放置子、ゴミ屋敷、親の借金を肩代わり…”詐欺メイク”で困窮から抜け出した女性「親が親なら子も子だと思われたくなかった」
2023-04-28 07:30 eltha
■「今、思うと、放置されていた」一人でいることが慣れっこになっていた幼少期
━━小学校入学前は、保育園や幼稚園に入れてもらえず、毎日、一人で住んでいた団地のまわりを徘徊していたそうですね。
足の裏:はい。団地のまわりにはぜんぜん人がいなかったので、いつも一人で、今日はこっちの道から探検してみようとか、徘徊を楽しんでいました。今、思うと、放置されていたわけですけど、自分自身は当時悪い印象や傷ついた記憶は一切ありませんでした。近所の保育園に通っている同い年くらいの子たちを見ても、興味はあるけれどお母さんに言っても「行けない」って言われるだろうしって小さいながらに納得していましたし、母子家庭で、戸籍上のきょうだいはいたけれど、一人っ子みたいな感じで育ったので、一人でいることにも慣れっこになっていました。
━━家の中にはいられる状態ではなかったんですか?
足の裏:シンプルに家にいることが楽しくなかったんだと思います。部屋が2つありましたが、足の踏み場もないくらいのゴミ屋敷で、いられるスペースは、ガムテープがいっぱい貼ってある布団1枚の上だけでした。夜はそこに母と横並びで寝て、ご飯もそこで食べる状態で。おかげで幼少期は日焼けで肌が真っ黒でした(笑)。
━━食事はどうしていたのですか?
足の裏:……あまり食べていなかったですね。菓子パンとか具ナシのインスタント麺とか。なので、小学校に入学した最初の健康診断で「栄養失調」って言われました。
■親が親なら子も子だと思われたくない…そこだけには「プライドがあった」
足の裏:中学の3年間は母とぶつかることがすごく多かったです。そのときは母と施設で生活保護を受けながら暮らしていたのですが、「お金が入ったらまず最初に光熱費を支払わなきゃダメだよ」って言っているのに母はそれができなくて、部屋も引っ越してきたときはキレイだったのに、すぐに母の部屋だけゴミ屋敷になっちゃって。私は母と性格が180度違うので、そういうことに耐えられなくて、すごく注意するんですけど、母は言ってもできないし、すぐに泣いてしまって話し合いにもならなくて。何度言っても状況を変えることがなかったので、中学卒業してすぐに、バイトを探しに行きました。
━━自分でお金を稼ぐしかないと考えられたんですね。
足の裏:生活保護の都合上、私がバイトをすることでその分の金額は受給額から引かれてしまうので、生活水準が良くなることはありませんでしたが、自分で稼げば、そのお金でまず光熱費や学費が払えますからね。それは私にとって一番の精神安定でした。とんかつ屋さんで週に5日、めっちゃ一生懸命働いて、貯金もできるようになりました。
━━精神的に寄り添ってくれたり、支えてくれる、頼りにできるおとなは身近にいなかったのですか?
足の裏:いませんでした。でも、学校は楽しかったし、バイトもとんかつ弁当が安く食べられる喜びもあって、頑張ろうって思えていたので、全然大丈夫でした。母が突然いなくなる高校3年生までは、安定した生活でしたね。
━━高校3年生でひとりぼっちになってしまったんですか?
足の裏:その時期が一番辛かったですね。母の借金が発覚して、その返済が私にきて、貯金していたお金も全部なくなってしまって。悲惨すぎて友達にも言えないし、どうポジティブに置き換えればいいんだろうって……。
━━どうやって乗り越えられたんですか?
足の裏:一番大きかったのは、「親がああだから子どももこうだ」って思われたくないということでした。そこに対するプライドだけは強くあって、そう思われるのだけは悔しいから、真面目に生きようって、そのとき強く思いました。命を断てば、大変な生活からは逃げられるけれど、命を断つってすごく怖いことだし、私にはその勇気もありませんでしたしね。何より、明日からは普通に学校もバイトもある。過去は変えられないけれど、ここから先は自部次第、自分の人生は自分で選べるんだって強く思っていました。
■「今の自分があるのはこんな人生だったから、と思えている」
━━強いですね。
足の裏:「そう考えなければおかしくなってしまいそうだった」というのが正直な気持ちかもしれません。生きていくために、無理矢理、自分は自分、人は人、未来はいくらでも自分で変えられると、自分の頭の中で気持ちを切り替えて、整理していたんだと思います。
━━その後、25歳で結婚され、今は2人のお子さんがいらっしゃいますが、複雑な環境で育ってこられて、大変な思いを味わってきただけに、パートナーと家族になることや親になることについて、不安に思う部分はありませんでしたか?
足の裏:まったくありませんでした。母がいなくなったタイミングで、親戚から聞きたくなかった母の過去を聞かされて、さらに絶望し、血や遺伝について怖くなって悩んだことがあったのですが、そのとき「血はつながっているけれど、同じ人間ではない!」と自分の中で解決して、前を向いて歩く意志をしっかり固めていましたから。自分も同じような家庭を作ってしまうのではないかという不安は一切なかったですし、むしろ反面教師のような形で、自分が結婚し、子どもを授かって親になることができたなら、家族にぜったい同じような思いはさせないと決めていました。
━━旦那さんやお子さんたちは、今、足の裏さんにとってどんな存在ですか?
足の裏:夫は私の人生を変えてくれた人です。YouTubeを薦めてくれたことにも、一緒に仕事をする選択をしてくれたことにも感謝していますし、私が仕事をしている間、子育てや家事をやってくれていることにも感謝しています。何より、私と結婚するという道を選んでくれたことに一番感謝しています。
子どもたちは、私にとって天使です。本当にかわいくてしかたないので、生まれてきてくれてありがとうということが一番ですし、健康で生きていてくれればうれしいなっていう気持ちで日々一緒に過ごしています。
━━最後に、家庭環境が複雑であった子ども時代を、今、足の裏さんはどのようにとらえているか、お聞かせください。
足の裏:人生で起きることってひとつも無駄なことはなくて、すべて意味があることだと思って生活してきましたが、そのとおり、「今の自分があるのはこんな人生だったから」と思えています。同じようなことで悩んでいる方へアドバイスすることもできますしね。ただ、自分の子どもたちには絶対同じ経験をさせたくないですし、「1億円あげるから」と言われても、二度と同じ人生は送りたくないですけど(笑)。生まれる場所は自分では選べないし、変えられませんが、人生は選択の繰り返しで、自分が選択したその先には、必ず繋がるものがあって、必ず助けてくれる人がいる。私にとってはすべて必要な経験だったし、その経験が自分を強くしてくれたと思っています。
取材・文/河上いつ子