います(笑)」

 しかし、足の裏さんは一重であることを悲観したり、アイプチの作業を煩わしく思うことは一切なかったそう。「一緒にいる友達だけ声をかけられたり、連絡先を聞かれたりということはありましたけど、ぜんぜん気にならなかったです。そうだよね、私の友達めっちゃカワイイもん! って思っていたし、自分がモテないことも、普通のことだと認識していたので、凹むこともありませんでした」。

 また「人と比べても意味がない」と、ある種の”悟り”を開いていたとも言います。「私はまわりの人たちと顔も生活環境も違い過ぎていることを認識して育っていたので、人と比べても意味がないと思っていたんです。小さい頃から家庭環境が複雑で、安定した生活が送れず、生活や学費のために高校時代は週5でとんかつ屋さんでアルバイトしていましたし、修学旅行も行けませんでした。メイクに関しても、自分は人よりもたくさん研究が必要だし、時間も必要だと当たり前のこととして受け止めていたんです。そして、それが苦ではなく、楽しかったんですよね」。

 とはいえ、「1億円あげるから」と言われても、「二度と同じ人生は送りたくないですけど(笑)」と足の裏さん。

「人生で起きることってひとつも無駄なことはなくて、すべて意味があることだと思って生活してきましたが、そのとおり、『今の自分があるのはこんな人生だったから』と思えています。同じようなことで悩んでいる方へアドバイスすることもできますしね。生まれる場所は自分では選べないし、変えられませんが、人生は選択の繰り返しで、自分が選択したその先には、必ず繋がるものがあって、必ず助けてくれる人がいる。私にとってはすべて必要な経験だったし、その経験が自分を強くしてくれたと思っています」



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