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子どもたちの表現力を奪っていた…? 絵が得意だった幼稚園教諭が描くのをやめた理由…読者からは賛否両論 



幼稚園教諭として働く、たま先生。なかなかうまくいかないことが多い中、得意な絵を通して子どもたちにアプローチしていました。ところがある日をきっかけに、子どもたちの前で絵を描かないと決めて…

■得意な絵を使って保育してきたけれど…



そんな私が唯一誇りに思えたのが…



そんな私が園児の前で絵を描かなくなったきっかけと理由をこれからお話します。



すると、ゆき先生が「原因はこれだね」と一言。



「私はどうしたらいいですか?」と聞くと「絵を描くのは子どもたちなんだから、私たちはそれを支えてあげよう」とゆき先生。




■園児の前で絵を描かないと決めた理由



ゆき先生は園児ひとりひとりに対してアプローチを変えているといいます。



園児の前で絵を描かないと決めた私に、ゆき先生がかけた言葉とは…?

こちらは投稿者のエピソードを元に、2021年11月23日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に対する読者からのコメントを紹介します。



■気になる読者の反応は?

まず、子どもたちの前で絵を描くのを辞めた主人公については賛否両論見られました。

・園児の前で絵を描かなくなった先生の話。既にしょっちゅう描いて見せてる私も、描き方を見せよう、模倣させようとしていることも、不正解なんだろうなって謝りたくなりました。形だけなら、手の形、頭から足まで、紙の上に乗せてなぞりゃいい。でもそういうことじゃ、自分の気持ちは乗せられない。だから反省しまくりですが、娘はマイペースで色の洪水みたいな抽象画を描き続けています。私の声が届かない子どもの世界があるようで、安堵しています。子どもの可愛らしいエピソードも良いけど、大人や先生の躓いた話は、先人の話なだけに役に立つなぁと感心しています。

・興味深いテーマです。スラスラと人前で絵を描ける子はごく少数だと感じます。単純に経験の問題もあるし、記事の中にあるようにうまくかけないからと尻込みしている子もいる子もいると思います。 お手本を用意するのかどうか、ホントに悩む所です。

・そうゆうふうに思う子ばかりじゃないと思いますよ。私は保育士ですが「鬼滅の刃」が好きでよく描いてるので、「鬼滅描いて〜」と言われて、よくその場で描きますよ。「プリンセス描いて〜」とも言われるので描くと、それを元にアレンジして上手く描けるようになってたりします。私は一つの例として提供しているだけだと思ってますし、子どもたちに描くことの楽しさを伝えてるだけです。子どもって別に興味がなければやりませんしね。

・デッサンや写生じゃなくてお絵描きなんだから、人間の形なんて好きに描かせりゃいいのにと思いました。

・小学生の娘が図工が苦手です。アイデアが浮かばず、ああでもないこうでもないと苦戦したあげく間に合わなかったりして、図書室に行って図工の本をたくさん借りたりしましたが、未だに苦手です。下の子のお迎えの時に幼稚園の先生に相談したら、思い描いたまま描けばいいって言われて、それが出来ないから苦労してるんだよなと思いましたが、この記事を読んでこういうことなんだと気付きました。ありがとうございます!

・個人的な感想ですが、保育園・幼稚園の子が自分の絵が他の人より上手いか下手かを気にしていることはあまりないと思います。あくまで個人からなので確証はないですが、うちの子の場合は「〇〇ちゃんの絵のココが好き!」か「〇〇くんの絵、私と違ってこういう所がスゴイ」と楽しそうにしていました。親としても自分の子の個性が分かっていいと思いました。先生も大変ですがあまりお気になさらないでください。どう描いたらいいかという子どもから質問に対しては実際に見せるだけで良いと思います。それが出来ない子には描いてみせる。別に真似がいけない事ではないですからね。描けない子に無理に想像、自分の力で描かせようとするのは返って絵が苦手になることもあります。

