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「障がいを認めたくない気持ち」を乗り越え娘の療育手帳を申請するまで...読者の共感集まる「うちの子も同じ」



これまで健診でも発達に関して指摘されてこなかった長女が、療育手帳を取得することに。療育手帳とは、児童相談所または知的障害者更生相談所において、知的障害があると判定された方に交付される手帳のこと。母親が娘の療育手帳を取得するまでの体験談です。

■娘の登校に付き添い3か月…


育てやすい子だなと思っていました。でも保育園の参観日。


お昼ご飯の時間。


そんなある日のお迎え時、先生に「娘が今までできたことができなくなってきているんです」と相談すると…


「赤ちゃんの時みたいにたくさん抱っこしてあげてください」とも言われたので…


それからしばらく気になることがなかったので、単なる赤ちゃん返りだと思っていました。ところが、ゆいが小学校に入るとまた気になることが。


それからというもの、登校の付き添いは日課に。


一ヶ月も経つと付き添う親は数人に。ゆいの付き添いは3ヶ月後も続き、さすがに一学期が終わると限界に。


娘の気持ちを考えていなかった、と反省。娘の不安を減らすために、正社員を辞めてパートで働くことに。


効果があったのか、慣れただけなのか、二学期からは一人で登校できるようになりました。

やがて三年生の二学期。遠足の前日、ゆいは「遠足に行きたくない。怖い」と言い出し、行く直前になると…


辛そうだから休ませようか悩みましたが、学校からも連絡があり、娘を行かせることに。


娘はなにごともなく遠足から帰宅。これからまた学校に行き渋るようになったら、それは自分が甘やかしたせいかもしれない、と思いました。


かつて自分が描いた絵日記を読み返すとよくわかりました。



でも当時はあまり気にせず、楽観的にとらえていました。



■娘は発達検査を受けることに。

ところが四年生のクラス替えで友だちと離れ離れに。人見知りの娘は新しい友だちを作ることができず、テストの点数もどんどん落ちていきました。


そんなある日、小学校の担任の先生から、娘のことで話があると電話が。ドキドキしながら学校へ行くと…


ノートをとるのも間に合わないことが多く、つまり授業の進度についていけていないとのこと。「このままではゆいさんも辛いと思います」と先生。


最初は抵抗があったものの、先生からの勧めもあり、検査に申し込むことを決めました。


娘の検査が終わると、入れ替わりで保護者がヒアリングを。


そして検査結果は…


そもそも療育手帳って?


知的障害か…自分もいろいろ娘を追い詰めていたのかもしれない…。



夜遅くまで働く父ちゃんと話せるのは朝だけ。この日はゆいの検査結果について話すことに。


ところが「手帳を取るのだっていいことばかりではないでしょ」と父ちゃん。


娘の療育手帳を申請することに決めたのです。

こちらは実話を元に、2023年5月23日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に対する読者からのコメントを紹介します。



■読者の体験談も。

今回の実話には、共感する声や、続きが気になるといったコメントが多く寄せられました。

・障害があるのではないかと感じ、不安になる気持ちわかります。身内にわかってもらえない場合は本当につらいと思います。行政に、気軽に相談できる場があるといいと思います。

・ウチの子も軽い発達障害で療育手帳を持っています。無理をせずその子に合った子育てをお勧めします。

・うちの子も発達障害ではないかと感じているので続きが気になります。

・親の不安な気持ちを追体験できて良かった。

・とても胸が苦しくなりました。ウチも、この話と全く同じだったので。

・今の経緯、状況がピッタリ同じで驚きました。養育手帳がやっと貰えた段階で、今後どのように対応して行くか、試行錯誤です。

・我が子も同じような感じです。 働きながらなので、主人公の気持ちが痛いほどわかります

自分の子どもの頃を思い出して同じようだったなと今頃思いました。よく保健室で休んでたなぁ。

・この話を読んでいると、私の経験と重なる部分が多くて、実は私は発達障害なんじゃなかろうか……?と思った(というか、ここ数年、発達障害のことが取り上げられるようになってからそう思うようになった)。とにかく症状が重なっている。 今、私は44歳で、私の時代にはこういった体制が整っていなかったので、今の子たちが羨ましい。もっと早くこういった体制が整っていれば、私も楽に生きられたかも知れないのに。

