「放送日が怖かった」実業家になった水沢アリーが語るブレイク時の苦悩と年収10倍の今
2023-01-26 eltha
「フィルターなしに届く世の中の声ってこんなに冷たいんだ」
【水沢アリー】 そうそう、あれよあれよと言う間に芸能界生活が始まって、生活も一変したので、非現実感がすごかったですね。そもそも、普通の大学生だった子がテレビに出られただけでもすごいと思っていたんです。たった10分でも人生の記念になるし、「出演して友達と一緒に見よう!」くらいの気軽な気持ちで。その1回で終わりだと思っていたら、その後も取材や番組出演の依頼をたくさんいただいて。2回目に出たのが『しゃべくり007(セブン)』(日本テレビ)でした。
――当時は大学生だったんですね。
【水沢アリー】 そうなんです。大学生の時にたまたま出会った今の事務所の社長さんが、私のトークとキャラクターを気に入って「事務所に遊びに来ない?」って誘ってくださったのがきっかけ。事務所に入って翌週ぐらいには『今くら』の一般人オーディションに参加させていただきましたね。
【水沢アリー】 今だから言えますけど、あれはけっこう辛かったです。あの頃twitterを使っていたんですけど、番組が始まって終わるまでにすごい荒れるんですよ。だから、(番組を)撮っている時は楽しいんですけど、オンエアされる時がものすごく恐怖で。放送日は怖くて仕方なかったですね。
――水沢さんのイメージだと「全然気にしてない!」とお答えになるのかと…。
【水沢アリー】 もう全然気にしていました(笑)。10年前は今よりアンチやバッシングに対する規制みたいなものがなかったから、フィルターなしに届く世の中の声ってこんなに冷たいんだって。業界の人は「アンチがいるのはいいことなんだよ」って言ってくれていたんですけど、20代前半の私は純粋に傷ついていました。数ヵ月前まで、ただの大学生だった女の子が突然、不特定多数から暴言を受けるんですよ。かなりショックでしたね。ただ幸いにも、いただいたお仕事は全部楽しかったので、辞めようとまでは思わなかったんですけど。
10年経った今は、あのバッシングはきっと、私じゃなくてもよかったんだなと。例えば、私と似たようなポジションやキャラの子が出てきたら、今度はその人を叩く。つまり叩かれる側ではなく、叩く方々の心の問題なんですよね。当時は叩かれる自分が悪いんだって、言われたままの言葉を自分の中に取り込んじゃってたんですけど、今は全く取り入れなくなりましたし、逆に話題にしてくれてありがたいとさえ思えるようになりました。
「自分の人生やお金が、自分以外の誰かに握られているなんて、すごく怖い」
【水沢アリー】 それが、全くなかったんですよ。アルバイトが忙しくてテレビもほとんど見ていませんでしたし。割といい大学に通わせてもらっていたので、普通に就職して、当時お付き合いしていた彼と結婚して退職するのが理想でした。しかも学校では陰キャだったので、私がテレビに出始めたことに友人たちは相当驚いていましたね。
――陰キャ!? あまり想像できません(笑)。でも、デビュー当時の噛みつきキャラ、おバカキャラはブレイクするための戦略だったと告白されていますよね。
【水沢アリー】 地上波で全局の20時台、ゴールデンと言われている番組に出ることを1周って言うんですけど、「1周してからが本当の勝負だ」ってだんだんと周りの大人たちが言い始めたんですよ。 2周目も呼ばれるには、1周目に爪跡をいかに残せるかだと。実際、うまく会話の輪の中に入れなくて、ほとんど映らなかった番組もあったので、周りの期待に応えるためにも、自分に話をふられなくても会話の輪の中に入っていけるようなキャラクター設定を考えたんです。
と言っても、無理にキャラを作っていたわけではなくて。当時の私は決して賢くなかったし、目上の人にもフランクに喋ってしまうところがもともとあったので、それを常態化させただけ。大御所の方とフランクに喋れる人って、実は番組の進行的にも喜んでもらえるんですよ(笑)。私ができることでみんながハッピーになれること、それを考えたらおバカキャラ&噛みつきキャラだったんです。
