福井仁美、国内11店舗のエステサロンのオーナーに「20代から”自分の強味”を活かす思考ができたことが大きかった」
2022-07-01 eltha
「地黒の自分は時代に合っていない」キャラを模索したレポーター時代
福井:地黒の悩みは中学生の終わり頃から持っていました。小学生のときはコギャルブームで色が黒いことになんの違和感もなかったのですが、その後、美白ブームがやってきて、まわりのみんながどんどん白くなって「可愛い」と言われているのに、私だけどう頑張っても白くなれなくて。『王様のブランチ』に出演し始めた頃も、ネットに『福井仁美 地黒』とか『福井仁美 日サロ』と書かれたりして、色が黒いことが悪口のように感じられて。とにかく紫外線が怖くて、夏でも長袖を着て、1万円くらいする日傘を買ったり、家にUVシートを貼ったり「とにかく焼けちゃいけない」とできる対策は全てしていました。
━━リポーターは8年間続けられましたが、“地黒”のコンプレックスとどう向き合っていたのですか?
福井:当時、地黒の自分は時代に合っていないと思っていたのですが、番組側は「それが個性でいい」と言ってくれまして、海や山や太陽を思いっきり浴びるアウトドアのロケ担当としていっぱいキャスティングしていただけるようになったんです。そのうち、自分が求められているのはここなんだって気づけて。でも、最初のうちは、芸能界で生き残っていくためと考えていたように思います。回を重ねるうちに、もともと自分はインドアよりアウトドアが好きだったし、だんだん自分の中で納得感と楽になっていく感覚が大きくなっていって、地黒であることが自分の強みだと認められるようにもなって、最後の3年間くらいは思いっきり楽しんでやっていました。
福井:結婚が決まったことがきっかけでした。当時、毎朝3時半に起きてロケに行くというハードな生活が続いていて、相手の方も仕事を辞めていいと言ってくれていたので、仕事をしなくても生活できるなら、いったんやめて家庭に入ってみようかなと思ったんです。
━━ところが、その結婚が式直前に破談となって……。
福井:『王様のブランチ』では「卒業します」と発表してしまっていたし、暮らし始めていた新居は家具から家電までほとんど相手のものだったので、仕事もなければ、自分の持ち物もほとんどない状態で家を出なければならなくなって、もう、お先真っ暗でした。貯金はありましたけど、これからどうなるかわからないから使う勇気がなくて、とりあえず、すごく狭い部屋を借りて、犬と枕と洋服だけ抱えて移り住みました。
「人に依存する怖さ」を知り経営者に、従業員を養うプレッシャーと対峙
福井:まず、人に依存する=生活の面倒をみてもらうことの怖さを知ったので、今後、もし結婚しても、一生、自分で食べていけるような力をつけようと誓いました。でも、大学時代からタレント活動を始めて、就職したことなく28歳にまでなっていたので、就職は難しいだろうし、だとしたら、自分でやるしかないから会社作るか? と考えたのが始まりでした。
━━芸能界への復帰は考えなかったのですか?
福井:破局のニュースが出回って、自意識過剰かもしれませんが、みんなが私の身に起きたことを知っていて、私のことを負け組と思っていると勝手に思い込んでしまっていたので、表舞台に出ていく気にはなれませんでした。それに、芸能界は愚直に頑張ったからといって売れる世界ではないので。天賦の才はもちろん、運やタイミングも大きくて、私自身も限界を感じていました。当時はおバカブームで、学歴とは逆の需要があり、私みたいな人間にはそういう仕事を続けるのは厳しいとも感じていたので、自分の努力が数字になっていくような仕事がしたいと思いました。
福井:ちょうどオーナーが辞めてしまう店から、従業員ともども引き継いでくれないかというお話をいただきまして。リポーターとして私はそれまでPRする側の仕事をしていたし、美容も好きなジャンルだったので、イケる!と思って引き受けたのですが、それからが大変でした(苦笑)。
━━というと?