・私も療育手帳所持者の40歳女性です。30歳を過ぎてから手帳を持ち、精神障害者手帳じゃないか? と今も思い生活してます。私にも当てはまるヒントがあればと思い見させていただいています。

・我が子はまだ未就学児ですが、いらこさんの娘さんのエピソードと重なるところがあり、続きが早く読みたいです。

私も境界知能なので、娘さんの事が他人事ではありません。 続き読みたいです。

・同じ軽度知的の子を抱えているので、気持ちを共有させて頂いています。

・そもそも子どもの程度の問題もあるけど、やっぱり親が神経質か楽観的かかもでも全然違うのが現実だと思う。療育は学校などから提案することはできても、あくまでも最終的には親の判断に委ねられるから、どう見ても(黒に近い)グレーだよねっていう子でも親が療育には行かないと拒めばそれで終わり。その結果、先生方が大変な思いをされることになる。逆に軽度でも親が急いで対応して幼児期のうちに足並みを揃えられた人の話もたくさん聞く。とはいえ、我が子を障害児と認めて療育に通わせることのハードルの高さは計り知れない。良くも悪くも親次第だとつくづく思うし、デリケートで難しい問題だと思う。


療育手帳の取得について、もう少し様子を見たほうがいいと提案した夫に対するコメントです。

旦那さんの反応はある意味正常なものだと思いました。育児の最前線にいないなら、その重要性もわからないだろうし、昔からそういう子は一定数身近に存在していたわけなので。旦那さんが単身赴任で育児にあまり関わっていない(関われていない)のであれば、最初から「こういう結果が出たから私はこうしたい」と話せばいいのにと思いましたが、そう言えない人もめずらしくないのかなと勉強になりました。ちなみにうちは療育手帳の話こそ出ませんでしたが、主人に何も言わずに療育を始めました。何となく主人は前向きに考えないと思いましたし、私の意志が固かったため、言っても言わなくても結果は変わらないと思ったからです。療育手帳が絡むと流石に話さないわけにはいきませんが、そのくらい強硬な姿勢を見せてもいいんじゃないかと個人的には思っています。

・実は私は専門職として医療機関で働いていました。 結論として、この年齢で軽度知的障害があるなら追い付くことはありません。お子さんにとって適切な支援を受ける方が発達に望ましいです。こちらのお父さんのような親御さんはよくいらっしゃいます。でも結局、高校生や就職する段階になって困るので、早めに取得した方がいいですね。就労支援や年金など、様々なメリットがあります。また、手帳取得によって、きょうだいの結婚に影響が出ることを心配する親御さんもいらっしゃいますが、障害をもつお子さんが自立して生きていく(言い換えれば、兄弟の人生に影響を少なくする)ためには、やはり手帳取得はよい方法かと思います。

・子どもの障害を認めたくないのは分かる気もするけど、子どもの生きにくさをいかに取り除くのが重要であって、そこを見抜かないと、この旦那さんのようなこうした考えになってしまうのは普通なのかなと。自分の旦那も似たような感じなので。

父親って大概がこう言う対応をとる。向き合う勇気がなかなか出ない。でも毎日毎日子どもとガチンコで向き合ってきた母親の意思を尊重してほしい。転勤で大変だろうが、有給を申請して対面で話し合ってほしい。 子どものこれからの長い人生の話なんだから。

・すごく良く分かります! うちもこうやって押し通しました。その後数年ネチネチ言われましたが、その都度言い返しました。 結果的にその後、子どもが楽しく学校へ通うようになったので、夫は受け入れる気になったようです。

・本当にこれ。我が子を障害児と認めなければいけない壁。でもそれって結局は子どものためではなく親のエゴなんだよね。子どものために親ができる事は「普通」という枠に押し込めることではなく、個々が過ごしやすい環境を整えることだと思う。そこを乗り越えたお母さんたちはみんなどこか清々しい表情をしているよ。

また、同じような経験のある読者のコメントも紹介します。

・私は小学校5年になる娘がいます。1年生の時から未だに送り迎えし、時には下駄箱までも行きますし、娘が私がついて行くことで安心するなら、娘が納得行くまで、中学校になっても本人が望むなら、学校についていくと決めてます。子どもはいつか離れていきますので、今しか出来ないことを本人が納得して、安心なら、よりそってあげるといいと思います。

