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【女性起業家】「乳がんの闘病生活がきっかけで…」デザイン性も追求したケア・介護用品ブランドを作ったワケ「患者らしくよりも、私らしくいたい」

2022-01-27 eltha

 ケア・介護用品ブランド「KISS MY LIFE」を手掛けるTOKIMEKU JAPAN代表の塩崎良子さんは、乳がん治療の闘病中に「“自分らしくいる”ことの重要性を感じた」という。闘病を経て、デザイン性が重要視されなかったケア・介護用品に疑問を感じ、同事業を立ち上げた。闘病中の心境や起業の経緯、転機となった主治医の言葉など、自身の経験を通して語った。

病気になったのは、何か意味があるんじゃないのか…生きるのに必死だった

――闘病前は、どのような仕事をしていたのでしょうか?

塩崎良子さん 米国ロサンゼルスやマイアミなどで、アンティークの洋服や雑貨を買い付けるアパレルショップのバイヤーでした。25歳で独立し、セレクトショップが軌道に乗るなか、毎シーズントレンドを追うことで生じる在庫を大量廃棄するアパレル業界に疑問を持つようになりました。そこでドレスなどを取り扱う衣服のレンタル専業ショップへと転換しました。

――事業が軌道に乗る一方で、乳がんを発症。どのようなことがきっかけで病気に気がついたのでしょうか?

塩崎良子さん 買い付けに訪れたイタリアで、アイスクリームを食べているときでした。胸元にこぼしてしまって…それを拭きとろうとしたら、ゴルフボールのような固い異物が胸にあることに気がつきました。触った瞬間、「これはやばそうだな〜」とすぐに感じました。

――乳がんと診断され、生活面でも大きく変わったかと思いますがいかがでしょうか?

塩崎良子さん すぐに抗がん剤治療を始め、副作用による脱毛であっという間に丸坊主になりました。吐き気もひどく、仕事を続けることができなくなりました。同世代の人が恋愛や仕事に悩んだりしているなか、自分は「ああ、今日1日なんとか死なずに生きられた。ご飯をなんとか食べられた」と生きることに必死でした。「なぜ私だけがこんな目に…」と孤独を感じることも多々ありました。でも次第に「病気になったのは、何か意味があるんじゃないのか?」と考えるようになりました。

――なぜ気持ちを切り替えられたのでしょうか?

塩崎良子さん 治療がひと段落し、ふとこれからのことを考えた時に、仕事も失い、いつのまにか“病人らしい”姿になっている自分に気がつきました。この先、何年生きられるのか、仕事はできるようになるのか、そんな不安に怯えながら診察を受けた時に、主治医から「これまでのことを活かして、がん患者をモデルとしたファッションショーを開催してもらえないか?」と持ちかけられました。

転機は、主治医依頼のがん患者をモデルとしたファッションショーの開催

――ファッションショーは、どのように行われたのでしょうか?

塩崎良子さん 親子でがんを疾患した方、歩くことが最後になるかもしれない方、患者さん1人ひとりに、ストーリーがありました。ショーは院内で行われ、衣装はすべて私の会社のドレスを使いました。普段は白衣の先生方も衣装を着て、患者さんをエスコートしてくれました。ショーは成功し、多くのメディアに取材を受けました。患者さんがもう一度前を向く姿を見て、自分の苦しかった経験が社会に役立てられるチャンスがあるのかもしれないと強く感じました。ずっともがいていた心の中の苦しさが、一瞬晴れたような気持ちにもなりました。その時に、もう一度起業し、再起しようと心に誓いました。

――なぜ「KISS MY LIFE」だったのでしょうか? 立ち上げの経緯を教えてください。

塩崎良子さん 治療中に感じた不満や疑問を解決するために、事業化しました。闘病中は病院と家の往復で、病院着を着て「患者さん」と呼ばれる毎日を過ごすなか、社会との接点がなくなった気がしました。いつのまにか自分を失い、「がん患者」というカテゴリーの中で生きるようになっていたことが、一番つらかった。苦しい日々が続くなか、次第に「患者らしくよりも、私らしくいたい…」と強く願うようになりました。そこで、「誰もが人生の最後まで、自分らしい生活をおくれる社会の実現」を目指し、得意分野である衣料で事業を立ち上げることにしました。

――治療中に感じた不満や疑問とは、実際にどのようなことだったのでしょうか?

