
「性を謳歌する女性がいてもいいじゃないか」“怒り”を原動力に テレ東ドラマに新たな風を吹き込んだプロデューサー
2022-06-29 eltha

大学時代に感じた怒りがドラマやバラエティーを作る最大のモチベーションに

(C)テレビ東京
「だってシモネタって喋ってると楽しいじゃないですか。お酒を飲んでシモネタで盛り上がるの、なんであそこまで楽しいんでしょうね(笑)。何らかのやましさが逆作用してるのかな?」(祖父江P/以下同)
あけっぴろげに明るく話すが、その実、内面には巨大な怒りを抱えている。大学生の時、男子学生はシモネタで盛り上がっているのに、彼女が楽しそうにセックスなどの経験を話すと、男子学生から「お前、そんなこと言うなよ」「ビッチだな」とドン引きされた経験からくるものだ。「なぜ男はいいのに、女はダメなんだ!」。これが今も彼女の原動力になっている。
「アセクシャル(他者に性的欲求を抱かないセクシャリティ)の方もいらっしゃいますが、性欲というのはある種、当たり前のように誰もが持っているわけじゃないですか。それを女性だけ出してはダメというのはおかしい。性を謳歌する女性がいてもいいじゃないか、というのが私のドラマ、バラエティを作る際の最大のモチベーションになっています。女性だって性に興味ある人はいる。でも出すと引かれるから外に出せない。抑圧されている」
『モヤモヤさまぁ〜ず2』『YOUは何しに日本へ?』での“街ブラ”経験がドラマ作りの礎に

高校時代の祖父江P(卒業アルバムより)
高校時代には演劇部に入り、物語を紡ぐ面白さを堪能した。だが彼女の住んでいた場所は岐阜。テレビのプロデューサーになるために東京へ出たい! その想いで大学受験に挑み、上京。初志貫徹し、卒業後にテレビ東京に入社する。
「入社した2008年は、ドラマ24枠が出来て3年足らずの頃。私自身も入社が決まった時、『なんでも鑑定団』と『TVチャンピオン』の会社と思っていたぐらい、テレビ東京に今ほどドラマのイメージがない頃でした。さらに他のキー局と違い、小さな会社でドラマ制作も監督や技術、美術などは外注なので、社員をテレビドラマのプロとして育てられる環境がなかった。結果、私はまず修行としてバラエティ班配属になったのです」

高校時代の祖父江P(卒業アルバムより)
本人曰く置かれた場所で、それなりに人生楽しく生きていけるタイプだったから、バラエティー制作もそれなりに楽しかった。しかし、一方で「自分が(バラエティーで)何をやりたいのかもよく分かんないから、その既存の番組の1スタッフとしては活躍できるけれども、新しいものなんか作れる気がしなかった」という。
そして晴れてドラマ制作に携われるようになったのが10年後。「もうドラマにいけないかもしれない」と思っていた矢先だった。だがここからも修行の日々。『よつば銀行 原島浩美がモノ申す!〜この女に賭けろ〜』では助監督の下っ端をするなど下積みは続く。「当時34歳で、体力的にも苦しかったし、やっぱ理不尽に耐えられるのは20代前半までって思った」日々を乗り越え、『来世ではちゃんとします』を手掛けることになる。