福井:社会保険とか福利厚生とか雇用契約にまつわることや労働基準法、税務についてなど、経営者としてインプットしなければいけないことがいっぱいあって、そこから3年間もう必死(笑)。裏では手汗をかきながら必死に勉強しているんですが、従業員たちとコミュニケーションをとるときは、彼女たちを不安にさせないように冷静に振舞って…。学ぶことは得意なので楽しかったですが、従業員や自分を養っていかなければいけないプレッシャーと失敗できないという気持ちはかなりキツかったですね。
20代から「自分の強味を活かす」思考ができたことが大きかった
福井:コンプレックスだった地黒を自分の武器と考えられるようになった通り、20代で自分の強みを活かすということが、私の脳の中に形成されていたことは大きかった気がします。例えば、リポーターとして普通の人よりいっぱい世の中で流行っているものやいいものを見させてもらった経験があったので、こういうのは人に刺さるなとか、これはマスだなという感覚が身について、これから流行りそうなものをちょっと早めに取り入れて、広めようと考えることができました。また、自分がリポートしたお店に行列ができて繁盛したり、紹介したものがバズったりすることがすごく気持ちよかったのですが、その経験を活かして、自分の仕掛けたお店を自分で発信したり、技術をわかりやすく広める、それらが売上につなげることができたようにも思います。
━━でも、ご自身はタレントであることを活用して、自身のお店の宣伝のためにテレビやネットに出演をされませんでした。「ハリウッドブロウリフト(R)」の創業をきっかけに、昨年初めて公表されましたが、それはなぜ?
福井:私自身、元タレントの方が「お店をやっています」って言うのを聞くと、スポンサーがいるんじゃないかと思ってしまっていたので、自分も絶対そう見られるという変な自信があって(笑)。本当にこれまで一人でやってきたので、そう見られるのが悔しかったんです。実際、知られた人には「誰とやってるの?」とか「どこと組んでるの?」「資金源は誰なの?」ってめちゃくちゃ聞かれましたからね。一人でやっていることを皆が認めてくれるくらい、自分の事業を大きな規模に成長させるまでは、私は表に出て、タレントであったことを使ってビジネスはしないと決めていました。
福井:全部をリスタートさせなければいけなくなってしまった28歳のとき、心機一転というより、生きていくために前に進むしかなくて、本当に辛かったけど、でも、あの経験がなかったら、100%、今のビジネスをしている自分はいないですし、今はハリウッドブロウリフトや社員や講師、そしてサロンで働いてくれている仲間たちと一緒にやりたいことができて、本当に楽しいし、経験を重ねて、20代の頃より生きやすさを感じています。もちろん、失ったものもありますけどね。今、同級生に合うと子どもの話に花が咲くことが多くて、私だけ浦島太郎なんですよ(苦笑)。小学校の同級生だけでなく、学歴が一緒な大学時代の友人たちとの間でも同じことが起きているので、35歳ってそういうのが出てくる年齢なんだなと……。
━━同じように感じている読者はたくさんいると思います。最後に福井さん流の30代独身のモチベーションの保ち方を教えてください。
福井:例えば、子どものことって、いなくても自分は大丈夫と割り切っていても、毎日が忙しくて充実していても、ふとしたときに、考えてしまう瞬間ってありますよね。そういうことを乗り越えるためには、常に今の自分が最高でいないとメンタルが保てないと思うんです。普通にしていると、あの時こうしておけばよかったなとか、絶対、過去を振り返ってしまいますからね。なので、新しいことにチャレンジしたり、自分を磨けるものや集中できること、好きなことに没頭できる時間など、自分の自信につながるものを常に自分の横に置いて生活していたいと思っています。それは自分を保つためでもあるし、やりたいことができるのは独身の特権でもありますからね(笑)。
福井仁美
早稲田大学第一文学部を卒業してスポーツキャスターやモデルとして活動。2008年
〜2015年まで「王様のブランチ」にてリポーターを務め、高いリポーター力を発揮する。現在は、国内11店舗のエステサロンオーナー。ハリウッドブロウリフト創業者、代表取締役社長。
Instagram:hitton28