安西ひろこ「“ギャルのカリスマ”はコンプレックスの結果」13年の闘病生活があったからこそ見えた新しい夢
2022-11-28 08:40 eltha
“ギャルのカリスマ”として人気絶頂だった2001年にパニック障害と診断された安西ひろこ。20代前半から30代半ばまでの実に13年間にも及ぶ闘病生活を経て、心と体に関するさまざまな資格を取得。自身の体験をもとに講演やセミナーなど、女性たちの悩みや苦しみに手を差し伸べる活動を行なっている。現在43歳。多くのものを「受け入れて手放す」ことを知り、「これまでの人生で最も身軽で幸せ」と語る彼女がその境地に至るまでのプロセスを聞いた。
■“ギャルのカリスマ”であり続けることで生じた歪み「内面が真逆でも期待を裏切ってはいけないと必死だった」
90年代後半から2000年代初頭にはテレビや雑誌で見ない日はないほど、ギャルのカリスマとして引っ張りだこだった安西ひろこ。43歳になった今も華やかな容姿は健在だが、穏やかな口調は“ギャル”の過去を感じさせない。
「当時も内面的にはギャルとは真逆だったんです。毎晩クラブで遊んでるんでしょ? と言われたりもしましたが、忙しくてそんな時間もなかったですし、もともと家で過ごすのが好きなタイプでしたから。それでも期待を裏切ってはいけないと、バラエティ番組では必死で早口でしゃべったり、ギャル語の勉強をして臨んだりしてましたね」
根が真面目なのだ。
「求められると断れない、しかも力を抜けない性格だったんです。中学時代も柔道部に1人足りないからと入部をお願いされて、やるからにはと打ち込んでいるうちに県大会ベスト8に。キツくて無理だと思っても、振り切って突き抜けてしまう。その性格が結果的にはパニック障害にも繋がってしまったのかなと思います」
子役で活動をスタートし、16歳でグラビアデビュー。男性週刊誌の表紙を続々と飾り、ブレイクのきっかけを掴んだ。
「おばあちゃんから『女性は足を開いてはダメ』と教育されていたので、水着が恥ずかしくてポーズもぜんぜん取れなかったんです。なんとかしなきゃと勉強する中で出会ったのが、フランス人女優のブリジット・バルドーの写真集でした」
バルドーに魅せられて黒髪を徐々に明るく、ボリューミーに盛ったヘアスタイルや太いアイライン、2重のつけまつげも60sスタイルがお手本だった。そのセンスが注目されてファッション誌の仕事へと繋がり、やがて街には彼女のファッションをお手本にした女の子たちで溢れた。
「気が付いたらギャルのカリスマと呼ばれるようになっていました。お仕事が増えていく喜びと、素の自分とあまりにかけ離れていることへの違和感。そこから少しずつ歪みが生じていたのかなと思います」
■人気絶頂期に重度のパニック障害発症 身も心も困窮したなか、愛犬の病を通して気づかされた価値観
ほぼ休みなく仕事をこなしていた22歳のとき、仕事場で突然めまいに襲われて倒れた。いくつもの病院を受診したが原因は不明。20年前当時はメンタルヘルスへの社会的理解が広がっておらず、偏見も多かった。
「私も最初はものすごく自分を責めました。甘えてるだけ、怠けたいだけなんじゃないかって。でも自分を責めれば責めるほど症状が重くなっていき、やがてベッドから起き上がることもできなくなったんです」
最終的に重度のパニック障害と診断。一時はトイレにも這っていくほどの状態だった。さらに人気絶頂のさなかの休業は誤解や憶測も呼び、体調が安定してからも復帰はなかなか難しかった。
「収入も途絶えてしまったので、生活も大変でしたね。でも一番つらかったのは、療養中の支えになってくれた愛犬が病気になったことでした。治療費も莫大にかかったので、昔から集めていたブランドものを1個1個売って。でもまったく後悔していないどころか、すべてを手放したら気持ちがスーッと楽になるのを感じたんですよ。そのときに気付いたんです。『受け入れて手放す』ことで人間は解き放たれるものなんだって」
現状を「受け入れて」、自分を縛っていたものを「手放す」。簡単にできることではないが、彼女はその訓練を今も続けているという。
「実はつい最近も『受け入れて手放す』ことができたものがあったんです。30代の頃から私を苦しめてきたことの1つが妊娠・出産でした。お子さんの話題に入れないたびに胸がキューッとなったり、『○歳で高齢出産』といった情報を目にすればするほど落ち込んだり──。だけどこればかりは授かりものなのでどうにもならない。子どものいない人生だってきっとステキに過ごせるはず。43歳になって、ようやくそう思えるようになりました」
それは「諦める」ともまた違う、「未来の自分が満足して生きるための選択」と語る。
「振り返ると私はいつも過去や他人を責めてばかりいました。パニック障害になったのは、仕事をどんどん入れられたからだとか。だけど今の自分があるのは、自分が選択してきたことの結果なんですよね。過去と他人は変えられないけど、自分と未来は変えられる。とはいえ、今もまだまだ悩むことは多いですけどね」
■“安西ひろこ”というタレント名に苦しめられた時期を経て「今の人生幸福度は93点」
