ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。
歴史に名を残した強い女性に焦点を当てていますが、権力者が男性主体の国や時代が圧倒的に多い歴史の中で、成功者として語り継がれる女性ってだけで常人には無いパワーを感じますよね…!
努力だけではどうにもならない出自や能力に、自分の夢を実現させるバイタリティが掛け算された結果なので、凡人には到底真似できるものでは無いんですが、それでもそんな人がいたんだと知るだけでも何だかポジティブなパワーをお裾分けしてもらえるような気がしています!もっと頑張れるよ、やってごらんと背中を押してくれているような、そんな気持ちになります。
さて、今回は久しぶりに日本人女性に戻ってみたいと思います。名前はとっても有名だけど、実際どんな人だったのか、どんな生活をしていたのかを知っている人は多くないと思うんですよね。
そう、明治から昭和を駆け抜けた情熱の女流歌人、この方です!
なぜ時代を代表する女性となれたのか?
名前の覚えやすさ、教科書に顔写真付きで必ず載ってるあの人、そしてなんとなくセクシーなタイトルの歌集『みだれ髪』。
…とインパクトのある情報でまずまず日本人一般に浸透している彼女。その人生を調べてみると多方面で「すごい!!」と声が出るほど見どころたっぷりな女性だったんですよ…!
明治生まれの女性って、しっかりと芯はあるけれど控えめで、男性と対等に活躍するのは難しく苦労していたイメージでした。
その点、与謝野晶子って不思議なんです。
23歳という若さで世に出した処女歌集『みだれ髪』が大ヒット。当時の女性の感覚からしたら非常に情熱的に、恋愛や性愛に率直に言及した内容でした。
さらに日露戦争に出征した弟に向けた詩は反戦の意志が明確で、天皇が自ら出征することはない、といった右派を刺激するような強い作品も発表しています。

一見大胆な表現で、また性に意欲的な女性が歌壇・文壇で目立つ…この時代ならいかにも男性や保守的な女性たちから叩かれそうな要素を持っているのに、なぜかあまり激しいバッシングを受けたりしていないんですよね。
もちろん一部から批判されたり距離を置かれたりはあったようなんですが、以前取り上げた瀬戸内寂聴さんのように社会的に吊し上げされ、業界から追い出されるような事態にはなっていないんです。
それはなぜなんでしょう?
略奪婚を乗り越える!与謝野晶子は大阪・堺の老舗和菓子屋『駿河屋』の末娘として生まれました。当時は時代的に社会経済は苦しくなってきており、10人以上の兄弟の末っ子ということもあり裕福とは言えない状況でしたが、そんな中にあっても女の子である晶子が読書をしたり学問を学びに塾へ入ることには寛容だったそうです。

この時代にありがちな女は無知で従順であれという考え方に縛られることなく、幼い頃からさまざまな作品に親しんできたことは自由な感性を育んだことでしょう。
ただ過激なだけの作品ではなく、育ちの良さに裏打ちされた教養の高さが知識層から受け入れられたようなのです。
そして20歳で歌人・与謝野鉄幹と出会い略奪婚となります。これだって当時の価値観から考えると社会から爪弾きにされそうなもんですが…。革新的な作風が注目され、「一人の女性」としてのスキャンダル以上に「表現者」としての才能が評価されるのです。また明治後期はちょうど「個人の感情」や「自由な愛」を尊ぶ浪漫主義文学が台頭していた時代でした。与謝野鉄幹が主宰した雑誌『明星』の周辺では、「恋愛=魂の解放」とするような思想が広がっており、晶子の行動もその文脈で「自由と情熱の象徴」として理解されやすかったのです。
伝統的な型・様式に縛られがちな和歌というジャンルで晶子のような開放的で革新的な表現が受け入れられたのは、この明星派の隆盛も大きな後押しになっていたんですね。
若く感性豊かな時期に新しい思想を持つ文化人と恋愛関係になり、影響を受けたことは彼女の作品をより彼女らしく磨きあげた…正直、この部分だけ切り取るとあざと女子にも見えてしまうところですが、実際に人並み外れた才能と実力を持ち活躍し続け、略奪愛からはじまったとはいえ、生涯を鉄幹と共にしたことを踏まえると、強い信念を貫く女性だったのだろうと思われます。
もう一つ、明治後期は近代国家建設推進の中で「女性教育」や「自由恋愛」のような欧州の思想・価値観が知られるようになり、平塚らいてうや津田梅子のような女性活動家も同時期に現れていました。