塩崎良子さん 私が治療中、手にしたケア用品は、とにかく値段が高い。そして身に着けるといかにも「患者さん」というイメージの商品ばかりでした。従来のケア・介護用品市場は競争がなく、何十年も同じデザインで、高価格で販売されていました。そこで自社で企画から生産、販売までを一括で行い、機能性に加えて、高いファッション性のプロダクトを提案したいと思いました。ケアや介護の領域で見過ごされてきた「クオリティー・オブ・ライフ」をファッションで支えたいと考えました。

――病気再発などの不安を抱えるなか、起業しようと思った理由は?

塩崎良子さん 命の不安は、毎日のように感じています。でもそれは私の弱みであり、同時に強みであると感じています。人生に限りがあると身をもって体験したからこそ、「本当にやりたいことをやろう!」と自分の本心に気がつくことができました。そして、「社会のなかで自分がどうありたいか」「自分のなかに眠っていた野心」にも気が付くことができました。いまでは「KISS MY LIFE」に費やす時間が、病気になってしまったことを肯定できる時間でもあります。

“自分らしくいる”ことが重要、ファッションはそれを手軽に体現できるツール

――ケア・介護用品は、機能性の高さが重視されます。デザイン性を両立するには、どのような工夫を行いましたか?

塩崎良子さん 機能性を担保し、限られたなかでデザイン性を発揮するのは、とても難しいことです。徹底的にいまある商品をリサーチし、使う人の立場になって、どこにニーズがあるのかを分析します。ファッションは、個人の主観だと思うので、ひとりよがりにならないように気をつけています。また、お客さまの声と本質的なニーズが違うこともあるので、そこも注意深く考えるようにしています。

――ケア・介護用品でおしゃれな商品をあまり目にしたことがありません。ファッション性に乏しい要因があるのでしょうか?

塩崎良子さん 販売の商流が、一番大きな問題ではないかと感じました。これまでのケア用品は、カタログ販売や病院内での販売が主流で、中間流通業者が存在していました。そうした流通販路が限られていることで、競争がなく、患者が喜ぶデザインの服を作るという発想が生まれなかったのかなと思います。そのため弊社では、企画から生産、販売までを一括で行い、仲介業者を通さないD2Cモデルで行っています。

――すべて自社で担うのは、大変ではないのでしょうか?

塩崎良子さん 最初の頃は、商品を作ってくれる工場が見つからず苦戦しました。現在は、繊維商社と二人三脚でものづくりをしているので、高いクオリティーと手に取りやすい価格が実現できました。介護用品は、前例がないものも多く、商品が出来上がるまで、何度もサンプルを作り直すので、気が遠くなる時もあります。

――“おしゃれ”をすることで、それが生きる上での力になったりするのでしょうか?

塩崎良子さん どんな時も“自分らしくいる”ということが、人生でとても重要でなことだと感じています。ファッションは、最も手軽に“自分らしさ”を体現できるツールだと思っています。「KISS MY LIFE」では、ファッションを楽しんでもらう上でのトキメキやトレンドを、バランスよくミックスして商品を提案することに重点を置いています。

――「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」ことも、SDGsの取り組みのひとつです。「女性の心や体の健康、仕事など、社会との関わり」についてどのように考えていますか?

塩崎良子さん 人種や性別、生まれた場所など、世の中にはいろいろな「枠」があると思います。自分がカテゴライズされた枠から、勇気をだして一歩外に出てみると思いのほか、素敵なことがたくさんあると感じています。私は「がん患者」という枠から、思い切って飛び出してみたら、疾患前よりもいろいろな価値観や新しい楽しみを見つけられるようになりました。私は、「マニュアル通りいかなくてもいい」と自分の人生を捉えるようにしています。

――今後の展開について教えて下さい。

塩崎良子さん 今春には、新しいケアブランドをローンチさせる予定です。また弊社は、ケアプロダクトのリーディングカンパニーを目指しています。いつかは、医療リゾートや自分が入りたくなるような楽しい老人ホームの運営など、ケアが必要な方への場作りを始め、シニアの新しいカルチャーをつくれたらいいなと考えています。
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