13年の闘病生活を経て、2014年に完全復帰。「東京の街も芸能界も驚くほど変わっていてまるで浦島太郎のようだった」とその歳月の長さを振り返る。
「特に変わったのがSNSです。私の時代にはなかったものですし、みなさん本当に自己発信が上手ですよね。私も今は仕事の関係上SNSを使っていますが、夜はなるべくスマホを手元に置かないようにしています。SNSって基本的にキラキラした世界を発信するものですし、1人きりの夜に見るとどうしても孤独感が募ってしまう。特に私は昔からコンプレックスの塊だったので、本質的にはSNSは向かないタイプなんだと思います」
多くの女の子たちに憧れられたギャルのカリスマ。しかしそのスタイルが確立されたのも、コンプレックスの結果だったという。
「いろんなジャンルのお仕事をいただきましたが、一番やりがいがあったのがファッションのお仕事でした。だけど私は背が低いので、どうしても限界がある。めちゃくちゃ高いヒールの靴を履いていたのも、そんなコンプレックスからでした。とにかくスタイルが良くて背の高い女性やモデルさんが羨ましくてしょうがなかった。でもそれだって『受け入れて手放す』しかないことなんだって、当時の自分に言ってあげたいですね」
病気を克服した現在は、休業中に取得したさまざまな資格や自身の体験をもとに、心と体に関する講演やセミナー、メンターとしての活動をメインに行っている。
「私がパニック障害と診断された当時、日本ではまだ情報が少なかったんですが、欧米ではすでによく知られた症例となっていました。私を診断してくれたお医者さんは『あと20年後には日本でも一般的な病気になる。安西さんはつい先回りしっちゃったんだね。その経験を生かせば、また別のカリスマになれるんじゃないかな』と勇気づけてくれて。その頃から、いつか同じように苦しんでいる方を支えられるようになりたいと考えていました。その目標が実現しつつある今は、本当に毎日が充実しています。人生幸福度は93点くらい。今までで一番高いですね」
芸能界復帰はしたものの、かつてのようなモデルに歌にバラエティにドラマに──といった華やかな活動はあまり望んでいないという。
「でも今はとてもいい時代で、テレビに出るだけがタレントではないというか、お仕事の括りもかつて以上に広がりましたよね。将来は心と体をテーマにした小さなセミナーを定期的に開きたいと考えていて、その準備として選択理論心理学を学び始めました。“安西ひろこ”というタレント名に苦しめられた時期もありましたが、『名前が知られている人が発信することに意義がある』とおっしゃっていただくことも増えています。この名前とは一生付き合っていきたいですね」
自分の体験が役に立つなら「どこにでも伺いたいです」と微笑む。かつて部屋を埋め尽くしたブランドものも、自分を苛んでいたコンプレックスも、すべてを受け入れて手放した彼女は今、とても身軽だ。
(取材・文/児玉澄子)
■“ギャルのカリスマ”であり続けることで生じた歪み「内面が真逆でも期待を裏切ってはいけないと必死だった」
90年代後半から2000年代初頭にはテレビや雑誌で見ない日はないほど、ギャルのカリスマとして引っ張りだこだった安西ひろこ。43歳になった今も華やかな容姿は健在だが、穏やかな口調は“ギャル”の過去を感じさせない。
「当時も内面的にはギャルとは真逆だったんです。毎晩クラブで遊んでるんでしょ? と言われたりもしましたが、忙しくてそんな時間もなかったですし、もともと家で過ごすのが好きなタイプでしたから。それでも期待を裏切ってはいけないと、バラエティ番組では必死で早口でしゃべったり、ギャル語の勉強をして臨んだりしてましたね」
根が真面目なのだ。
「求められると断れない、しかも力を抜けない性格だったんです。中学時代も柔道部に1人足りないからと入部をお願いされて、やるからにはと打ち込んでいるうちに県大会ベスト8に。キツくて無理だと思っても、振り切って突き抜けてしまう。その性格が結果的にはパニック障害にも繋がってしまったのかなと思います」
子役で活動をスタートし、16歳でグラビアデビュー。男性週刊誌の表紙を続々と飾り、ブレイクのきっかけを掴んだ。
「おばあちゃんから『女性は足を開いてはダメ』と教育されていたので、水着が恥ずかしくてポーズもぜんぜん取れなかったんです。なんとかしなきゃと勉強する中で出会ったのが、フランス人女優のブリジット・バルドーの写真集でした」
バルドーに魅せられて黒髪を徐々に明るく、ボリューミーに盛ったヘアスタイルや太いアイライン、2重のつけまつげも60sスタイルがお手本だった。そのセンスが注目されてファッション誌の仕事へと繋がり、やがて街には彼女のファッションをお手本にした女の子たちで溢れた。
「気が付いたらギャルのカリスマと呼ばれるようになっていました。お仕事が増えていく喜びと、素の自分とあまりにかけ離れていることへの違和感。そこから少しずつ歪みが生じていたのかなと思います」
■人気絶頂期に重度のパニック障害発症 身も心も困窮したなか、愛犬の病を通して気づかされた価値観
