ホーム 子育て > 自作サイトに荒らし行為、セキュリティ強化に勤しむ小学生が”正義のハッカー”に…ネット世界に見出した道

自作サイトに荒らし行為、セキュリティ強化に勤しむ小学生が”正義のハッカー”に…ネット世界に見出した道

2023-05-19 eltha

社内ハッカーとして勤務する、藤田吾矢さんのデスク

社内ハッカーとして勤務する、藤田吾矢さんのデスク

 プログラミングの授業もまだ必修化されていない平成初期。小1でキーボード入力やネット検索、小3でプログラミングをマスターし、独自のサイトまで作ってセキュリティの強化に勤しむ…そんな小学生時代を過ごした藤田吾矢さんは、今ではサイバー攻撃から企業を守る“社内ハッカー”として働いている。家と学校の往復の毎日で、大半の時間をパソコンにつぎ込んだ幼少期。親御さんはそんな彼女をどう見守っていたのか?

小1からパソコンに親しむ、ネットの世界にあったリアルでは成し得ない交流

社内ハッカーとして勤務する、藤田吾矢さん

社内ハッカーとして勤務する、藤田吾矢さん

 昨今の小学校では、2019年より“GIGAスクール構想”として児童・生徒一人一台の学習用パソコンと高速ネットワーク環境を整備し活用するようになり、さらに2020年よりプログラミング教育が必修化されて“習い事”としてのプログラミングの注目度も高まっている。しかし、藤田吾矢さんがその道にのめり込んだのは、まだ家庭にコンピューターが普及していない平成初期のことだった。

そんな時代に藤田さんがハマったのは、ゲーム。家族が友人からもらってきた“ファミコン”で、アクションゲームシリーズ『星のカービィ 夢の泉の物語』をプレイしたのは、6歳の時だった。次第にゲーム情報を得るために、当時にしては珍しく父親がパソコンを持ちインターネット環境が整っていたこともあり、パソコンでかな入力ができるほどになり、ゲームについて調べるようになった。

「小学校1年生になると、父からパソコンで好きなサイトを検索できることを教えてもらって、ゲームの公式サイトを一緒に見ていました。ゲームのプレイ画像を見ているだけでも面白かったですし、そのうち通っていた小学校の公式サイトを調べて、小学校の写真を見て楽しむようになりました。ゲーム情報や身近なものを見るために、パソコンを使っていました。最初はもちろん文字を打つこともできなかったので、家族も一緒になって調べてくれました。パソコンについては親から教えてもらうというよりも、ここを押したら、これができるらしいなどと一緒に学んでいきました。そうやってかな入力から始めて、徐々に自分で文字を打って調べていくようになったんです」

 学校では友達が少なく、「ゲームの話題を話すことはほぼなかった」と言う、藤田さん。一方、家でひとりでゲームをしていると充足感が得られ、さらにゲームについてもっと知りたいと思うようになった。ゲームの情報共有のための掲示板で、プレイヤーとコミュニケーションを取るようになる。

「ネットの掲示板は、地域も年齢も問わず、好きなゲームのことをたくさん話せます。リアルではなかなかできないコミュニケーションが取れたんです。他の人が学校でやっているような交流が、私もネットだったらできるんだということに面白みを感じました。しかも、学校では絶対話題にならないゲームの裏技や裏情報が出てくると、ワクワクしてのめり込んでいって。そのうち、自分でも掲示板(BBS)を作ってみたいと思うようになりました」

 探求心はどんどん深まり、掲示板を右クリックして「ソースを表示」させ、HTMLを見つけ出した藤田さん。そのHTMLをメモ帳にはりつけ、保存してブラウザを開いてみると、ブラウザが動いたり、その文字をちょっと変えると、サイトのデザインやフォントサイズも変えられるということに気づいた。「ちょっとしたHTMLソースの書き換えで、こうやってサイトが作られているんだな、と探りながらも1日中、そんな遊びばかりしていました。だんだん静的なページを見ているだけではなく、動的なページを作りたくなって。プログラムの配布をしているサイトでいろいろなスクリプトをダウンロードして、自分のサイトに設置して、おー! 掲示板動いた! と楽しんでいました。小学校2、3年生の時です」

自作サイトに“荒らし”行為、「サイトを守るためには、攻撃を知ることが手っ取り早い」

 藤田さんは、小学校3年生から自分のウェブサイトを公開するようになった。ゲームの攻略情報や裏技の情報を掲示板でやりとりするなかで、考えられないことも増えていく。

「まずは小学校5年生の時に自作の掲示板が荒らされました。“荒らし”の書き込みでものすごい数の悪意ある投稿が書き込まれ、投稿記事数の上限があった掲示板では、ログが流れて消えてしまい、まともなコミュニケーションが成立しなくなりました。私のサイトに来てくれた方が、『あなたのサイトが荒らし依頼掲示板で荒らし依頼されてますよ』と教えてくれて。他の掲示板に私のサイトの悪口が書き込まれて、荒らし依頼をされていました。掲示板が暴言や誹謗中傷だらけになり、自分のサイトが崩壊寸前まで追い込まれて。もう、世の中どうなっているんだ! と怒り狂いました。でもサイトを公開している以上、避けられない。そこで初めて、セキュリティを強化しなければいけないと実感しました」