・うちには療育手帳が取れるギリギリの今年小1の子ども(弟)がいます。もう送らなくていいと言われています。 しかし、定型発達の兄(現在小2)の方が、ずっと途中までの見送りを希望していました。 定型か発達障がい等ではなく、子の個性として受け止めたらいいのではと思います。 定型発達の男の子で、本人希望のもと、昇降口まで毎日見送りに来ていたお母さんもいました。本人が納得して出来るようになるまで、が理想だと思います。 学校までの距離が遠く、兄が小1の時、弟が年長で、長男を学校まで送って自転車で大急ぎで戻ってきて、これまた大急ぎで次男の用意をして幼稚園バスにのせ、自分も仕事の用意をしてすぐ出るという生活で大変でした。しかも次男は軽度知的障がいがあり、なかなか自分で出来ることは少なくほぼ母の介助が必要でした。 長男には1人で行けないか何度か時期を見て促し、反応を見ながら対応しました。 最終的に本人が大丈夫!と思えるかどうかです。大変でも時間が無理でない限り、見守ってあげて欲しいと思います。そうしないと、どこかで無理して負荷がかかり、不登校などにつながるからです。小学校入学はそれほど環境変化が凄まじいと大人でも思います。

・我が子のことのように読んでいます。 幼稚園のときから感じていた違和感。小学校に入学して、ノートを書くのが遅く授業についていけないのを参観日で目の当たりにして、小学一年生だからこんなものか、と思っていたのがうちの子が、他の子ができていることができていないんだと気づいたときの絶望感。それから少しずつできることが増え、安堵しつつ、担任の先生から勧められた発達検査。まったく流れが一緒です。そのあと検査結果もそこまであからさまに悪いものではなかったのですが、担任の先生から支援級への通級を進められ、そのときが私にとっては一番ショックでつらかったです。 そこまでしないとダメですか、と言ったことに対し「息子さんのいいところを伸ばして、困っているところはさっと助けてあげられるように学校としても対応していきたい」という旨を言われ、覚悟を決めました。 あのとき担任の先生がはっきり言ってくださらなかったら、息子の学校生活はもっと困難でつらいものになっていたと思います。 今は小4で支援級に通級しながらも楽しく学校に通っています。通常級だけでは絶対にもっと勉強に遅れを取ったりして苦しかっただろうと想像できるので、ゆいさんやお母さが療育手帳を取得することで特性と向き合いつつ、穏やかな日々を過ごせることを願います。

・私も長男を小学1年より、療育手帳を取得するにいたりました。お気持ちは、わかります。保育園前より、療育機関へ勧めがあるのにも関わらず、一人目だし、男の子だし、素直だし、オムツ外れも早かったし、と生活がいっぱいで、作者さまと同じように思い返すとそうだなあと考えさせられます。療育手帳を取らせて悩んだこともあります。現在、18歳になり、小、中と、支援級と通級の二足わらじ、卒業後高等支援学校、職業訓練校に通ってます。支援級を卒業すると、普通の高校(全日、夜間)に行けない現実でした。通級で少し障がい者いじめにあっていた彼は、別にいいよといってはくれてますが。 高等支援学校は、高卒扱いでないのが、親として考えるところです。 実親に伝えると、残念がりました。しつけとか、関係ないですから、脳の神経伝達が上手く繋ぐことがでない、原因不明、遺伝etcなので、その子に合った教育が必要なのです。実は私は、ADHDで精神手帳を持ってます。 来年には息子の障害者年金の申請が始まります。娘さんはどれくらい成長されたか、わかりかねますが、末長く見守ってあげて下さい。お互い頑張りましょう

・私の息子も発達障害で受け入れるのに時間がかかりました。私は私で、たぶん学習障害があると思います。その時代には、発達障害や学習障害の言葉さえなかったのでできない私を叱り続けた母や教師にトラウマがあります。息子は加配の先生もいてくださって、おおむね順調な学校生活を送れています。やはり何事も認めないとその先には進めないって思うのです。今回は高学年になって手帳を取得したことは絶対に将来プラスになるし、生きやすさへの第一歩だと思います 最初認めるという覚悟が必要ですが、この先必然的に親の手が離れていくので、そのためにも手帳を取得して本当に良かったと思います。

子どもの障害を認める勇気、そして夫との意見の食い違い…経験のある読者たちの言葉はいずれもとても重みがあります。


(田辺香)

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