モデルボクサー・高野人母美、日本でのキャリアを捨て渡米「グローブ片手に世界を回りたい」
2018-11-22 eltha
恵まれてはいた、でもボクシング界にある古い慣例が窮屈だった
【高野人母美】 所属していた協栄ジムと交わしていた契約期間は3年でした。私は更新にサインしなかった。恵まれた環境のジムにいて、専属のトレーナーがいて、何でもしてもらえる。ありがたい半面、ボクシング界にあるさまざまな古い慣例に窮屈さも感じていたんです。もっと自分らしく自由にボクシングがしたかった。契約期間満了は“新たな挑戦の時期”というシグナルではないか、と思い、ジムを辞めJBCを去る決断をしました。
【高野人母美】 新しい道を模索しているなか、偶然知り合った方から、息子さんがロス在住のアマチュアボクサーだと聞いて、「これもご縁。私もロスに行こう」と。その4日後にはアメリカに渡っていました。ところが、向こうに着いたら、頼りにしていたその方と音信不通になってしまって…。
世間のイメージとのギャップに苦しんだ日本プロ時代
【高野人母美】 ボクシングはエンターテインメントだと思っているので、私が面白いことをやってニュースになれば女子ボクシングが盛り上がるんじゃないかと思っていました。「自分にしかできないことをやる」というのが、私のモットーなんです。タトゥ―は3時間、アバターのコスプレなんて5時間もかかったんです。減量してヘロヘロになっているから、本当に大変でした(笑)。
【高野人母美】 2015年の11月に初めての世界戦に出場しました。東洋太平洋チャンピオンになった直後ということもあり、ファンの方にも期待していただいたんですが、KO負け。周囲からは、「人に夢を与える職業なんだから、『夢は世界チャンピオン』と言うべき」と助言されていたので、インタビューなどではそう答えていましたが、実力が追いついていませんでした。それは自分が一番わかっていたし、世の中が求める「高野人母美」像と、本当の自分のギャップに苦しんでいた時期だった気がします。
【高野人母美】 KO勝ちしてアドレナリンがあふれていたんでしょうね。猛スピードで坂道を下っていたら、自転車のチェーンが外れて体ごと飛ばされました。痛かった! 脚の骨を3本骨折していたんです。でも事故後、ボクシングに対するモチベーションが明らかに変わりました。もっと強くなりたい、もっと戦いたいと思うようになったんです。松葉杖をついてトレーニングしたり、上半身を鍛えたりとリハビリに励みました。この時の高みを目指す気持ちが、“JBC引退”につながったのかもしれません。
体脂肪8%で生理も止まった、それでも勝てる強い体が欲しい
【高野人母美】 やっぱり体が違います。70キロの人とスパークリングすると打ち負けてしまうんです。日本では常に53キロで戦っていたから、アメリカに来た頃の私は、ガリガリのヒョロヒョロ。でも今は、食事やトレーニングがアメリカナイズしたせいか、日本にいた時と比べて10キロ増え、ずいぶん筋肉質になってきました。
【高野人母美】 当然ですが、食事や体調面の管理はすべて自力でやらねばなりません。キッチンがない一軒家を格安で借りて暮らしているので、電子レンジを使った料理がすっかり得意になりました。ちゃんとお米も炊けるんですよ。米もパンもトルティーヤも、なんでも食べます。日本では苦手で避けていましたが、早朝に10キロほどランニングするのが日課になりました。
グローブ片手に世界中をまわりたい、世界は196ヵ国もあるから
【高野人母美】 そうですね、当面はアメリカにいると思います。ただ、世界には196ヵ国もあるから、どこに行ってもいいと思っています。グローブ片手に世界中をめぐりたいですね。自分から見ても「私の人生、面白いな」と思います。落ち込んで引きこもることなんて絶対ないし、そもそもあまり落ち込みません。辛いことがあっても気にしないですね。だって過去は変えられないけど、未来は選んでいけるんですから!
【高野人母美】 今年5月、アメリカのボクシングライセンスを取得しました。ただし、ビザが取得できていないのでファイトマネーが発生する試合はできないのが現状です。弁護士さんに手続きを進めてもらっているので年内には取れると思います。来年1月5日には、アメリカ初めて試合をする予定です。やるからには絶対に勝ちたいですね。
長いスパンの目標としては、仲間やサポートしてくれる人たちと「チームともみ」をつくり、チーム一丸となって世界に挑戦したいです。もっといろんな経験を積んで、後輩たちにもアドバイスできるようになれたらいいなと思っています。そしていつの日か、そういうことを全部まとめて1冊の本にしたいです。
インタビュー・文/高倉優子 撮影/臼田洋一郎
高野人母美 instagram
高野人母美 オフィシャルサイト
PROFILE
高野人母美(たかの ともみ) プロボクサー、モデル。「9身頭のモデルボクサー」として人気を博す。協栄ジムに所属していた2015年、第2代東洋太平洋女子スーパーバンタム級の王者となる。2017年JBCを引退し、単身渡米。現在はアメリカ・ロスを拠点に、プロボクサーとして活動している。