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芸人が笑いなしで挑んだ1年半 、325gの赤ちゃんが教えてくれたこと

 漫才コンビ「ケツカッチン」の高山トモヒロさんが執筆した実話ルポ『手のひらの赤ちゃん 超低出生体重児・奈乃羽ちゃんのNICU成長記録』(ヨシモトブックス)。知人夫婦の間に生まれた小さな命の成長を描いた作品は、「涙が止まらなかった」「生き方を考えさせられる」と、芸人仲間を始めSNS等でも大きな反響を呼んでいる。世界中が先行きの見えない不安に包まれ、命の大切さを日々感じる今。命の奇跡と家族の愛に溢れた本作の執筆を決めた理由と、込めた思いを聞いた。

衝撃の告白に「言葉が出なかった…」 その場で執筆を決めた、母・佑里子さんの涙

 高山さんの仕事仲間である幸田敏哉さんからの依頼を受け、早期出産のために325gという超低体重で生まれてきた敏哉さんの娘・奈乃羽ちゃんの成長を記録することとなった。高山さんはこれまでに2冊の著書を出版。敏哉さんの奥さんである佑里子さんは過去作を読み、「ぜひ、あの本を書いた高山さんに」と話があったという。
――仕事仲間でもあり、知人の敏哉さんご夫妻に、奈乃羽ちゃんのことを告げられた時のお気持ちは?

【高山トモヒロ】言葉が出なかったです。世間話をするつもりで待ち合わせていたので、衝撃的過ぎて、どういう言葉をかけていいかわかりませんでした。

――赤ちゃんのことを成長記録として書いてほしい、1冊の本にしたいと伝えられた時の気持ちも本の中で書かれていますね。考える時間を作ったりせず、その場で書くと決心された理由はどんなところにありましたか。

【高山トモヒロ】話の途中から奥さんの佑里子さんが泣きながら懇願されている姿を見て。こちらも涙が出そうになりながら熱い気持ちになって、その場で承諾しました。

――敏哉さん夫妻のインタビューを元に執筆を進められたかと思いますが、話を聞く際や取材をする上で気をつけたこと、心がけたことなどはありましたか。

【高山トモヒロ】相手の方の心が不安定なときもあったので、取材としてこちらが聞きたいことから脱線したとしても、すべてお聞きするように心がけました。

「芸人」が書いていいのかという葛藤 1年かけて書き上げた言葉たち

――執筆中や取材中などは、「芸人である」という意識は持たずに取り組んでいたのでしょうか。普段の「芸人」としてのお仕事との気持ちの折り合いがつかなかったこともあったのではないでしょうか?

【高山トモヒロ】正直、芸人である自分が書いていいのかという葛藤はありました。当初は仕事の合間に、劇場の楽屋などでも執筆していたのですが、どうしても気持ちが入ってしまうので、途中から楽屋で書くのはやめました。

――では、執筆は基本的にご自宅で?

【高山トモヒロ】そうですね。基本的には自宅で夜に書いていました。ただ、夜中に書き終わっても、その後いろいろな思いが頭を巡って、なかなか寝付けなかったです。

――ご夫婦にずっと寄り添ってきた高山さんですが、最も印象的だった言葉やエピソードはありますか。

【高山トモヒロ】佑里子さんが言っていた「周りから見たら不幸な家族に見えるかもしれませんが、私たちは今すごく幸せなんです」という言葉が一番印象に残っています。

果たせた約束、そして小さな赤ちゃんたちが教えてくれたもの

 高山さんの初めての著書『ベイブルース 25歳と364日』(ヨシモトブックス)は、自身が結成した漫才コンビ「ベイブルース」とその相方で25歳の若さでこの世を去った河本栄得さんとの別れを綴った作品だ。大切な人との命に向き合った経験のある高山さんだからこそ描けた視点も今作ではある。
――第2章からは敏哉さん夫妻のほかに、同じくNICUで闘う赤ちゃんを持つ2つの家族のお話が加わります。自分のお腹を痛めて産んだお母さんの目線だけで描かれるのではなく、それぞれのお父さんの描写もあったのが印象的でした。