 せっかく築き上げてきた自身のサイトが、掲示板荒らしによって、崩壊の危機に陥ってしまった。危険を回避するようセキュリティを理解するために、普通の人なら防御策について学ぶところだが、そこで藤田さんが考えたのは「攻撃を知ること」だった。

「守るためには、まず悪い人のことを知らないといけないと思いました。管理画面のバックアップをしておく、毎日ログを取るなど、思いつく対策は試しましたが、相当手間がかかります。それならば、攻撃を知ることが手っ取り早い。対策ではなく、悪用や攻撃の手口を再現してみるところから始めました。そして、システムの裏を作っていくという発想になって。当時は、現在のようにセキュリティのドキュメントなどもなかった時代です。自分で試行錯誤して、攻撃者の観点でどういうことをしたら困るかを考えていました。これが小学校5年生ぐらいの時ですね。ゲームの裏技を見つけるのとシステムの仕様の裏を突くのは、けっこう似たようなところがあって。攻撃者と戦っていくためには、そういう攻撃を知らないといけないことを知り、結果的にセキュリティを知ることにもなりました」

 インターネット黎明期に、小学生で自作のサイトを作り、攻撃についても自力で究明していった、藤田さん。その後、中学・高校と成長していくなかで、さらにゲームのオンライン化が進み、ゲームでは“チート行為”が横行するようになる。「どうしてこうなるのか!?」と、疑問を感じたという。

「多くの人は「チートがいることで迷惑だ」と感じるかもしれないですが、私の場合はチートプレイヤーが、どのようにやっているんだろう? という発想になるんです。私がウェブサイトを作るきっかけも、相手に興味を持つきっかけも、もともとはすべてゲームが始まり。だから、チートが横行するゲームをなんとかしたいと思うようになって、高校の後半から大学ぐらいの時には、将来チートと戦うようなエンジニアになって、楽しくゲームができるような環境を作りたいと思うようになっていきました。大学ではゲームのチート対策を研究テーマとして、サイバー攻撃の専門的な勉強を進めました。対策機能を極める第一人者になりたくて、職業としてサイバー攻撃に立ち向かう“正義のハッカー”を志すようになりました」

「悪いことができないかを考え続けることで、攻撃から守る」

 現在は、官公庁・金融・不動産・メーカーなど、あらゆる業界でITソリューションを展開している株式会社パイプドビッツで「社内ハッカー」として従事している。幼い頃から培ってきたセキュリティ技術が生きているという。

「サイバー攻撃に関する知見は、誰よりも自信を持っています。もちろんその技術を悪いことに使うのではなく、良い意味で人を驚かせたい。自分が持っているセキュリティの技術をセキュリティの強化に生かして、攻撃者と戦うことができますし、世の中にセキュリティに強いシステムを提案していくことができます。悪いことができないかを考え続けることで、逆に攻撃から守るということ。いろいろな業界のセキュリティに関与できるというのは、今この会社にいて面白いことですし、自分のセキュリティ、攻撃の技術自体はものづくりにもプラスになっていて。お客様に安心安全に使っていただくためにも、何よりも役立つセキュリティツールになり得るので、自分のセキュリティ攻撃の技術をよい意味で今後も生かしていきたいですね」

 ゲームに触れて以降、プログラミングやサイバー攻撃の世界にまで足を踏み入れた、藤田さんの幼少期からの行動は、驚かされることばかりだが、そんな藤田さんを両親はどう思っていたのだろうか。

「親は私がこんなことをやっていたなんて、まったく思ってもいなかったんじゃないかなと思います(笑)。単純に、またインターネットで遊んでる、ぐらいの感覚で見守っていたんだと思います。小学校までは自由に過ごしましたが、一方で中学校ではかなり勉強もしました。1年間、不登校の時期があったので、勉強についていけなくてなって。中学1年生を2回経験しているんですが、同じミスは繰り返せないと、勉強の大切さを自ら気づかされ、そこからかなり真剣に取り組みましたね」

 「私は言われた通りにやる、というのは嫌いで、ひねくれていたので」と自身の性格を分析する藤田さん。

「Aと言われればBをやり、北と言われれば南へ行くというぐらい、言われた通りにやることが嫌いな子どもでした。そういった私の性格を見極めていたからなのか、親から勉強しろと言われたことは一度もなかったですね。不登校になった時に、自分で気づく機会はありましたが、そんなふうに自分で何かを得て、勝手に自分でやっていました。もしもあれやって、これやってと言われていたら、すごくストレスが溜まって駄目になっていたはず。だから、そんな私を家族は自由にやらせてくれたところがよかったのかもしれませんね」

取材・文/かわむらあみり
株式会社パイプドビッツ
https://www.pi-pe.co.jp/
Facebook

関連リンク

あなたにおすすめの記事

おすすめコンテンツ


P R
お悩み調査実施中! アンケートモニター登録はコチラ

eltha(エルザ by オリコンニュース)

ページトップへ