2年間の不妊治療を経て…養子縁組を選んだ女性語る子育て「産んだ、産んでないの違いはない」
2020-12-19 eltha
40歳を過ぎて結婚し、2年間の不妊治療を経て、特別養子縁組を選んだふーさん(女性)。本来は休職できない雰囲気の中、同僚に背中を押され、休職をして不妊治療に専念した。しかし、6回の体外受精の結果、1回だけ着床するも妊娠には至らず。その後、養子として迎えた息子さんと初めて出会った瞬間は「たぶん一生忘れられない」という。不妊治療中の心境、特別養子縁組に至る経緯、その後の子育てについて、ふーさんが涙ながらに語ってくれた。ふーさんが、生みの親と対面時に1つだけした“お願い”とは。
不妊治療の辛さは「過程がすべて見えること」 2年間、一喜一憂の繰り返しだった…
――不妊治療を始めようと思ったきっかけをお伺いできますか?
夫との結婚です。もう40歳を過ぎておりましたので、自分の年齢を考えた時にすぐに治療をした方がいいという判断をして病院に行きました。
――以前から子どもが欲しいという想いは強かったのでしょうか?
実は結婚するまでは、子どもを産みたいという気持ちはなかったんです。私は中学校の教員で毎日子どもに接していたので、子どもに関しては仕事の面で満足していました。だから結婚した時も、年齢も年齢だし自然に任せようって最初は思っていたのですが、いざ入籍してみると、自分の子どもを産んで夫と子育てをしたいって強く思うようになりました。
――教員の仕事を休職して不妊治療に取り組んだとのことですが、休職に対して迷いはありませんでしたか?
そのとき勤務をしていた学校が研究校で、途中で休みを取るということ自体考えられない感じだったので、自分から言い出せなかったんです。でも幸いなことに、周りの先生たちが、私が以前子どもを産んで育てたいという話をしていたことを覚えていて、「人生と仕事を同じ土俵にのせることはない」と、背中を押してくれました。それがとっても嬉しかった。優しいなあ、あたたかいなあって…(涙)。本当に素敵な人たちに恵まれたなと思いましたね。
――不妊治療を始めた時はどのような気持ちでしたか?
絶対子どもを授かるんだ、という気持ちがとっても強かったです。40歳を過ぎると妊娠できる確率は5%以下というのはデータとして示されていて、それを伝えられた時は、こんなに確率低いんだという驚きはありました。だけど、やらないよりはやった方がいいし、5%でも子どもを産める!と思って、その一心で必死に身体づくりを頑張りました。
――不妊治療中はどんなことが辛かったですか?
今振り返ると、体力的なことよりも精神的な部分で、「過程がすべて見える」というのが一番辛かったのだと思います。卵を育てるところから、採卵の様子、受精卵を戻す様子も逐一モニターで見ているんですね。なので「今、〇日目だから分割しているかな」とか細かく想像できてしまうんです。そうやってどきどきしながら2週間過ごして、結局ダメだったってなるとやっぱり辛いですよね。
――「過程がすべて見える」のは必ずしも良いことではないのですね。
順調に妊娠ができたら、これがあのときの受精卵かって愛おしく思うこともあると思うんです。でも順調にいかなかった場合、「今回は大丈夫かも?」と期待した後で落胆するといったような一喜一憂の繰り返しなので、そこが辛いところなんだと思います。
夫との結婚です。もう40歳を過ぎておりましたので、自分の年齢を考えた時にすぐに治療をした方がいいという判断をして病院に行きました。
――以前から子どもが欲しいという想いは強かったのでしょうか?
実は結婚するまでは、子どもを産みたいという気持ちはなかったんです。私は中学校の教員で毎日子どもに接していたので、子どもに関しては仕事の面で満足していました。だから結婚した時も、年齢も年齢だし自然に任せようって最初は思っていたのですが、いざ入籍してみると、自分の子どもを産んで夫と子育てをしたいって強く思うようになりました。
――教員の仕事を休職して不妊治療に取り組んだとのことですが、休職に対して迷いはありませんでしたか?
そのとき勤務をしていた学校が研究校で、途中で休みを取るということ自体考えられない感じだったので、自分から言い出せなかったんです。でも幸いなことに、周りの先生たちが、私が以前子どもを産んで育てたいという話をしていたことを覚えていて、「人生と仕事を同じ土俵にのせることはない」と、背中を押してくれました。それがとっても嬉しかった。優しいなあ、あたたかいなあって…(涙)。本当に素敵な人たちに恵まれたなと思いましたね。
――不妊治療を始めた時はどのような気持ちでしたか?
