ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。
新紙幣、使ってますか?
キャッシュレス化が進んだわが家はたぶん世間一般の流れよりも遅れて新紙幣を手にしたんですがやっぱり実物を見るとおお!ってテンション上がりますね。価値は変わらないんだけど(笑)
子どもたちが気になるのはやっぱり“顔“。この人は誰?と聞かれるとスマホ検索しつつどうにか説明していたのですが、一万円札のお顔『近代資本主義の父』渋沢栄一はなんと造幣局の立ち上げにも寄与した人だそうです!
まさか自分が刷られる側になるとは思ってもみなかったでしょうね。
お金のことは俺に任せろ!
近代日本経済の父といえば実は以前大河ドラマで取り上げられていた時には興味のある時代ではなかったので見てなくて、実業家として成功した人ってことぐらいしか知らなかったのでこれを機に、と渋沢栄一のことを調べてみたのですが…。
生涯で500以上もの事業や企業・団体の立ち上げや運営に携わってきたとは凄すぎる!しかも名だたる大企業や日々の生活に欠かせないインフラ事業ばかりじゃないですか!
わしら渋沢さんのおかげで生活できていると言っても過言ではないような…。
前回取り上げた高橋是清は奴隷から総理大臣になった人でしたが、渋沢栄一は百姓から武士、幕臣さらには明治維新もうまいこと切り抜けて明治政府では官僚となり、最後は大実業家に!
幕末から昭和を駆け抜け、91歳で大往生を遂げるまで順調にやってきた感のある運にも才能にも恵まれた人なんですね。
ま、百姓と言っても野菜を作りながら藍玉製造や養蚕を兼業する商売上手な豪農だった渋沢家。幼少期から父親について仕入れのため各地を巡ったり、製造販売までの過程を実地で身につけていたことがその商才の元でした。
更に漢学に武道など、百姓の身分ながら多方面で実力を磨いていたため一橋家の家臣に取り立てられ、慶喜の将軍就任とともに幕臣にまで上り詰めた実力の持ち主。
そして何より、実業家としての思想を孔子の『論語』に求めたのも良かった。経済を回して得た富を国民と共有し社会に還元するべし、という考え方に異を唱える人は少ないですよね。
と、このシリーズがベタ褒めで終わる…なんて思ってませんよね?
おこんさんとたぬ君の白けた視線が痛いよ…?
妻と妾を同居させた?
女性関係も派手な覇王!そうそう、どんな人にもA面があったらB面があるもの!
でもねぇ…渋沢さん、なんでも規模(というか数)が大きいんですよ!
渋沢栄一の有名なB面エピソードは…そう「女性関係が派手過ぎる」こと!
ご本人をして「明眸皓歯(めいぼうこうし・明るい目に白い歯、つまり美女のこと)以外は恥じるところは無い」と豪語されているぐらいでして…。
新紙幣を結婚式のご祝儀に使うなってのはブラックジョークとしても、実態を知ると確かにちょっと…考えちゃうところがあります。
妻は先妻千代と後妻兼子の二人。そして妾は数知れず…二人の妻の子以外は渋沢一族として認めないとして認知されている子は17人。ってそれでも多いんですが、非嫡子も入れたら50人を超えるのではという噂もあるそう。
なんと最後にできた子、68歳のときですよ…え?正気か?
そんな渋沢の最も酷いエピソードとしては、妻と妾を同居させていたってことでしょうか…。
渋沢の二人の奥さん、どんな思いをされていたんでしょう…ねぇ。
渋沢栄一の成功を支えた
気が強い聡明な妻たち最初の妻、千代は1つ年下のいとこ。とても気丈で誇り高き典型的な幕末の女だったようです。同じ農民とはいえ名主(村長)の娘。学問にも通じ信念を曲げない烈婦。
幕末って志士の奮闘が目立つけれど、実は女性にもかっこいい人が多いですよね…!