時代の転換期なので上記の女性たち同様に反発する保守的な層ももちろんいましたし、同じ女性でも「はしたない」「同じ女性として恥ずかしい」と距離を置く人たちもいたのも事実です。
ですが、逆に新しい価値観を知り始めた若い女性たちは熱狂的に支持したようです。こういうことって現代でもありますよね。
ジェンダーや多様性のような古い慣習を変えていこうという価値観のアップデートには、どうしても受け入れられない層の反発と古い価値観に疑問を持つ若者の熱狂的支持、必ずどちらもあります。
インターネットもテレビも無い時代、彼女は短歌や詩という作品を通じて静かに、しかし熱く光り輝くまさに『明けの明星』のような存在になっていたのです!まさに時代の人!
ところで、現代でもバリキャリママ VS 専業主婦ママ、子育て VS 産まずに働く など、極論で争っている構図をSNSなどでも見かけますね。(どちらが正しいわけでもなく、どんな選択をしたとしても、子育て中心になっても収入に困らない社会であればこいいと思うのですが…。)
これだけ若くから勢力的に作品を生み出し続け、どんどん活躍の場を広げ、さらには文化サロンの運営もしていた与謝野晶子の家庭生活はどうだったと思いますか…?
なんと…!
12人産んでます!!
時代的には1人の女性が10人以上産むのは珍しくないのですけど…。
ちょうど前回紹介したマリア・テレジア16人出産にも驚嘆したとこですが、女王さまだし…育てるのは乳母任せで、実質は産むまでしかしていない、それだって妊娠期間長いのに…と思ったのですが!
与謝野鉄幹・晶子夫妻は文壇・歌壇で活躍していましたが、家計は鉄幹の原稿料があまり入らず、なかなか苦しい一般庶民同等の家計だったようです。
つまり子育てと畑仕事だけの明治日本の専業おっかさんとも、産んだら後はお任せのバリキャリ女帝とも違い、晶子は子育ても仕事も全て自分でやらねばならなかったんです!!
ふぅ…3人兄弟の平日ワンオペ、在宅フリーランスでも毎日ヒーヒー言ってるのに…この連載だって正直…いっつも原稿間に合わなくてごめんなさいしてるのに…。
当時と現代では子育てへの世間の目も全然違うので、岡本かの子のように子を柱に縛りつけて(覚えてますか?)…なんて現代なら通報レベルなこともまかり通って成り立っていたのかもしれませんが、親族や上の子たちの協力もかなり得ながら晶子は合間を縫って執筆活動のスピードを緩めず走り抜けました。凄すぎる…。

授乳の合間に短歌を書き、寝かしつけたら執筆し、赤ちゃんをおんぶしながら出版前のゲラチェックをし…。
子育てと仕事の両立は夫・鉄幹も認めるところで、「晶子は乳児をおんぶして筆を走らせていた」と回想しています。
大天才のやることに気軽に「わかるー」なんて言えませんが、実際私自身も子育て絵日記がきっかけで執筆のお仕事をするようになったので、子育てという経験がインスピレーションや感性の広がりに良い影響があることは間違いないと思うんです。
元々リアルな体験を情熱を持って率直に表現するのが与謝野晶子。そのテーマが恋愛から子育てに変わっていくのは自然なことですね。
子育ての苦悩、思春期の子との距離感もリアルだからこそ共感を産む。現代の子育て系SNSも、誰もが経験するけれどうまく言語化できない出来事を代弁してくれるような投稿がバズります。自分の心の中を整理してもらえたような爽快な読後感が支持されるのは、きっと昔も今も変わらないということなんですね…!
圧倒的なバイタリティ…!
全部諦めないから全部叶う!家で子育てをしながら仕事をするだけでなく、与謝野家は夫婦で若い文学者たちが集まる文化サロンのような環境も作りました。これも多くの文豪が刺激を受け合いながら切磋琢磨したこの時代ならではの良さですね。現代はその環境がインターネット空間になっているのかな。
しかし…この圧倒的なバイタリティ、並大抵の体力と精神力では太刀打ちできません〜!

だって家庭のサロン化までしたら、ずっとパワーONじゃない?いつ心休まる時間があるんだろうって思っちゃいません?基本OFFで外出る時だけ無理にONにしてる陰キャには理解できません…。
前述の通り同時期に女性活動家も〜という話をしましたが、実はその女性活動家たちの多くが、活動期間が限られていたり家庭生活を選択しなかったり(できなかったり)と、与謝野晶子ほど家庭と仕事を両立しながら生涯に渡り活躍した人はいないのです。(もちろん両立については周りの環境や思想にもよるので、できたから素晴らしいというわけではありません。)

残された与謝野晶子の写真を見ると、どれも静かながらキッとまっすぐな視線を感じます。黙ってやりたいことは何がなんでも絶対にやり抜く、そんな強い意志の火を死ぬまで弱めずに駆け抜ける人生って、かっこいいですね。
裕福な家庭に生まれたり、何かの才能を持っていたり、生まれつき恵まれている人はいます。でもそれだけで全てがうまくいくことはないと思います。運を努力で増幅させて生きるには本人の力強さと意思ゆえの結果…!
毎日心身ともに自転車操業のような私ですが、せめてその前向きさだけでも見習って、今日のやるべきことに向かいたいと思います!
(tomekko)