【高山トモヒロ】(作品内に掲載されている)手記がお母さんのものなので、意識的にお父さんの気持ちを入れようというのはありました。他にも看護師さんやおじいさん、おばあさんなどの視点もなるべく入れた方が、読んでくれた方が感情移入してくれるだろうということは意識していました。

――終章ではそれぞれの家族のその後の姿が描かれていて、心温かい勇気をいただきました。終章を描くことは最初から決めていたのでしょうか?

【高山トモヒロ】最初から何かしらの後日談は入れたいと思っていました。もちろん、本当は退院して家族一緒に暮らす姿を描くのが理想だったのですが…。

――書き終えた時の高山さんの気持ちを覚えていましたら、お聞かせください。

【高山トモヒロ】正直、約束を果たせたことにホッとしました。やはり書く作業は大変で、もしこれが、自分の身内の話だったら途中で投げ出していたかもしれません。頼まれて引き受けたからこそ、書き上げなければならないという義務感がありました。

――高山さん自身、涙で文字が進まないこともあったと伺いました。書き終えてみて改めて感じたことはありましたか?

【高山トモヒロ】頼まれて書き始めたものですが、もしかしたら小さな赤ちゃんたちが、僕に自分の足らないところを気づかせるきっかけをくれたのかもしれないと思いました。

――足りないところと言いますと?

【高山トモヒロ】長年生きてきて、いろいろな経験もしてきて、人の痛みや苦しみはわかる方の人間だと自分では思っていました。だけど、本当の意味で寄り添って共有するということは今まで出来ていなかったのかもしれないと思い知らされました。

命の尊さと家族愛に溢れた本 「家族みんなで読んでほしい」

――敏哉さんご夫婦は、本になった感想をどのように話されていましたか?

【高山トモヒロ】本として世に出ることを喜んでくれました。佑里子さんが「毎日、少しずつ仏壇の前で奈乃羽に読み聞かせしていきます」と言ってくれたことが、印象に残っています。

――すでに本を読んだ方からは「涙が止まらない」という感想を多く見かけます。読者からの声は高山さんのもとにも届いていますか。

【高山トモヒロ】「ずっと泣いてしまうので、電車で読めない」といったものや、「一気に読んでしまった」という感想をもらいました。すごくありがたいですね。

――敏哉さん夫妻に依頼を受けて書かれたわけですが、1冊の本となり、どんな方にこの本を届けたいですか。

【高山トモヒロ】世の中のお父さんとお母さん、そして子供たちにも読んでほしいです。一家に一冊、みなで回し読みしてもらって話をしてもらうのが理想です。

――最後に、これから本を手に取る人たちへ、メッセージをお願いします。

【高山トモヒロ】命の尊さと家族愛にあふれた本になっていると思うので、ぜひそれを感じていただけたら嬉しいです。そして、NICUで日々頑張っている赤ちゃんやその家族がいることを、少しでも知ってもらえたら幸いです。

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PROFILE/高山トモヒロ
1968年7月10日、大阪市生まれ。NSC第7期生。NSCでは、故・河本栄得と漫才コンビ「河本・高山」を結成。卒業後に「ベイブルース」と改名する。上方漫才大賞・新人賞奨励賞をはじめとする賞を総なめにし、次代の漫才界を担うコンビともくされていたが、1994年10月、河本栄得永眠にともない活動休止。2001年11月、和泉修と漫才コンビ「ケツカッチン」を結成。これまでに『手のひらの赤ちゃん 超低出体重児・奈乃羽ちゃんのNICU成長記録』(ヨシモトブックス)を含み3冊の著書を出版。
Twitter:@takayamatomo

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