そんな千代は渋沢の女遍歴に対しても「あの人は何でもできて情に厚いから慕われるんでしょう」と達観した対応だったとか。
離れ離れが多かった維新前後の結婚生活でも渋沢からの手紙にも「女の情愛や執着でやるべき務めを邪魔してはならぬ」と自戒してあまり返事を書かなかったというほどの女性。本心を周囲に知らせることなく、41歳でコレラによって亡くなりました。
そして迎えられた後妻の兼子は、零落した豪商の娘で芸妓でした。これまたプライドが高く、多くの男性から妾の誘いがあっても乗らず、渋沢が正式な妻としてもらい受けると言ってくれたことで決意。
兼子もまた、先妻の子たちとその世話をしていた先住の妾もいる渋沢家で苦難の日々を送ったことでしょう。
「あの人も『論語』とはうまいものを見つけなさったよ。『聖書』だったらきっと守れまい』
と渋沢の女好きを揶揄した言葉が有名です。キリスト教には姦淫を禁ずる戒律があるが儒教には無いということのようです。
妾(愛人)を『友人』と呼んでいたでもね?いくら一夫多妻が認められていた時代とはいえ、さすがに妻と妾を同居させるのは倫理的に御法度でしょー。ただ、ゴシップ誌にスクープを打たれたこともあったようですが進退に影響はせず。(今だったら狂気の沙汰で大炎上必至)
それって男の女遊びに甘かった時代背景もあるけど、他にも理由がありそうなんです。
社会的、庶民目線から見ても立派というか…素晴らしいんですよね。儒教の思想をもとに経済を回し生活インフラを整え、医療や福祉、教育にも手広く携わる。そもそも一人でこれだけのことに力を求められ期待に応えられるってことが超人的にすごいわけなんだけど、世のため人のためになることを成し遂げています。
あとは他にもっと酷かった伊藤博文などが同時代にいたことで、相対的に目立たなかったということもあったようです笑。
そしてもう一つ、やはり正妻たちの気丈さ、聡明さに助けられた面はあるのではないかと。妾が大きい顔をしたり悪婦、毒婦として渋沢自身を仕事もままならないほど骨抜きにするようなことにならなかったのは妻の威厳と管理の目が行き渡っていたからかもしれません。
でもしっかり者の妻が許しても、現代の私たちの感覚で見ちゃうといろんな女性たちが内心苦しんだだろうなぁと思ってしまいますよね。「英雄色を好む」ってことでしょうがないよね!とは同じ女性としては言えません…。
でもちょっとだけ渋沢の密かな孤独が、垣間見えたような気がするエピソードがありました。
こちらは息子、秀雄の言葉です。
「父は打ち解けた親友がいなかった。代わりに妾を『友人』と呼んでいた」
「はぁぁ?」と思いつつも、少し胸がチクリとしませんか?
調整力に優れ、謙虚な態度で様々な立場の人々との関係を円滑に保つことができ、多方面から信頼され偉大な業績を打ち立てた渋沢。同時に、非常に多忙で責任ある立場…プレッシャーも物凄かったに違いありません。
渋沢にとって妾(女性)は、単なる性的パートナーというよりも、社会的なプレッシャーから解放され気軽に話せて心の支えを得る貴重な存在だったのかもしれません。
妾(愛人)を人間として尊重しているのも好感度高い…?同じ人間としてちょっと理解できるだけに…女性としてはより複雑な気持ちになります…けどね。
そして、生涯「女好き」がなおることはなかったけれど、自分の過ちを素直に改められる謙虚なところも好感度が高いんです!
女性をこれだけとっかえひっかえしていることを、女子教育を推進していた教育者から指摘され反省し(?)女子教育にも力を入れた…なんて話もあります。当時の女性教育は困難を極めるものだったけれど、それでも今の日本女子大学設立を成し遂げたわけです。
やっぱり…どれもこれもスケールが大き過ぎる!
女グセが悪いのを知っても「人間らしいところもあるんだな」と妙に納得させられてしまう日本円の新しい顔、渋沢栄一なのでした。
(tomekko)