【水沢アリー】 当時25〜26歳でしたが、今の自分を作ってくれたすごく大事な時期だったと思います。人気がいつまでも続くとは思っていなかったけれど、だんだんと番組に呼ばれる回数が減ってくる中で、“私自身”を値踏みされているようで辛いと同時に疑問もあって。「なんで私の価値を他人が決めるの?」って。自分の人生やお金が、自分以外の誰かに握られているなんて、すごく怖いなと思うようになったんです。その頃は芸能のお仕事が生活の全てだったので、なんとか(番組に)呼ばれ続けなきゃいけないという切迫感もなくしたかった。
忙しさが一段落して自分の立ち位置や環境を俯瞰して見られるようになったおかげで、あんなことを毎日毎日してきた自分はすごいと思う反面、自分の可能性はこんなもんじゃないと、先々のことを真剣に考えるようになりました。
年収はブレイク時の10倍 今後は海外での事業も視野に
【水沢アリー】 飲食店を経営している友達がすごく潤っていたので「どういう風にやったの?」って聞いたら「区役所に行って、起業の仕方やお金を借りる方法を教えてもらった」って言うんです。自分の中で区役所に行くっていう方法は考えもしなかったので、びっくりしちゃって。それで区役所に行ってみたら、中小企業診断士の方たちが起業するために必要な金額を一緒に表を作って計算してくれた上、銀行まで同行してくれて。おかげで無事、起業資金が借りられました。
――20代半ばという若さでまとまったお金が借りられたのは、芸能人だったからでしょうか。
【水沢アリー】 ちょうどその時、女性の経営者を応援しようというキャンペーンをしていて、起業を目指す女性へのサポートが厚かったのはラッキーでした。それと銀行で窓口を担当された方が私に気づいてくれたんですよ。「失礼ですが、水沢さんですよね?」って。そこで「実はこういう感じで、芸能界が辛いんで自分でやりたいんです」ってお話をしたら、すごく親身になって聞いてくれたんです。だから女性支援と芸能人パワー、どっちも追い風になってくれたと思っています。
【水沢アリー】 広告の企画会社を運営していて、頭の中のアイディアを買ってもらって、実現するところまでを仕事にしています。例えば、私はトマトが大好きなんですけど、実際トマトの仕事が行くのは、トマト好きでもなんでもない人だったりするんです。その商品やサービスを好きな人が推した方が絶対に良さが伝わるのに。私なら、もうちょっとマッチング率上げられるなと思って、そこから周りの人に自分の思いを伝えるようになって、今に繋がっています。
――現在の年収は芸能界だけでお仕事をされていた頃と比べて増えましたか?
【水沢アリー】 シンプルに10倍ぐらいになっていると思います。起業した当時はやっぱり若かったし、視野も狭かったので、見る夢も小さくて。それは一応かなえられたんですが、今は視野も広がったので、自分としてはまだまだこれからだなと思っています。
【水沢アリー】 どんな時も自分らしく生きること。私ね、常に自分の人生が終わる時のことを考えているんですよ。まだ30代ですが、時間が過ぎるのはあっという間。人生の最後に、やっぱり自分らしく生きられなかったと思ってしまったら、私はきっとめちゃくちゃ後悔する。もう1回、ゼロからやり直したいと思うのがわかっているので、今誰に何を言われても自分らしく生きるということだけは、絶対にやめない。それが今の私にとって1番のバイタリティだと思います。
――最後に、今後の目標を教えてください。
【水沢アリー】 広告を通じて、世界中を愛でいっぱいにしたいです!最近、海外のクライアントさんや芸能人と一緒に仕事をすることが多くなって来たので、自分も何かしらの形で、世界でもっと活躍できればいいなと思っています。今のビジネスで海外展開してもいいし、他の事業でも。まだまだ色んなことに挑戦していきたいですね。
(取材・文/今井洋子)
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