井浦新 活躍の裏に名監督、家族の存在――人生を変えた特別な出会い
2015-09-11 eltha
現在は俳優のほか、日本の芸術、歴史、伝統文化を未来に繋げ拡げていく活動も行っている井浦新さん。40歳を迎えた今もなお甘いルックスは健在ですが、それ以上に人々のハートを惹きつけている理由は、歳を重ねるごとに増す円熟した人間味にあるはず。そんな井浦さんの魅力や才能を開花させた“ターニングポイント”を探ってみると、名監督たちとの出会い。そして、家庭を持ち父親になった、プライベートの変化が大きかったようです。
俳優・井浦新を突き動かす、若松孝二監督の言葉
――昨年40歳を迎えられた井浦さん。人生においてもキャリアの上でも、ひとつの大きな節目だと思いますが、井浦さんにとって転機を挙げるとしたら?
井浦新 ひとつめの転機は23歳で役者をはじめた時だと思います。19歳からモデルの仕事をしていたのですが、その活動の中で是枝裕和監督との出会いがあり(映画『ワンダフルライフ』で初主演)、役者の世界に引き上げてもらいました。また、その時期にモノ作りもスタートさせたので、23歳は2つの活動が同時期に始まったというとても大きな年です。
――以前、何かのインタビューで「芝居は人間を作るもの」というように、モノ作りと人間の根っこの部分は同じとおっしゃっていましたが。
井浦 はい。でも役者を始めた頃は、それに気づいていませんでした。当初、芝居は自分の中でそれこそ異文化というか、演じるという発想がまったくなかったので、芝居の醍醐味を感じるまでにものすごく時間がかかりました。ですから、最初の数年間は自分自身の感情や人間性との共通項を見出せない役にはなかなか向き合うことができませんでした。どちらかというと撮影部や照明部など、技術スタッフの仕事に興味があって、作品を1本作るためにたくさんの職人さんが集まっている現場と、そこに身を置ける環境に感動していたんです。でも、役者としての経験を積んでいくうちに俳優部も人間を作っていく職人であり、アーティストなんだなと自分の中にしっかり“落ちて”きました。それからは、絶対に想像もつかない自分とは程遠い役ほど燃えるというか、困難であればあるほど挑戦しがいがあってモチベーションが上がるようになりました。
――実際、井浦さんは毎回別人かと思うほどの徹底した役作りに定評があります。特に映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『キャタピラー』、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』など、故・若松孝二監督の作品では異彩を放つ役柄を演じています。監督からは「お前は何でもやったほうがいい」と言われたそうですね。
井浦 2回目の節目があるとしたら、間違いなく若松監督との出会いでしょうね。監督から「お前という人間はひとりだけども、役を通すことでいろんな人間を生きることができる。それが役者の面白さだろう」と言われたのは大きかった。若い頃はアンダーグラウンドなものやマイノリティーなものにしか興味がなくて、その中に本質が潜んでいると思っていました。でも、若松監督と出会いキャリアを積ませていただく中で、殻に閉じこもって出て行かないのは自分にとっての罪というか。
――井浦さんの中で、何かが開けていったんですね。
井浦 たとえ失敗しても、いわゆるオーバーグラウンドな世界にもどんどん飛び込んでいって、両方の世界を行き来する活動こそ、自分が目指すべきことだと気づいたんです。だから、今は節操なく表現していきたいと思っているし、そうすることで自己表現を越えた表現。いわば“無の境地”みたいな場所に行きたいなと。そのためには何ごとにもとらわれないこと、こだわらないことが大事だし、自分にとって今はそういう時期なんじゃないかなと思って活動しています。
井浦新 ひとつめの転機は23歳で役者をはじめた時だと思います。19歳からモデルの仕事をしていたのですが、その活動の中で是枝裕和監督との出会いがあり(映画『ワンダフルライフ』で初主演)、役者の世界に引き上げてもらいました。また、その時期にモノ作りもスタートさせたので、23歳は2つの活動が同時期に始まったというとても大きな年です。
――以前、何かのインタビューで「芝居は人間を作るもの」というように、モノ作りと人間の根っこの部分は同じとおっしゃっていましたが。
井浦 はい。でも役者を始めた頃は、それに気づいていませんでした。当初、芝居は自分の中でそれこそ異文化というか、演じるという発想がまったくなかったので、芝居の醍醐味を感じるまでにものすごく時間がかかりました。ですから、最初の数年間は自分自身の感情や人間性との共通項を見出せない役にはなかなか向き合うことができませんでした。どちらかというと撮影部や照明部など、技術スタッフの仕事に興味があって、作品を1本作るためにたくさんの職人さんが集まっている現場と、そこに身を置ける環境に感動していたんです。でも、役者としての経験を積んでいくうちに俳優部も人間を作っていく職人であり、アーティストなんだなと自分の中にしっかり“落ちて”きました。それからは、絶対に想像もつかない自分とは程遠い役ほど燃えるというか、困難であればあるほど挑戦しがいがあってモチベーションが上がるようになりました。
――実際、井浦さんは毎回別人かと思うほどの徹底した役作りに定評があります。特に映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』や『キャタピラー』、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』など、故・若松孝二監督の作品では異彩を放つ役柄を演じています。監督からは「お前は何でもやったほうがいい」と言われたそうですね。
井浦 2回目の節目があるとしたら、間違いなく若松監督との出会いでしょうね。監督から「お前という人間はひとりだけども、役を通すことでいろんな人間を生きることができる。それが役者の面白さだろう」と言われたのは大きかった。若い頃はアンダーグラウンドなものやマイノリティーなものにしか興味がなくて、その中に本質が潜んでいると思っていました。でも、若松監督と出会いキャリアを積ませていただく中で、殻に閉じこもって出て行かないのは自分にとっての罪というか。
――井浦さんの中で、何かが開けていったんですね。
井浦 たとえ失敗しても、いわゆるオーバーグラウンドな世界にもどんどん飛び込んでいって、両方の世界を行き来する活動こそ、自分が目指すべきことだと気づいたんです。だから、今は節操なく表現していきたいと思っているし、そうすることで自己表現を越えた表現。いわば“無の境地”みたいな場所に行きたいなと。そのためには何ごとにもとらわれないこと、こだわらないことが大事だし、自分にとって今はそういう時期なんじゃないかなと思って活動しています。