絶対子どもを授かるんだ、という気持ちがとっても強かったです。40歳を過ぎると妊娠できる確率は5%以下というのはデータとして示されていて、それを伝えられた時は、こんなに確率低いんだという驚きはありました。だけど、やらないよりはやった方がいいし、5%でも子どもを産める!と思って、その一心で必死に身体づくりを頑張りました。
――不妊治療中はどんなことが辛かったですか?
今振り返ると、体力的なことよりも精神的な部分で、「過程がすべて見える」というのが一番辛かったのだと思います。卵を育てるところから、採卵の様子、受精卵を戻す様子も逐一モニターで見ているんですね。なので「今、〇日目だから分割しているかな」とか細かく想像できてしまうんです。そうやってどきどきしながら2週間過ごして、結局ダメだったってなるとやっぱり辛いですよね。
――「過程がすべて見える」のは必ずしも良いことではないのですね。
順調に妊娠ができたら、これがあのときの受精卵かって愛おしく思うこともあると思うんです。でも順調にいかなかった場合、「今回は大丈夫かも?」と期待した後で落胆するといったような一喜一憂の繰り返しなので、そこが辛いところなんだと思います。
不妊治療中は友人にも会えず、「人は多かれ少なかれ悲しさを抱えて生きている」
――実際に不妊治療を始めてみて、驚いたことはありましたか?
世の中には思っていた以上に不妊で苦しんでいる人が多いんだなあって。病院もいつも予約でいっぱいですし。今までそれを知らなかったのは、公言しやすい世の中ではないというのもあると思います。また、私の友人は身体がそんなに丈夫じゃなくて不妊治療を始めることすらできなくて。明るく元気に見える人が心の中も元気だとは限らないんだなーって。人は多かれ少なかれ悲しさとか苦しさとか辛さとか、そういうものを抱えて生きているのだということを思いましたね。
――ふーさんも、周りの人に心配をかけないように明るく振る舞ったりしていたのでしょうか?
不妊治療をしている間は人と会うことは少なかったです。本当に心を許せる人以外は、たぶん今の私だと楽しく話せないということが分かっていたので、限られた人としか会わなかったですね。
――孤独は感じませんでしたか?
孤独は感じなかったです。夫がよく話を聞いてくれたし、一緒に不妊治療に取り組んでくれて気持ちを共有できていたので大丈夫でした。
――パートナーの理解は重要だと思いますが、2人で同じ気持ちで進んでいくために大切にしていたことはありますか?
そのときの気持ちを素直に伝えるということですかね。「今こういうことをやっているんだけどちょっときつかった」とか、「今日は診察でこんなことをしたよ、次はこういうことをやるんだって」とか、些細なことでも共有する。それをパートナーがしっかり受け止めるというのが大事かなと思います。それができずに夫婦関係が悪くなってしまったという話もよく聞きますが、不妊治療ってやっぱり2人の問題なので、1人で頑張っても続かないと思います。
世の中には思っていた以上に不妊で苦しんでいる人が多いんだなあって。病院もいつも予約でいっぱいですし。今までそれを知らなかったのは、公言しやすい世の中ではないというのもあると思います。また、私の友人は身体がそんなに丈夫じゃなくて不妊治療を始めることすらできなくて。明るく元気に見える人が心の中も元気だとは限らないんだなーって。人は多かれ少なかれ悲しさとか苦しさとか辛さとか、そういうものを抱えて生きているのだということを思いましたね。
――ふーさんも、周りの人に心配をかけないように明るく振る舞ったりしていたのでしょうか?
不妊治療をしている間は人と会うことは少なかったです。本当に心を許せる人以外は、たぶん今の私だと楽しく話せないということが分かっていたので、限られた人としか会わなかったですね。
――孤独は感じませんでしたか?
孤独は感じなかったです。夫がよく話を聞いてくれたし、一緒に不妊治療に取り組んでくれて気持ちを共有できていたので大丈夫でした。
――パートナーの理解は重要だと思いますが、2人で同じ気持ちで進んでいくために大切にしていたことはありますか?
そのときの気持ちを素直に伝えるということですかね。「今こういうことをやっているんだけどちょっときつかった」とか、「今日は診察でこんなことをしたよ、次はこういうことをやるんだって」とか、些細なことでも共有する。それをパートナーがしっかり受け止めるというのが大事かなと思います。それができずに夫婦関係が悪くなってしまったという話もよく聞きますが、不妊治療ってやっぱり2人の問題なので、1人で頑張っても続かないと思います。