・子どもは絵がよっぽど好きでなければ、でかい画用紙にびびるし、興味もないテーマに戸惑うし、掲示して比較されることに怯える。描かれる絵だって、取り繕ったものになりがちなのは当たり前。正しく個性を伸ばせる人が、どれだけいるんだろうとも思う。良い作品を描くことと、自分と向き合って描くことの違いを分かっていて、言葉かけできる人は指導者でもほとんどいないと思う。先生は悪くないよ。技術指導だって個性を潰しがちだけど、子どもにとっては学びの一つ。それ否定するなら、お絵かきのアプローチの仕方から変えるべき。そして指導については指導マニュアル作ればいいのに。個の批判をせずに、指導法が定まっていないのが悪いと言わないのはなぜ? 人を育てるプロが集まっているのに、人を潰す組織になってることに疑問。


また、「子どもに絵を描かせること」自体についてもさまざまなコメントが。

・子どもに絵を描かせることと、教師が絵を描いてみせることについて。小学校で図工を専門に教えている現職教員で、美術の専門教育を受けてきた者です。この点については賛否両論あります。上手い=デッサンがよくできているというのは大人の発想です。子どもは絵を描くこと自体を楽しんでいます。それを堂々と発表すればいいのです。展覧会は絵の上手さを競争する場ではありませんし、絵の題材もそれぞれの発達段階に合わせて、その子らしいものを発表できるものが相応しいです。教師が絵を描くことは悪いことではありません。しかし見本として、見本に近いものがほめられるという指導が子どもの絵を硬くします。幼稚園や学校は美術教室ではありません。 絵をのびのびと楽しく描いていて、その姿が伝わる展覧会にすることが理想ですし、教師は保護者にそのことを伝える義務があります。

・恐らく幼稚園時期までの先生からの絵の「評価」って、幼児が物を描くための力(発育)がどこまで伸びているか、そしてどうやったら、さらに伸ばせるか、みたいな視点が強いかとは感じました、学校よりは。会話や身支度等の能力をより発育させていくのと同じような価値観っていうか…絵に優劣を付けるというよりは…物を見て、捉えて、描くというのも、絵の世界は自由だって事だけでなくて、人間の脳の能力みたいなものでもあるし。

・私自身、美大卒で絵は描くのも見るのも好きです。でも子どもに描き方を教えたりはしません。美大で子どもの絵と発達について少し学んだからです。私が教えてしまうことで子どもの絵から発達を伺えなくなりそうだと思い、教えていません。子どもの絵には「お母さんこの色好き」とか「楽しそうだね」とか「ここが凄く細かく描けてるね。これ好き?」とかいう感想は言っても、上手い下手、構造的に正解かどうかには触れません。人体がどの程度描けるかは、どの程度ボディイメージを持てているかに関わっています。絵を教えるより、体を使った遊びから早く走るコツ、逆上がりのコツなどを学んで、自分の体を知る事が人体を描くコツです。

・学校現場ではよくある。特に新人の先生。子どもの「認知」の発達、「微細運動」の発達など、子どもの発達全体を学んでないから「描画発達」がわからない先生。「透明バス」「透明な家」「多視点描画」など、子どもの認知発達途上だからこそ出てくる絵がある。大学ではそこまで習わないから、現場に入ってからが教員として「学び」のスタートになる。大事なことは、子どもが「自分なりの成果物を大人に褒められる経験を通して自己実現を繰り返していくこと」「外界との基本的信頼感を得ていく時期」なんだよね。 初めて1年生担当する教員、「モデリング意識」に走ってたいてい学年主任に「勉強が足りませんよ」「何のために絵を書かせるか考えたことありますか」って指導される。ただ、新人でも力のある先生はどんな授業でも子どもに取り組ませる前に「この取り組みで狙うことは何か」を本でもネットでも勉強しまくるし、ベテラン層に「取り組ませるときに気を付けることありますか」って聞きにくる。若者の成長物語として描くならいいけど、保育・幼稚園・小学校教員馬鹿にされないように描いてほしい。取組の前に先輩に勘所聞いておくなんて教育以外のどこの世界でも「常識」だから。


幼児期に欠かせないともいえるお絵描きの時間。先生はどうアプローチするべきなのか。いろんな意見が見られましたが、みなさんはどう思いますか?


(田辺香)

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