「私も最初はものすごく自分を責めました。甘えてるだけ、怠けたいだけなんじゃないかって。でも自分を責めれば責めるほど症状が重くなっていき、やがてベッドから起き上がることもできなくなったんです」
最終的に重度のパニック障害と診断。一時はトイレにも這っていくほどの状態だった。さらに人気絶頂のさなかの休業は誤解や憶測も呼び、体調が安定してからも復帰はなかなか難しかった。
「収入も途絶えてしまったので、生活も大変でしたね。でも一番つらかったのは、療養中の支えになってくれた愛犬が病気になったことでした。治療費も莫大にかかったので、昔から集めていたブランドものを1個1個売って。でもまったく後悔していないどころか、すべてを手放したら気持ちがスーッと楽になるのを感じたんですよ。そのときに気付いたんです。『受け入れて手放す』ことで人間は解き放たれるものなんだって」
現状を「受け入れて」、自分を縛っていたものを「手放す」。簡単にできることではないが、彼女はその訓練を今も続けているという。
「実はつい最近も『受け入れて手放す』ことができたものがあったんです。30代の頃から私を苦しめてきたことの1つが妊娠・出産でした。お子さんの話題に入れないたびに胸がキューッとなったり、『○歳で高齢出産』といった情報を目にすればするほど落ち込んだり──。だけどこればかりは授かりものなのでどうにもならない。子どものいない人生だってきっとステキに過ごせるはず。43歳になって、ようやくそう思えるようになりました」
それは「諦める」ともまた違う、「未来の自分が満足して生きるための選択」と語る。
「振り返ると私はいつも過去や他人を責めてばかりいました。パニック障害になったのは、仕事をどんどん入れられたからだとか。だけど今の自分があるのは、自分が選択してきたことの結果なんですよね。過去と他人は変えられないけど、自分と未来は変えられる。とはいえ、今もまだまだ悩むことは多いですけどね」
■“安西ひろこ”というタレント名に苦しめられた時期を経て「今の人生幸福度は93点」
13年の闘病生活を経て、2014年に完全復帰。「東京の街も芸能界も驚くほど変わっていてまるで浦島太郎のようだった」とその歳月の長さを振り返る。
「特に変わったのがSNSです。私の時代にはなかったものですし、みなさん本当に自己発信が上手ですよね。私も今は仕事の関係上SNSを使っていますが、夜はなるべくスマホを手元に置かないようにしています。SNSって基本的にキラキラした世界を発信するものですし、1人きりの夜に見るとどうしても孤独感が募ってしまう。特に私は昔からコンプレックスの塊だったので、本質的にはSNSは向かないタイプなんだと思います」
多くの女の子たちに憧れられたギャルのカリスマ。しかしそのスタイルが確立されたのも、コンプレックスの結果だったという。
「いろんなジャンルのお仕事をいただきましたが、一番やりがいがあったのがファッションのお仕事でした。だけど私は背が低いので、どうしても限界がある。めちゃくちゃ高いヒールの靴を履いていたのも、そんなコンプレックスからでした。とにかくスタイルが良くて背の高い女性やモデルさんが羨ましくてしょうがなかった。でもそれだって『受け入れて手放す』しかないことなんだって、当時の自分に言ってあげたいですね」
病気を克服した現在は、休業中に取得したさまざまな資格や自身の体験をもとに、心と体に関する講演やセミナー、メンターとしての活動をメインに行っている。
「私がパニック障害と診断された当時、日本ではまだ情報が少なかったんですが、欧米ではすでによく知られた症例となっていました。私を診断してくれたお医者さんは『あと20年後には日本でも一般的な病気になる。安西さんはつい先回りしっちゃったんだね。その経験を生かせば、また別のカリスマになれるんじゃないかな』と勇気づけてくれて。その頃から、いつか同じように苦しんでいる方を支えられるようになりたいと考えていました。その目標が実現しつつある今は、本当に毎日が充実しています。人生幸福度は93点くらい。今までで一番高いですね」
芸能界復帰はしたものの、かつてのようなモデルに歌にバラエティにドラマに──といった華やかな活動はあまり望んでいないという。
「でも今はとてもいい時代で、テレビに出るだけがタレントではないというか、お仕事の括りもかつて以上に広がりましたよね。将来は心と体をテーマにした小さなセミナーを定期的に開きたいと考えていて、その準備として選択理論心理学を学び始めました。“安西ひろこ”というタレント名に苦しめられた時期もありましたが、『名前が知られている人が発信することに意義がある』とおっしゃっていただくことも増えています。この名前とは一生付き合っていきたいですね」
自分の体験が役に立つなら「どこにでも伺いたいです」と微笑む。かつて部屋を埋め尽くしたブランドものも、自分を苛んでいたコンプレックスも、すべてを受け入れて手放した彼女は今、とても身軽だ。
(取材・文/児玉澄子)
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